5
ヘンリーは先のことを見越して、あらかじめクーレルに根回しをしていたそうだ。クーレルは兄とは違い、いずれは侯爵家を出る身として勉学に勤しんできた勤勉家で、最初こそは兄を蹴落としてまでは侯爵になどなりたくもないと言っていたそうだが、ヘンリーの説得と、領民への責任もあり爵位の継承を引き受けた。
事件の事後処理があらかた片付いてライルがことの顛末をコーディアに語ってくれたのだ。
現在コーディアはライルと二人きり。
真正面に座るライルの語りを聞き終えたコーディアはほうっと息を吐いた。
「お父様が裏で色々と暗躍をしていたんですね。なんだか探偵小説に出てくる密偵みたいです」
コーディアは好きな小説のシーンを思い浮かべる。仕事で連絡が取れないと言っていたのは全ては秘密裏にことを運ぶためのカモフラージュで、ずっと親族の元を回っていたり、証拠固めをしていたからとのことだった。親族に口止めまでしていたのだから彼の本気度がうかがい知れる。
「これできみの不名誉な噂も解消された」
「はい」
コーディアは控えめに微笑んだ。
大変な事件に発展したのだからあまり喜んでもいられない。なにより評判を重んじる貴族社会であってはならない醜聞だ。
「ところで……ライル様」
「どうした?」
コーディアは今日こそはライルに意見しようと意を決した。
「いつになったらわたしの自宅謹慎は解けるのでしょうか? もうすっかり元気です」
「まだだめだ」
「……」
コーディアは不満げにライルを見つめた。
そう、現在コーディアは絶賛自宅軟禁中なのだ。
理由は簡単。夜風に当たったコーディアはあのあと、少し体調を崩したからだ。
慌てたデインズデール一家とヘンリーはコーディアを過剰なまでに看病し、寝台に縛りつけた。
ほんの少し体がだるいかも、というくらいのことだったのにみんな大げさなのだ。
ライルは特にそれが顕著でコーディアがこうして回復をした今でも冷たい冬の風に当たることを良しとしない。季節はすっかり晩秋で、本格的な冬はすぐそこだ。
「運動も適度にしないと体が弱くなるってお医者さんも言っていましたよ」
大体これから毎年冬を経験していくのに、こんな過保護でどうするのか。
と、考えてコーディアは自分の胸が痛くなった。
今回のことで彼がマックギニス家との縁組を取りやめるかもしれないからだ。
「どうした?」
コーディアが下を向いたため、ライルが不思議そうに尋ねた。
「ええと……その。ライル様はお優しいので、言い出しにくいかもしれませんが……」
コーディアは震える心を叱咤する。
ここは自分から切り出すところだろう。彼のためにも、そのほうがいい。
「今回のことでライル様まで評判を悪くしてしまうかもしれません。わたしのことは、その……気にしなくてもいいのでどうぞ気兼ねなく婚約を破棄してください」
言ってからコーディアはちゃんと全部言えたことに胸をなでおろした。
ずっと考えていたことだった。(なにしろ考える時間だけはたっぷりとあった)
きっと彼にならもっとふさわしい相手がいるはずだ。自分みたいな異国育ちの娘を娶ったら彼がこの先苦労するだろうし、しかもマックギニス家への風当たりは現在とても強い。そんな家にゆかりのある娘をわざわざ娶る必要なんてないだろう。
ライルはコーディアの意見を聞いた後、黙り込んでしまった。
たっぷり十秒は黙った後、彼は口を開いた。
「それは……私のことを男として魅力がないと思っているからか? 私が夫では物足りないと?」
「へっ?」
なんとも筋違いな質問をされコーディアは間抜けな声を出す。
今はそういう話をしているわけではない。
「きみが、母上からひと月の間に私のことを見極めて結婚するかどうか決めてもいいと言われたことは聞いた。けれど、ひと月なんて早すぎだとは思わないか?」
「え、ええと……たしかに、そんなことも言われましたが……」
ライルはずいと身を乗り出した。
あれからエイリッシュは何も言ってこないから、コーディアも疑問に思っていた。けれど、自分の方から切り出すこともできないし、日が経つにつれてコーディアはライルと離れがたくなっていった。
「それともきみは、ムナガルが恋しいのか? あばよくばこの機会にあちらへ帰りたいと……そう思っているのか?」
「確かに、懐かしいです。わたしにとっては故郷のようなところですから。いつか、旅行で訪れたいと思います。でもわたし、父から話を聞きました」
「話?」
「両親の想いです」
体調が回復をした後、ヘンリーが屋敷を訪ねてきた。彼は今までほったらかしにしていた自身の仕事で現在多忙を極めている。そんな中、時間を作ってコーディアの元を訪れた父ヘンリーは、彼自身の気持ちをコーディアに伝えた。
コーディアが生まれたときから、母ミューリーンはいつかコーディアが娘に成長したらインデルクに連れて行きたいと願っていたと聞かされた。
わたしの思い出がたくさん詰まった場所を子供たちにもみせてあげたいわ、と。
ヘンリー自身、自分の留守中に心細い中病に倒れた妻には謝っても謝り切れなかった。一人で長男を看病し、死んでいった妻。はやり病のため、亡くなった者たちは共同で荼毘にふされ、共同墓地に埋葬された。ヘンリーが規制解除されたムナガルへ戻ったときにはすべてが終わった後だった。
彼は妻を連れてムナガルへやってきたことを心底悔やんだという。
それもあって、コーディアの夫はディルディーア大陸に住み、あちこち飛び回らない男という条件で探したのだと。
「わたしは、この国で生きていきます」
コーディアははっきりと決めたのだ。
もうこの地を自分の住まいにすることを。冬の寒さにめげてしまうかもしれない。空の色だってムナガルの方がずっと濃くて澄んでいる。色鮮やかな鳥がきれいな歌声を聞かせてくれて租界の建物はみんなカラフルに塗られていた。寄宿学校から見える港の風景が懐かしい。
けれどコーディアはケイヴォンの街ににぎやかさだとか、淡い青色にうすく白を伸ばしたような雲のかかった空や、近所の公園に姿を見せる可愛らしいリスも好きになったのだ。
「だったら、私のところに残ってほしい。きみがこの国に留まる予定なら、私と婚約を解消する必要もないだろう?」
ライルにしては切羽詰まった声だった。
「で、でも……」
ライルに迷惑が掛かってしまうのは嫌だ。
コーディアはライルのことが好きなのだ。この人だから離れがたいし、触れられても平気。コーディアはいつの間にかライルに恋をしていた。
だからこそ。
好きな人にとって何が一番いいのか、それを考えた結果が婚約解消という結論なのに。
「きみが私のことを友人くらいにしか思っていないのは分かっている。けれど、私はきみと婚約して結果よかったと感じている。コーディア、このままインデルクに残るつもりだというのなら、私との結婚を考えてほしい」
ライルは饒舌だった。
いつも以上に言葉を紡いだ。
ライルは立ち上がり、コーディアの座るすぐそばに膝まずく。
ライルはコーディアの手を取った。
騎士のようだと思った。
小さいころ読んだ本に登場した高潔な騎士のようなしぐさ。
「私はきみが好きなんだ。私の妻になってほしい」
聞き間違いだと思った。
ライルがコーディアのことを好きだと言った。
「で、でも……わたしとこのまま婚約をしていたら、あなたに迷惑が……」
嬉しかった。ずっとコーディアはライルが親切なのはコーディアが彼に与えられた婚約者だからだと思っていた。
それなのに言葉に出たのはやんわりとした拒絶の言葉。彼の今後のことを考えると素直に頷くことができない。
「そんなもの、関係ない。あれはローガンの罪であってきみには関りの無いことだ。そのことは皆が知っている」
「でも……」
「コーディア、今はきみの心を知りたい」
ライルに言葉を遮られ、コーディアはついに観念した。
「ずっと、あなたが優しくしてくれるのは、わたしが……決められた婚約者だからだと思っていました……。だから、そう思うたびにわたしの胸はずきずきしていました」
コーディアは自分の心の内を吐露した。
ずっとずっと思っていた。彼が優しいのは自分が彼の婚約者だったから。彼は義務感でコーディアに対して気遣っていたのだと。コーディアがインデルクの生活に慣れないから。彼に余計な気を使わせているのだと。
ライルは黙ってコーディアの言葉に耳を傾けていている。
「だから、その……あなたの口から婚約者だからと言われるのが好きではなくて……。その……今も夢を見ているようです。わたしもライル様のこと……す、すす好きになっていったので……」
最後はしどろもどろだった。
彼の想いに自分のそれを重ねたいと思った。
「それは、コーディア、きみも私に浅からぬ想いを抱いてくれていると思っていいのだろうか?」
「い、いま……言いましたが」
コーディアは顔を真っ赤にした。
さすがに二回目を面と向かって言うのは照れてしまう。
「私もずっと思っていた。きみはおとなしいから……嫌だと言えないのだと。婚約者が私のような男で本心ではどう思っているのかと」
彼の迷うような言葉を聞いて、コーディアは自分たちが同じような想いを相手に対して抱いていたのだと知った。
「そんなこと、ありません。わたし、ライル様のことお慕いしております」
「コーディア」
「はい。なんでしょうか」
「抱きしめてもいいだろうか?」
ライルの申し出にコーディアはさらに顔を赤くしたが、だいぶ間を開けてからこくんと頷いた。
するとその直後、彼の胸に向かって腕を引かれた。弾みをつけて立ち上がると、彼の胸に抱きかかえられた。
すぐ近くに感じるライルの暖かさにコーディアの体は固くなる。しかしそれもわずかなあいだで、コーディアはすぐに体を弛緩させた。彼にそっと頬を寄せると、自分を抱きしめるライルの腕の力が強くなったよう気がした。
ライルの使っている整髪料の香りが鼻腔をくすぐる。
きっとこれからはこの香りが当たり前になっていく。
ぎゅっと背中に回された腕が愛おしい。
コーディアはそっと目を閉じた。
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