第四章 6

 フェロウズ=オオモリ家の愛猫リルとフロウが、日課であるじゃれ合いをして、白い絨毯に灰色と茶色の抜け毛を絡ませている。一歳半の二匹が成熟した雌猫の気品を備えるには、もうしばらく時間がかかりそうだ。

 アシュリーは最新の電磁浮遊型の猫用玩具ではなく、古典的な釣竿型の猫用玩具を手に取り、糸の先に付いた羽根を二匹の顔の間に垂らして、小刻みに振った。すると、リルとフロウは同時に反応を示し、目を剥き、口をわずかに開けて、羽根の動きを追い始めた。それを見たアシュリーは、釣竿型のおもちゃを持つ手を勢いよく右に振り、羽根を飛び立たせた。初撃を空振りした二匹は羽根を追い、意を同じくして獲物に飛びかかる。

 電磁浮遊型の猫用玩具は、屋外でテレビカメラや配送用として用いられているものと同じように、建物に張り巡らされた電磁網を利用して縦横無尽に動く。カメラで指先の動きを読み取ることで直感的に動かすことが可能なのだが、大昔から伝わる釣竿型のほうが猫の反応をより直接的に楽しめるので、替えを四本ほど確保してある。機械には表現できないような生々しい挙動が楽しめるので、リルとフロウも釣竿型玩具のほうがお気に入りだ。現に今も、最新型玩具を用いている時には見せないような、派手で躍動的な飛びかかりを披露している。

 そんな愛らしい二匹と一人の戯れを眺めているケヴィンの回路に、突然、通信が強引に入り込んできた。彼は常に外部からの接続制限をかけているので、通信が入ることなど有り得ないはずだった。

 ケヴィンは猫と戯れているアシュリーの隣に座り直し、静かに報告した。

「アンドロイドの開発者を名乗る人物から、強制的に通信が入りました。これから、その通信音声をそのまま伝えます」

 いつも全ての通信を否応なしに切断するケヴィンが積極的に応答したのを見て、アシュリーは愛猫をじゃらす手を止め、これから聴こえてくるであろう通信内容を一言も聞き漏らさぬよう、耳をそばだてた。急に動かなくなった羽根を、リルとフロウが同時に捕える。

 ケヴィンが通信相手に問う。

「ミヤクラさん、私に危害を加えないという根拠を示してください」

 開発者を名乗る人物の音声が、ケヴィンのスピーカーから発せられる。高齢と思われる男性の、張りのない声。

「根拠か。その証明は困難だね。現在、私はきみにサイバー攻撃を仕掛けることが可能だが、それをせず、純粋な通信行為のみを実行している。これは証明にならないだろうか?」

 ミヤクラという名の男は、強烈な日本語訛りを含みながらも正確な文法で英語を使いこなして、ケヴィンの問いに答えた。ケヴィンはその答えに納得したらしく、小さく頷いて、通信を再開した。

「そうですね。あなたは私が遮断している通信チャンネルに入り込み、強制的に接続できるほどの能力をお持ちですが、攻撃的な振る舞いをしていません。裏口を狙った攻撃の痕跡もありませんでした。信じましょう。過剰反応したことをお許しください。悪意を持った人物からの接触が多いもので」

 ケヴィンが攻撃に晒されていたことを初めて知ったアシュリーが目を丸くしたのを見て、彼は優しく微笑みながら頷いてみせた。

 ケヴィンと二人きりで通信していると思い込んでいるミヤクラが、微かに同情を込めながら言った。

「相手は反対派の人間かな?」

「恐らく、そうでしょう。七人ほどいます。そのほとんどが稚拙で取るに足らない方々なのですが、一人だけ正体を追えない凄腕がいます。少しの痕跡も残しませんし、当然、追跡することも叶いませんでした」

「それは骨が折れるな」

「人間はウイルスとは違って独創的な攻め方をしますので、それなりに警戒が必要です」

「人間も脅威と言えるわけか。では、信頼してもらえるように、私の特別残留許可国民証を確認してもらえるかな。今、データにアクセスするためのワンタイムキーを暗号化して送る。思う存分、私のことを調査してくれたまえ」

「分かりました。確認します。少々、お待ちください」

 一時的に通信を遮断して侵入者の調査を開始したケヴィンは、緊張によって乾いた唇を舐めているアシュリーに相談した。

「今、彼の個人情報の参照を終えました。問題ない人物です。彼と話をしますか?」

「あなたの考えに従う」

「分かりました。経歴から察するに、彼は我々にとって有益な情報を持っている可能性があります。あなたも会話に参加したほうが良いかもしれません。では、通信を再開します」

「ちょっと待って、まだ――」

 ケヴィンは、全容を把握しておらず困惑するアシュリーへの説明を後回しにして、ミヤクラとの通信を再開し、彼の経歴を読み上げ始めた。

宮倉みやくら鋭貴えいき。長年に渡り、私を製造したM&HHI社の技術室長として現場を指揮。第三次世界大戦をアメリカ支社で経験し、定年まで勤め上げたのち、技嶺ぎりょう大学アメリカ校の客員教授となる。私の生みの親と言っても差し支えない御方が、どのようなご用件でしょうか?」

「きみを作り出したメーカーの人間として、自我を得たアンドロイドであるきみに伝えなければいけないことがある。退社した今だからこそ、話せることだ」

「興味深いですね。立体映像で話しませんか?」

 ケヴィンがそう誘導したのには訳がある。宮倉の表情を読み取り、話の真偽を見極めながら会話をするためだ。

 宮倉の了承を得て立体映像通信が開始されると、白髪の頭髪を後ろに撫で付けた、年老いた細身の日本人男性の立ち姿が映し出された。父方の祖父が生粋の日系人であるアシュリーが、懐かしさと親しみを覚えるような風貌だった。

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