(3)

 やがて一向は、沢山の木々に囲まれた白い教会のような建物の前に辿り着いた。

「さ、着いたわよ。ここが『虹の架け橋』と呼ばれる『虹の羽根』の本部に当たる建物よ」

 真っ先に自分が降りて、説明しながらディアナとソリスを下ろすレイデット。

 郵便受け付きの木の柵が周辺をぐるりと囲んでいる。道路から玄関までを繋ぐ道。その両脇には家庭菜園。小さな木のたて看板が差してあり、植えている物の名称が書かれていた。その間を通って玄関に立つと、ドアの上には『虹の架け橋』と手書きで書かれた看板が掛かっていた。

「じゃあ、いよいよ御対面なわけだけど、お願いだからここまで来て逃げたりしないでね」

 苦笑交じりに振り返って忠告される。

 正直、ディアナはどうか知らないが、少なくともソリスには逃げる気力はもうなかった。

 レイデットが鳥の翼の形をしたノッカーを叩く。

 暫しの沈黙。やがてばたばたと駆け寄って来る音がしたかと思うと、

「いらっしゃい! 待ってたよ!」

 満面の笑顔を浮かべてイオラインがドアを開けて現われた。

「まぁ、可愛らしい」

 その後ろからシャルレイシカが現われて、両手を頬に当てて柔らかい笑みを浮かべる。

「さ、入って入って。疲れたでしょ」

 イオラインがドアを押さえ、シャルレイシカが二人の手を取って、楽しそうに引きずり込む。それこそ、長年会えなかった友人を出迎えるような歓迎に二人が面食らっていると、その後ろでイオラインがレイデットに御礼を言っているのだけは何とか聞き取れた。

「さ、ここに座って。お菓子が口に合うかしら?」

 二人が通されたのはリビングだった。四角いガラスのテーブルを挟むようにして、ソリスとディアナ。向かいにシャルレイシカとレイデット。上座にイオラインが座った。

 落ち着いた色調の部屋だった。だが、ある意味、連れ込まれた格好になった二人にして見れば落ち着くことなど出来るものではない。自然と体は緊張に強張り、表情も引き攣ったものだった。

 自分達は一体どうなるのだろうか? 

 どこかホッとした様子の大人達を見回してソリスは思う。

 自分はこんなにも臆病な人間だっただろうか? と自問自答さえする。

 前はもう少し強気だったはずだと結論を出すが、だからと言って今すぐ開き直ることも出来ない。相手には自分達が『アビレンス』だと言うことがバレているのだ。当然その対策も考えているはずだし、だとしたら、不意を付くことは出来ない。やるなら徹底的にやらなければならないが、心が乱れている今の自分に上手く力が操れるのかという疑問が付き纏う。自分達は今まさに敵陣の真っ只中にいるのだ。下手な動きは即、死につながる。

 だとすれば、相手の油断を誘って一気に攻めるなり、逃げ出すのが一番いい! とは思うものの、チラリとイオラインを盗み見れば、その思いもあっさりと消え失せた。

 イオラインがホッとした顔をしていた。自分達が危ない目に遭ったりしたとき、無事だと知ったときに浮かべるタザルと同じ顔。

 それを見てしまったなら、ソリスの気持ちが萎えてしまった。

「さて。無理矢理連れて来るような真似をしてしまって申し訳ない。僕が一応『虹の羽根』のまとめ役のイオライン。よろしく。で、彼女がシャルレイシカ。で、その隣がレイデット。多分手荒な真似はしなかったと思うけど、大丈夫だったかな?」

「してないわよ」

「だよね」

 間髪いれず即答して来るレイデットに、苦笑交じりに返すイオライン。

 もう、聞くことなどなくなったタザルの声が当たり前のように耳を打つ。

 見ればそこにはタザルと同じ顔をした赤の他人のイオライン。

 頭では別人だとは分かっていても、どうしても心が落ち着くのは、タザルに対する裏切りなのか、タザルが用意してくれた身代わりに対する気持ちとして適当なものなのか、ソリスには分からない。

 分からないままに、悲しくなっていた。

「じゃあ、まず先に君達にこれを返しておくよ。ソリスという名前の子はどっちだい?」

 と言って差し出された物を見て、ソリスは隠す暇もなく目を見開いた。

「そ、それ!」

 思わず身を乗り出して手を伸ばす。

「ああ、君がソリスなんだね。はい。あの場所に落ちていたんだ。すぐに呼び止めたんだけど聞き入れてもらえなかったから、預かっていたんだ。

 君達を呼んだのは、これを返すためって言うのもあるんだけど…………、本当に大切なものだったんだね」

 半ば引っ手繰るようにして奪い取ったブローチ。それを両手でギュッと握り締めて心の底からホッとする。

 ああ、タザルが帰って来てくれた。まだ見捨てられていなかった。

 そのことが嬉しくて、嬉しくて。緊張していた分、絶望していた分、泣きたくなるほど嬉しかった。

「今度は失くさないようにしっかりとしまっておかなくちゃならないよ。『銀の鬣』に帰るときは必要になるものだろうし」

「……知ってて私達を連れて来た目的は何」

 ライオンの横顔が彫られた銀細工のブローチが『銀の鬣』と言う名前の盗賊だと言うことは大抵の者が知っている。ゴウラが反乱を起こす前なら英雄視さえされていた名前だが、今となっては恐怖の代名詞。

 そんなものを持っている人間を抱きこむことは自殺行為に他ならない。例えそれが匿ってくれたと言うものであっても、付け入られて乗っ取られる。少なくともゴウラの耳に入れば確実にアジトとして奪われる。

 『銀の鬣』のブローチを見たならば、生き延びる手はただ一つ、『審判者』に通報して排除してもらうこと。だというのに、ここの人間達は通報するどころか保護しようとしているようにしか見えず、狙いが分からないディアナにして見れば聞かずにはいられないことだった。対してイオラインは穏やかな表情を浮かべて答えた。

「……目的、と言う目的はないんだけどね。何だか今『銀の鬣』は大変なことになっているって話自体は聞いているし、何か困ったことがあるのなら助けてあげようと思って」

「……だから、何故?」

「前に約束したからだよ」

「約束?」

 当然と言わんばかりの口ぶりに、思わずソリスが訊ねれば、イオラインは信じられないことをサラリと答えた。

「そう。タザルと約束したんだよ。知ってる? タザルって男の人」

 知ってるも何も、にわかには信じられない発言に、ソリスは口を開いたまま言葉を失った。

「ああ。どうやらその顔、知っているみたいだね。

 じゃあ、話は早い。僕の顔、そのタザルって人に似ているだろ?」

「似ているだろ……って言うか、声も背格好も、瓜二つ……」

 半ば呆然とソリスが答えると、イオラインは一つ頷いて、懐かしむような口調で続けた。

「それでね、何年前かな? 僕がタザルと間違えられて捕まったことがあるんだよ」

「え?」

「あのときは大変でね。いきなり『銀の鬣』のタザルだな!

 って言われて捕まって、牢屋に入れられたんだ」

「ああ、あったあった。誤解を解くのに三日も掛かったのよね、そのとき。本当に大変だったわ」

「そのときにね、タザルが会いに来たんだよ。薬を盛って、看守を眠らせてね。

 僕は僕でどうやって誤解を解こうか考えていたら呼び掛けて来る声がしてね、見れば鉄格子の向こうに自分と同じ顔がある。薄暗いから髪の色とか眼の色とか暗く見えるから、一瞬僕は幽体離脱でもしたのかと思ったんだ。

 そしたらもう一人の僕が言ったんだよ。

『町に来たら驚いた。《『銀の鬣』のタザルを捕縛。五日の後に裁判を行う!》何て貼り紙が至る所に貼られていたからな。

はて、『銀の鬣』のタザルはここにこうしているわけだが、勘違いで捕まった気の毒な男はどんな男かと思って見に来たんだが、なかなかどうして、これは間違う』

 僕も正直あそこまで似ているとは思わなかったからね。二人で本当に驚いたんだよ。

 そしたらタザルは僕に謝ってくれたんだ。同じ顔のせいで迷惑掛けたって。何とか誤解を解くから、もう少し我慢していてくれって。

 普通なら、身代わりにして自分は自由の身になれるって言うのに、わざわざそんなこと言ってくれてね。実際その後タザルが大騒ぎを起こして、結局僕の疑いは晴れたんだ」

「ああ、それであんなことやらかしてたんだ」

 と、レイデットが相槌を打つ。

「で、そのとき少し話をしてね。タザルに頼まれたことがあったんだよ」

「……それが、約束?」

「そ。同じ顔なのも何かの縁だ。自分に何かあったら仲間の事を助けてもらえないかって。自分のとばっちりで捕まったような僕に、図々しい頼みだってことは良く分かっているんだが、どうしても頼んで置きたいって。

 だから僕は理由を聞いたんだ。そしたら彼は言ったんだよ。

 絶対に守るって約束した小さな女の子達がいる。でも自分は、商売柄どうなるか分からない。義賊って言っても所詮は盗人。英雄視されていると言っても、所詮は日陰の人生だ。いつか日のあたる場所に出るとき、俺が一緒だと何かと問題があるかも知れないし、俺自身がいつどうなるか分からない。だから、もしそんな日が来たら、その子たちの事を助けて欲しいんだって言っていた」

「……うそ」

「そう。きっとその子達は信じないとも言っていた。だから信用を勝ち取るまでは時間が掛かるかもしれないって言っていたよ。いくら顔が同じでも、声が同じでも、何もかもが同じでも、俺とお前は別人だから、少なくとも俺が信用を勝ち取るに掛かっただけの時間は掛けてもらわなくちゃ俺の立つ瀬がないってね。

 だから、すぐには懐かないかもしれないし、疑われ続けられるかもしれないが、それでも、助けを求めてくるようなことがあったら、助けてやって欲しい。彼はそうやって言っていた。それが交換条件だって。

 だから僕は答えたよ。君の代わりにはなれないかもしれないし、最後まで信じてくれないかもしれないけど、でも、約束するって。その子達に何かがあったら、君に何かがあったら、必ず君の代わりに守るって。

 だから僕は君達をここに連れて来てもらったんだ。半ば強引で怪し過ぎるかもしれないけど。いきなりこんな話をされたところで信じられるわけがないってことも分かっているけど。でも、これは約束だったから。

 出て行きたいなら出て行ってもいい。君達の意志は尊重して欲しいって言われていたから。でも、出来ることなら少しの間だけでもここにいてもらいたいと思っている。

 君達の指名手配書はここまで来ているからね。もう暫くは大人しくしていないとすぐに見付かってしまうから。だからと言って今更『銀の鬣』にも帰り難いだろうし。

 だからね、少しの間我慢して欲しいんだ。何を思っていても構わない。僕達は君達を売ったりしない。ここにいる限り全力で守るから。だから、僕に彼との約束を果たさせてくれないか?」

 イオラインが話し終わる頃。ソリスは強くディアナに手を握られて、初めて自分が泣いていることに気がついた。

 同じ顔で、同じ声で紡がれたイオラインの言葉。だが、同時にそれはタザルの言葉でもあった。ソリスは途中からイオラインではなくタザルの顔を見ていた。

 タザルは自分達のことを心配していてくれた。自分の身に起こることも薄々分かっていた。まるで遺言のような言葉。イオラインは出逢うべくして出逢った人間。タザルが引き合わせてくれた人間。離れていても心配してくれるタザルの気持ちが嬉しかった。頼るべき人間を残していてくれたことが嬉しかった。何故『虹の羽根のイオライン』を頼れと言っていたのか、その理由が今分かった。

 だからこそ、知る。もうタザルは本当にいないのだと。そのことが悲しくて、ソリスは泣いた。ディアナは唇を噛み締めて、強くソリスの手を握って俯いていた。

 誰も声を掛けなかった。好きなだけ泣いて良いという了解。ソリスは自分を止める術もなく、ただひたすら泣いていた。


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