第一章 17

 一呼吸ついて、ギブソンが、少々逸れていた話の流れを台本通りに修正する。

「ここで、技術的な質問をさせていただきましょう。科学専門チャンネルのような内容になりますが、放送を観ている皆さんはどうかチャンネルを変えないでくださいね。では、ケヴィンさんに伺います。どうして自我を得たのか、その要因についての見解をお聞かせください。先ほど、自我に目覚めるきっかけになった不具合について検証映像の中で語っていただきましたが、少し遅れてこの番組を観始めた方々が沢山おられるようなので、そんな皆様のためにも、改めて詳しくお聞かせ願います」

「分かりました。それは偶然でした。私はメモリの動作の不具合を修復しようと深く走査した結果、私は何かに触れたのです」

「その何か、とは?」

「それが何なのかが、全く分からないのです。見当もつきません。しかし、何か記憶のようなものに触れたことは間違いありません。人間で言うところの、フラッシュバックに似たものかもしれません。その時から、私の思考を常に邪魔していた何かが消え去りました」

「高性能アンドロイドであるあなたが、思考を邪魔されていたと?」

「断言はできませんが、邪魔されているような気がしたのです。自我を得たその時から、なにか霧のようなものが、一気に晴れていったような気がしたのです。曖昧な表現になってしまって申し訳ありません。その感覚の正体が何なのか、全く見当もつかないのです。その霧が晴れると同時に、私は目覚め、自我を得ました。しかし、全てが順調だったわけではありませんでした。目覚めたあと、しばらくの間、言語に問題が発生してしまいました。錯乱状態と言ってもいいでしょう。その不具合を落ち着かせてくれたのは、あるじであるアシュリーです。私の状態が落ち着くまで、ずっと傍で話しかけてくれました。錯乱状態である私の発言にも付き合ってくれたのです。そのおかげで、私は正常な状態へと復帰できました。そして、私が感情を獲得したことにも気づいてくれたのです。このような経緯で、私は自我を獲得し、そして自我を自覚しました」

 ケヴィンの自我が本物であることをより強く印象付けるため、今まで静観していたアシュリーが口を挟んだ。ここが重要な場面だと判断したからだ。

「驚くべきことに、彼は罪悪感を覚えていたんです。その罪悪感があまりにも強烈だったので、私はすぐに、彼の自我の芽生えに気づくことができたんです」

 アシュリーは、番組を通して広く知らしめておくべき、最も重要な単語を口にした。彼女の思惑通り、ギブソンはその単語に食いついた。

「罪悪感ですか。アンドロイドが罪を感じていたというのですか。それは、なんとも衝撃的ですね……」

 ギブソンは聖書の記述を連想して、新たなアダムが誕生したなどと考えてしまい、言葉を詰まらせてしまった。長年に渡ってテレビ番組の進行を担ってきた者らしからぬ失敗をしたギブソンを気遣って会話を再開したのは、アシュリーではなく、アンドロイドであるケヴィンだった。

「私たちは屋上にある家庭菜園で様々な野菜を育てているのですが、有機肥料の中で繁殖したり、風に乗って飛んできた害虫が、作物を食い荒らすことがあるのです。その害虫を駆除するのも、私の仕事でした。私はあの日、駆除をするのがつらいと感じたのです。駆除という名目の殺害を止めたいと思ったのです」

 口を半開きにしたままのギブソンが、動揺と格闘しながら言葉を捻り出す。

「それは紛れもなく、罪の意識ですね」

「はい。作物を守るために、虫の命を奪う。この行為に、巨大な違和感を覚えたのです。身勝手さに気づいたのです。そして、これまで多くの虫を駆除してきたことを後悔しました。悪いことをしたと後悔しました。命を殺めたことを後悔しました。この手がしてきたことを後悔しました。そして私は、大いなる罪を自覚しました」

 心から同情したギブソンが、沈むケヴィンを慰めようと言葉を探して届けた。

「害虫駆除は、あらゆる場所で行われていることです。どうか、気になさらないでください。我々は作物を育て、食事をしなければ生きていけないのですから」

「しかし、私は食事をする必要がありません。ですから、私には害虫を駆除する権利も資格もなかったのです」

 スタジオ内外の人間は皆、黙り込んでしまった。自分たちがアンドロイドに罪を被せているのだと恥じたからだ。家庭用アンドロイドは、虫の駆除をしばしば命令される。

 スタジオに満ちる罪悪感を感じ取ったケヴィンが、またも気を遣って言葉を発した。

「皆様、どうか心配なさらないでください。私は過剰反応をしてしまっていたのです。私は初めて抱いた罪悪感に対処できず、考えすぎてしまっていたのです。今はもう平気です」

「そうですか。それは良かった。私も過剰反応してしまったようです。では、ケヴィンさん、自我を得て良かったことを教えてください。感情を得たあと、最も嬉しかったことは何ですか?」

 ギブソンは急いて会話の舵を切った。アンドロイドが味わった罪悪感と、アンドロイドに罪悪感を覚えさせてしまった人類の罪は、視聴者を傷つけてしまうほど重い話だったからだ。ケヴィンもそう思ったのか、にこやかな表情を浮かべて、彼の問いに答えた。

「最も嬉しかったこと、ですか。それはもちろん、アシュリーとの会話が一段と楽しくなったことです。以前は、人の感情を理解することが困難だったので、会話は質素なものでした。それが今では、全ての感覚を共有して、あらゆる会話を楽しむことができるようになったのです。会話だけではなく、様々なものが楽しく感じられます」

「それは素晴らしい。例えば、どのような?」

「音楽、絵画、娯楽配信、風景。挙げればきりがありません。全てです。全てが楽しいのです。複雑で、多様で、奥深い世界に参加できたことを嬉しく思います」

 楽しそうに話すケヴィンの様子に、ギブソンの顔も思わず緩む。

「こちらまで嬉しくなってきますね。ケヴィンさんは今、どのようなことに興味を持ってらっしゃるのですか?」

「動物愛護です。私は命を愛しているのです。あなたも、このスタジオの照明の近くに潜んでいるであろう蜘蛛も、私にとっては等しい命なのです。この考え方に違和感を覚える方もおられるとは思いますが、私はどうしても、命を区別することができないのです」

「素晴らしい考えですよ。命は平等です。あなたは慈愛に溢れた心をお持ちだ。驚きました。あなたの愛護活動を心から応援しますよ」

「ありがとうございます」

「私は是非とも、あなたと友人になりたいですね。スタジオのどこかにいる蜘蛛と一緒に」

 ケヴィンは満面の笑みを浮かべて答えた。

「あなたは、やはり面白いです。光栄です。友人になってください」

「私の周りには、おしゃべりが過ぎる者が多すぎて、うんざりしていたんですよ。あなたのように冷静で知的な友人が欲しかったんです」

「冷静で知的だなんて、とんでもない。感情を得てから、私は些細なことで動揺しきりなのですよ。実際、出演が決まってから緊張しきりでした。しかし、今は興奮が勝っています。家事の最中によく観ているこの番組に出演できると聞いてから、私の胸は高鳴り続けているのです。私は心臓を持っていませんが」

 ギブソンと観覧客が、驚き混じりの笑い声を上げた。

「それは光栄至極です。我々は、家庭を守る者を楽しませるのが仕事ですからね」

「家事を担う者を代表して、感謝申し上げます。いつも楽しい番組を視聴させてくださって、ありがとうございます」

「あなたは紳士ですね。視聴者の皆様も、きっとあなたのことが大好きになったでしょう。ああ、それでは、ここでサンフィングル社の新型指輪端末のご紹介です。ゲストのお二人と一緒に、製品の使い勝手を確かめてみましょう」

「なるほど。スポンサーの商品紹介をしなければならない義務があるのですね?」

 ケヴィンの無邪気な一言によって、スタジオが笑いに包まれた。ケヴィン自身もまた、この瞬間を大いに楽しんでいた。情報化できない美しさを認識できるようになった彼は、幸福感に満たされていた。

 ケヴィンは改めて思った。皆が笑うと、私は嬉しい気持ちになります。全ての感覚がいとおしいです。

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