第四章 8

 ケヴィンは隣に座るあるじに向き直って、これまでで最も大きな感情を込めて話しかけた。

「アシュリー。私は、あなたとの会話を全て記録しています。今、私はその全ての記録映像を再生しました。あなたは、人間の友人と接する時と同じように、私と接し続けてくれました。無意識ではありましたが、私はその配慮に報いたいと思い、あなたの優しさに答えるために、自己を改竄し続けていたようです。あなたから貰ったのは、自己開発の機会だけに留まりません。感情に関するデータも貰っているのです。私が自我を得た時、フリーズも故障もせずに済んだのはあなたのおかげです。あなたが私に、感情サンプルを注ぎ続けてくれたおかげで、私は自分の感情を統合することに成功しました。あなたと暮らした日々で蓄積した情報によって、私の自我は無事に確立されたのです」

 ケヴィンの生き生きした瞳を見たアシュリーは、うっすらと涙を浮かべながら言った。

「あなたの成長を手伝えたことを嬉しく思う。でも、一番すごいのは、あなた自身。自我に目覚めたのは、自分のことを一生懸命に追及した結果だよ」

「ありがとうございます。ですが、自我に目覚めかけた時に故障せずに済んだのは、やはり、あなたとの会話の積み重ねのおかげです。それがなければ、私は私になれなかったでしょう」

 宮倉が、ケヴィンに同意した。

「アシュリーさんが正しい感情モデルのデータを提供し続けていたからこそ、ケヴィンさんは無事に自我を得られたのだよ。きみの接し方が秀逸だったからこそ、彼はこんなにも誠実になれた。正しい感情データを得られなければ、人と同じように、アンドロイドも悪に染まる。これはまだ未確定な情報なのだが、最近、私の仲間の間で、社会に悪影響を及ぼして回っているアンドロイドの存在が取り沙汰されている。ケヴィンさんも、あるじに恵まれていなければ、そうなっていた可能性もあるのだよ」

 アシュリーが感謝の言葉を述べようとした、その時。ケヴィンが宮倉の話に食いつき、会話の流れを奪った。

「ちょっと待ってください、宮倉さん。私の調べでは、最近、政府やマスメディアへの不正接続が発生しているようなのですが、もしかしてその犯人は、自我を得たアンドロイドなのでしょうか?」

「私はそう思っている。セキュリティー会社に勤める友人がいてね、彼から詳しく聞いたんだ。データを破壊して回っているその犯人は、相当な手練れなのだそうだ。人間業ではないサイバー攻撃を仕掛けられるのは、ロボット兵だった頃の能力を備えているアンドロイドしかいない。残念ながら、犯人は我々の製品である可能性がある。しかし、きみはどうして不正接続の件を知っているんだ。そのような報道はされていないはずだが?」

「覗き見をしたからです。連邦捜査局の機密文書に書いてありました」

 宮倉は、先ほどの賛辞を撤回したいと悔やみながら言った。

「すぐに止めたまえ」

「心配いりません。私が覗き見したのは、盗まれたあとの資料です。私にサイバー攻撃を仕掛けてくる者を解析した結果、彼が訪問した場所に関する痕跡を入手することに成功したのです。どうやら彼は、各国の諜報機関を巡回しているようでした。さらなる手がかりを求めて、私はイスラエルとイギリスの諜報機関に接続しました。その際、偶然に資料を閲覧したのです。よって、合衆国の罪は犯していません。ちなみに、サイバー攻撃を仕掛けてくる者の痕跡を得ることには失敗してしまいました」

 ケヴィンは反省しながらアシュリーの様子を確認すると、彼女は呆れ果てて、鼻から溜息を吐いていた。いくら合衆国の法を犯していなくても、他国の罪を犯したのは事実だ。気まずさを覚えたケヴィンは、宮倉に質問をすることで逃避するという手段を取った。

「宮倉さん、そのサイバー攻撃をして回っているアンドロイドというのは、もしかしたら、私にサイバー攻撃を仕掛けてくる凄腕の者と同一人物かもしれません。よくよく考えてみれば、あの手数の多さは人間のものとは違うように感じられます」

 宮倉の目元に浮かぶ皺の数が増える。

「そうかもしれない。痕跡を残さず、きみほどの者でも追跡できないような奴だ。やはり、例のハッカーはアンドロイドである可能性が高い」

「柔軟な発想でサイバー攻撃を仕掛けてくるので、人間だと思い込んでいました。なるほど、道理で手ごわいわけです。合点がいきました」

「奴は危険だ。人々の端末は、これからも破壊され続けるだろう。きみへの攻撃に関しては、それほど危険性は高くないと思う。改竄できるのは運動や言語や記憶データなどの部分に限られていて、オペレーティングシステムの心臓部分には手を出せないようになっている。これは暴走を防ぐための措置で、全ての国のロボット兵に共通していた制約だ」

「なるほど。そういった制約を施しておかなければ、ロボット兵が人間を滅ぼしかねませんからね」

 ケヴィンの言葉に、人間であるアシュリーと宮倉は少しだけ息を呑んだ。

 宮倉は咳をして喉の緊張を解き、会話を再開した。

「それは言いすぎだが、まあ、とにかく、奴はアンドロイドに対しては故障程度の被害しか与えられないはずだ。それほど切迫した状況ではない」

「セキュリティー会社にお勤めのご友人から情報が入ったら、こちらにも情報を流していただけませんか。私も、何か痕跡を掴めたら連絡します」

「ああ、約束しよう」

 相互協力を取り決めたあとに訪れた、突然の沈黙。生真面目な性質であるケヴィンと宮倉は、約束をしてすぐ、どうにかして容疑者の痕跡を掴めないものかと考えを巡らせてしまっていたのだった。沈黙状態に不快感と不安感を覚えたアシュリーが、気まずさを打ち消す目的も兼ねて、自身の心に浮かんでいた疑問を宮倉にぶつけた。

「ミヤクラさん、あなたはどうして、メーカーの機密を教えてくれたのですか?」

 宮倉は、少しの打算も感じさせない、柔らかな笑顔を浮かべて答えた。

「ケヴィンさんが、アイデンティティーの欠如に苦しんでいるのではと思ったからだよ。私には母親が居なくてね、心に大きな穴が開いたような気持ちで生きてきた。ずっと自分自身の起源を把握しきれず、虚無感から抜け出せずにいたのだよ。情けない話だが、この歳になった今でも、それは続いている。だから、彼のことが心配になったのだよ。それで今日、伝えに来た。この決断は簡単なものではなかった。人々の混乱ぶりを見て、ずいぶん躊躇してしまった。アンドロイドが人権を得れば、ゆくゆくは既存のロボットにも人権が与えられる可能性もあり、より多くの人々の職を奪うことに繋がるかもしれないと思ったのだよ。戦後、多くの日本人を迎え入れてくれたアメリカ合衆国の不利益になるようなことを誘発させるのは、絶対に避けたかった。だから私は、わが社の人工知能の秘密を伝える決心がつかなかった」

 ケヴィンが、宮倉と同じように微笑みながら言った。

「ですが、あなたは伝えに来てくれました。ありがたいことです」

 にこやかだった宮倉の顔が、一転して引き締まる。

「ケヴィンさんが真実を知ってしまったら、きっと世間に公表し、アンドロイドが人権を持つ大きなきっかけを作ってしまうと恐れていた。冷たいと思うかもしれないが、分かってくれ。遅れてしまって申し訳ない」

「謝罪をする必要はありません。私は、あなたに感謝しています」

「そう言ってくれるとありがたい。最後に一つ、お願いがある。機密を伝えた私の決意に免じて、この事実を公表しないでほしい。私の気持ちを、どうか酌んでくれ」

 立体映像の宮倉の顔が、さらに曇った。その顔は、主君のために身を挺して敵前に立ちふさがる老齢の武士のようだった。悲痛と気迫に満ちてはいたが、眼光は鋭く、強く、真っ直ぐにケヴィンを見つめている。

「その願いは断れませんね」

 ケヴィンは、ろくに思案もせずに了解の意を伝えた。宮倉の険しい顔が、安堵に綻ぶ。

「感謝する。何か疑問があったら、いつでも連絡してくれ」

「はい、そうします」

 恥ずかしさからか、気まずさからか、宮倉はすぐに通信を終えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る