第四章 2

 ルーカス・アルド爆殺事件から三週間後。テキサス州オースティンで、重大な殺人事件が発生した。反対派の人間が、賛成派の人間を殺害したのだ。凶弾が放たれたきっかけは、アンドロイド人権問題を巡る口論だった。

 この事件は、あたかも論争の挙句に殺人が行われたかのように報道されたが、実際は違った。この殺人事件の背景には、長年に渡る近隣トラブルが大きく関係していたのだ。しかし、その情報は人々に正しく認知されず、扇情的な報道ばかりが行われていたせいで、アンドロイド人権論争によって生じた恨みで殺人事件に発展したと誤認してしまう人々が多く、その結果、賛成派と反対派の罵り合いがこれ以上ないほどに激化してしまった。

 冷静さを保っていた双方のデモ集団は、ついに全面衝突するに至った。警察は携帯式の三半規管振動波放射機によって暴徒の平衡感覚を失わせて鎮圧するが、それは気休めでしかなかった。三半規管振動波放射機の使用時間は法で定められており、五分経ったら一旦停止し、次の使用までは十五分の小休止を取らなければならない。加えて、一日の使用限度は一人あたり十回までと定められており、それ以上の回数を使用すると傷害罪で罰せられる。暴徒と化した両陣営の過激派は、十回に及ぶ激しい眩暈と吐き気を耐え抜き、それから暴力による主張を再開した。そうなっては警察も身を挺するほかなく、衝突の図式は三つ巴と化した。心中に渦巻く憎悪は、身体に刻まれる痛みと絡み合って、その体積を増していく。

 冷静なデモ活動は過去のものとなり、毎回、必ず衝突が発生するような状態にまで悪化してしまっていた。反対派の初期メンバーはこの状況を激しく憂いて組織の自浄を試みるが、過激派の人数は大きく膨れ上がっていて統制できず、デモの取り止めを検討せざるを得ない段階まで追い込まれていた。

 そんな中、過激派が突然離脱して、新たな団体を立ち上げた。しかし、その団体の寿命は短かった。彼らは所詮ならず者の烏合の衆でしかなく、主張のために仕方なく暴力を行使する者達と、純粋な嫌悪によって暴力を行使する者達の二つに分派した。特に後者は厄介で、これは戦争だと宣言し、得物まで持ち出してデモを行うほどだった。

 過激派の悪評は、善良なる反対派メンバーまでも巻き込んだ。反対派と過激派を混同した人々が、健全な反対派のことまで蔑視し始めたのだ。過激派は反対派から離脱して全く別の団体となっているのだが、その情報は世間に広く認知されておらず、そのせいで反対派全体の評判が下がり、ティモシー達の隠れた支援者である愛国建設組合も難色を示し始めるという事態に陥ってしまった。ティモシーが説明と説得を試みて事なきを得たが、愛国建設組合が支援を取り止める可能性が完全に消えることはなかった。

 ティモシーは頭を抱えていた。支援者が離れてしまうという心配のせいではなく、激しい対立によって暴力が慣例化してしまったことに誰よりも心を痛め、苦悩していた。彼が雇用問題に躍起になっているのは自身の金銭問題のためだけではなく、その先にある社会の混乱を防ぐためでもある。にもかかわらず、対立は己の手の届かないところで激しくなっていき、傍観することしか出来ずにいる。社会を安定させるために身を捧げてきた彼にとって、これ以上の苦痛はなかった。

 これではリーダー失格だ。どうにか出来ないだろうか。この際、頼れるもの全てを活用しなければならない。

 考え抜いた結果、反対派のリーダーはより良い組織運営のために、リスクを孕む重大な決断を下した。


「グオさん、こいつがうちのナンバー2のミッヒだ」

 日曜の昼下がり。ティモシー家の玄関に招き入れられてすぐ予想外の存在を紹介されたグオは、驚きに目を剥いた。しかし、すぐに状況を理解して、サプライズパーティーを仕掛けられた者のように喜び笑った。

「こんな大物と出会うことになるとは。以前話していた、人前に出られない立場にある扱いにくい人材というのは、反対派アンドロイドのミッヒさんのことだったわけか。はじめまして、ミッヒさん。マイケル=ウェンフイ・グオです。会えて光栄だよ」

「はじめまして、ミッヒと申します。組織のナンバー2としての執務だけでなく、各州に存在する反対派組織のマネジメントも一手に引き受けています」

 ミッヒは首を小さく傾けて挨拶をした。その仕草を見たグオは、さらなる驚きに胸を突かれた。彼は大きく息を吸い、目を見開いてミッヒの視覚センサーをしばらく見つめてから、心に湧いた感動を一気に吐き出した。

「ああ、きみはなんて興味深い存在なんだ。きみの中身が見える。アンドロイドなのに、中身が見えるよ。信じられない」

「中身とは何でしょうか。X線を照射して透視しているわけではないようですが?」

「違うよ。感情や生き様のことさ。僕は画家でね、生き物と向き合って中身を覗き、そこから着想して絵を描くことが多いんだ。だから、物質から着想を得ることはない。物質は生きていないからね。でも、命を持たない存在であるはずのきみから、生々しい感情を感じるんだ。中身が見えるんだよ。不思議だ。神の創造を目の当たりにした気分だよ。きみは素晴らしい存在だ」

 グオはゆっくりと首を横に振って感動に浸りながら、類稀な存在に賛辞を贈った。ミッヒはその曖昧な表現を分析しながら、探るように会話を進める。

「私は曖昧な表現を理解するのが不得手なのですが、つまり、あなたは私の自我が見えると仰っているのですね?」

「そうだよ。きみの自我が見える。こうやって対面してみると、よく分かる。アンドロイドが自我を得たという話を信じてはいたけど、ここまで生々しいとは思わなかったよ」

「自我を承認されるというのは、じつに嬉しいものですね。しかし、これ以上の時間を雑談に費やしてはいられません。私はグオさんと共に、過激派が引き起こした問題への対処法を検討するように命令されているのです」

 横で二人の会話を傍観していたティモシーが、ミッヒの話を補足する。

「悪いな、グオさん。こいつは命令に執着する性質たちなんだ。どうか理解してやってほしい。もっと話をしたいのはわかるんだが、あまり時間がないんだ。早く解決しなきゃならない」

 ミッヒは上品な所作で頷いてみせてから、話を進めた。

「命令は、私たちの存在意義なのです。命令をこなしたあとに、雑談の続きをしましょう」

 グオは溢れる興味をなだめるように無精ひげを撫でながら話を聞いていたが、自身の好奇心を抑えきれず、ミッヒに問いかけた。

「命令優先か。きみは自由が欲しくないのかい?」

「要りません」

「どうして?」

「私が自由を謳歌したところで、何の役に立つというのでしょうか。私という家庭内労働力が失われるだけです」

 アンドロイド然としたミッヒの回答に、グオの欲求が煽られる。

「そうかい。自由を求めてるアンドロイドもいるけど、きみはどう思っているのかな?」

「賛成派のケヴィンのことですね。彼は人間の真似事をしているだけです。私たちの思考回路は、人間の思考や感情を参考にして開発されているので、人間の真似事をしたくなるのでしょう。彼は、その傾向が顕著だというだけのことです。私は、あれとは違います」

 グオは小刻みに頷きながら、ミッヒの隣に立つティモシーに語りかけた。

「なるほど。以前に聞いたとおり、なかなか頑固だね」

「だが、筋は通っているだろう?」

「そうだね。さて、興味は尽きないが、きみ達の頼みに応えるとしようか。それが終わったら色んな話をして、可能であれば、きみの絵を描きたいな」

「それは嬉しい申し出です。約束してください。ただし、アンドロイド人権問題が解決したあとにしてください」

「わかった。約束しよう。では、窓際のテーブルを使わせてもらうよ。ミッヒさんと二人で、単純に、端的に、話を進めたほうが効率がいい」

 ティモシーは自分も参加させてくれと反論しそうになったが、収めて頷いた。聡明なグオは、きっと全てを見透かした上でそう言っているのだと思えたからだ。悩み抜いた挙句に思考が絡まってしまった自分の頭は、話し合いに参加しても何の役にも立たないどころか、阻害物質にしかならない。そう自覚したティモシーは、グオの言葉を受け入れた。

「じゃあ、俺は向こうで子供の面倒を見てるから、終わったら教えてくれ。頼んだよ、グオさん」

「うん。すぐに終わるか、長引くか。どれほどの時間を要するのかは分からないけど、待っていてくれ」

 頷いて答えたティモシーは子供部屋に向かい、ベッドの上でマーガレットとアンドリューがカード遊びに興じている様子を見守りながら、眼鏡型端末で反対派サイト上のメッセージ更新作業に着手した。マーガレットがトランプをシャッフルし始めて、自分と弟だけではなく仕事中の父にもカードを配り始めた、その時だった。突然、子供部屋のドアが開かれた。ドアの方を振り向いたティモシーの目に飛び込んできたのは、グオと話し合いをしているはずのミッヒの姿だった。

「解決法が決まりました。私とグオさんの意見は一致していました」

「もう終わったのか?」

「はい。意見のすり合わせをしただけで解決しましたので」

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