3. MASTER

コッチが示した座標は日本のある県の県庁所在地だった。

「なーんだ。意外と近いじゃん」

「だな。北欧だったらどうしようかと思った」

「行く気満々なの?」

「乗り掛かった船だろ」

面倒は嫌だって言ったくせにと思ったけど、本当は彼の面倒見がいいことなんてもうとっくに知ってる。じゃあ行こう、次の休みに。言いながらその座標をマップに入力する。海に面したとある街。工業地帯と呼んでいいような場所。座標の指した地点は、衛星からの映像を見る限りなんかでっかい建物だった。


私の次の休みは土曜日。ヒデアキの店は休日ではないけど、どうせ誰も来ねえよと貼り紙一枚で臨時休業。そういうのちょっとうらやましい。

電車を乗り継いで約2時間半、衛星画像で見たでっかい建物の前に立った。風が強い。海が近いからかな。企業名もないし警備員もいないけど、見た目はなんだか研究所のような。

「インターフォンとか……ないねえ」

「ごめんくださーい」

ヒデアキが大きな声で叫んだ。開くわけないけどとりあえず。

「ごめんくださーい」

「ゴメンクダサーイ」

私とコッチも真似をする。と。

ウィーン。音がして目の前の大きな扉が開いた。私たちを招き入れるようにチカチカと光るLED。

「開いたよ……」

「マジかよ……」

二人して顔を見合わせてしまった。だって、まさか開くとは思わないじゃない。

ぴょこん、とコッチが私の腕の中から降りて地面に着地した。

「ココ、コッチの庭。案内スル、着いてキテ」

「そうか。コッチがいたから開いたのか」

コッチの音声が認証コードになっているのかもしれない。ヒデアキが納得したように呟く。それはいいけど怪しさ満点だ。ほんとに入る?躊躇したけど。

「あっ、こら!待て!!」

きゅるるるると走っていってしまうコッチをあわてて追いかけるヒデアキを追いかけて、私も足を踏み入れた。

コッチの姿はだいぶ小さくなっていたけど速度はそう早くない、すぐに追い付いた。道案内の少し後ろを着いていく。ヒデアキはしゃべらない。建物の内部を注意深く見ていて、ああ、確かにこんなに機械的な建物は興味深い。カツンカツンと足音を鳴らしてしばらく進んだ、その先にいたのは。

「……いらっしゃい、カザネ。待っていたよ」

北欧まで探しに行った、その人だった。


「ナオユキ!ナオユキ!」

コッチが駆け寄っていく。ぴょこんぴょこんと弾んで、彼のまわりを跳びまわる。

「なんでコッチがマスターの名前を……?」

「だってこれ、僕が捨てたから」

マスターはコッチを抱き上げ、背を撫でながらふんわりと笑った。

「コッチを拾った酔狂な若者がここに辿り着くように細工をしたんだ。それがカザネだったら面白いなと思って少し痕跡を残したのだけど、実現して大いに嬉しい」

まさかヒデアキを連れてくるなんて思いもよらなかったけど。

言いながら彼は横にある背の高い椅子に浅く腰掛けた。傍らにはでっかいデスクトップ。ディスプレイが6つもくっついてる。あんなの初めて見た。

「……なんでそんなことを?」

「秘密を教えるため。もちろん、その資格があるかは試させてもらうけどね」

マスターの細くて長い指がキーボードの上を踊って、最後に入力キーをすとんと押した。コッチの目が鋭いピンクに光る。そしてマスターの腕からふわりと浮いて、両脇のパーツが少し開いて、そこから折り畳み式の刃が出て来て。

「えっ、コッチ飛ぶの?!」

「バカ、避けろ!!」

変形し襲いかかってきた。光る刃。ガキィン、と弾く音。私をかばうように前に出たヒデアキ、その手に握られたナイフの音。刃渡り20cm弱の折り畳みナイフ。護身用、というより機械いじりに使ってる愛用の。

「すごい……コッチ飛ぶんだ……」

「いいから前見ろ前!!」

旋回して戻ってくるピンクのうさぎ。避けて、刃を弾いて、戻って、それを何度か繰り返して、

「このバカウサギ……!!」

目が慣れてきたのか、ヒデアキがコッチの耳をつかんだ。じたばたと上下に動くコッチの刃がヒデアキの頬をかする。ぽたりと落ちる赤いもの。でもヒデアキは離さない。きゅるるるる。

「やめてヒデアキ!」

ナイフを突き立てようとするヒデアキを思わず制した。

「止めないと怪我じゃすまないだろ!バッテリーを分離する」

「はは、的確だねぇ。でも気を付けて。トカゲの尻尾切りって知ってるかい?」

シャキン。鋭い音と刃がはためくのが見えた。コッチがつかまれた耳を自分の刃で断ち切ったのだとわかった。

反動でヒデアキがバランスを崩した。ぽよん、コッチは弾んでまた飛んでくる。両脇の刃は鋭く光って、ピンクの目が光って、もうそれはコッチじゃないみたいなーーー

「カザネ!!!!!」

突き飛ばされて衝撃が走るのと、ヒデアキが弾き飛ばされるのはほぼ同時だった。

飛んだ。ヒデアキの左腕が、冗談のように飛んでいった。

血が出る、と思った。止血を。でないと死んでしまう。ヒデアキが死んでしまう!

それは嫌だと心の中で叫びながら夢中で駆け寄った。どうしよう、とにかく逃げて救急車を、と思ったのに。

バチバチと散る火花。ヒデアキの腕の傷口から出ていたのは、血液ではなかった。


……聞いたことはあった。この社会にはロボットが紛れ込んでいるというまことしやかな噂。そうだったらどんなにいいかと、鼻で笑い飛ばした陰謀論。実際本当でも嘘でもどっちでもよいことだった。私の生きにくさは変わらない。

ヒデアキは自分の傷口を凝視していた。見覚えのある赤と緑のコード。電子回路。トランジスタ、コンデンサ。表面は血のようなもので覆われているが、それがごく少量だとわかる。

「ヒデアキ。お前は昔から私に似ていると言われていたね?」

それを嫌悪していたのを知っている。得意なことが同じ、一族のはみ出し者である私と。

「当然なんだよ。だってお前は私だから。私をコピーしたアンドロイドだから」

ヒデアキが大きく目を見開いた。

「今まで気付きもしなかったろう?我ながら良くできている。自信作だよ。ああ、心配することはない。世の中にそういう存在はお前だけじゃない」

「……そんなの、おかしい」

「なにがだ?まさかお前までロボットが人間に近付くのはおこがましいとでも?」

「違う、ロボットが悪いんじゃない。それを本人にすら隠匿したまま人として生きるのがおかしいと言っている!!」

「民衆とは変化を嫌うものでね。新たな差別を生むのは嘆かわしいし混乱を招くくらいなら隠匿しようと、エリート職についたロボットたちがそう決めたんだ」

ヒデアキは必死で現実と戦っているようだった。目の前にはマスターの言葉を裏付けるような自分の体があり、似ていると言われ続けた記憶がある。

「大人の事情というやつだな。そのうちわかる日が来る」

「ロボットなのに?おれは学習できるっていうのか」

「『ロボットは人間からの情報入力なしに学習できない』。その思い込みを無意識のバイアス、偏見などと呼ぶのだよ」

足元に落ちたヒデアキの腕を拾い、机の上に置く。それはもうこの世のものではなくて、何かの芸術やアートのような、そうだ、ドラクロアの描いた腕のように見えた。

「でも、最早我々ロボットと人間を比較することはできない」

コッチがマスターの腕に戻る。

「彼らに人権を与え、納税を義務付け、戸籍を作り、差別をなくすため住民票を始めとしたありとあらゆる記録からロボットであるという標記を消した。それで何が起きたと思う?」

問いかける。まるで授業を進める教師のように。

「この世界はゆっくりゆっくり、ロボットに侵食されていった」

まさか、とヒデアキが呟いた。マスターは笑う。とても優しい顔。

「ようやく気付いたのか?もうこの世界に人間なんて一人も残ってはいないんだよ」

歌うような、朗らかで穏やかな声だった。

もちろん医者という職業の者たちはそれを知っている。健康診断?違うよ、あれはメンテナンスだ。消耗部品を取り替え、フィルターを掃除し、記憶を改竄している。人間はとうに滅び、ロボットだけが人として生きている。それがこの世界の秘密だよ。


脳裏にいつか見た夢の映像が流れた。

カザネは感情が乏しい。まるでロボットのようだ。それはまずい、我々は人間らしくなくてはいけない。なぜならこの世界は。

……上司の声だ。あの、優しい、心配性の上司の。

「…しま……検体の所見に異常はありません」

「処分の可能性は?」

「いえ、まだ大丈夫です。処分を検討するフェーズではありません」

「それはよかった。部下から処分者が出るのは悲しいことだ」

香典を包むのは心が痛むが、それ以上に懐も痛む。

「……大丈夫ですよ、彼女は」

あれは私の記憶だった。処分を検討されていたのはコッチではない。私だったのだ。ロボットとしての挙動が目についたから、私を見てこの世界に疑問を抱く者が出ないように、問題のある個体はそうやって処分されてきたんだ。ああ、ワニグチ先生ありがとう。おかげで私はまだ生きていて、こうしてマスターに会えた。

「じゃあ、出生率の向上は」

「それは当然だろう、完全にコントロールが可能だからね。我々は生殖行為などでは新たな個体を産み出すことはできない」

体外受精。試験管ベイビー。そんなもの、全部嘘だ。

「子供というのはね。動体85%、声帯95%、認識機構と学習機構約50%、そういった割合で片親の個体をトレースして産み出されている量産品だ。残りの半分の半分が比重の軽い方の親、そして残りのいくらかがオリジナル、という名の他の誰かのコピー。ブレンデッド・アンドロイドなんだよ僕たちは」

マスターの視線がヒデアキに向く。

「お前は僕の95%コピーだけどね。正確には僕の15年前分の学習を削ぎ落とした『未熟な僕』、それがお前だ、ヒデアキ」

カザネと仲良くなるのは当然だ。だってお前は僕の劣化コピーだから。

全部プログラム通り。プログラミングされた当然の動き。ヒデアキを失うと思ったときの、あの痛みも?

思わず唇の端がつり上がった。捨てたものじゃない。

「ああ、カザネ。きみの感情を司る回路はいかれているな。こういうときは泣くんだ」

それに比べてヒデアキは優秀だ。世界の秘密にきちんと怒り、カザネのために身を盾にしてみせた。

「とても人間らしい。優秀だよ、ヒデアキ」

この世界はもうとっくに、私の愛するロボットたちに埋め尽くされていたんだ。どいつもこいつも人間のふりをして私に説教をして、なんだお前たちだって人間でさえないじゃないか!

「カザネ、きみの感情回路を修理しよう。少しはこの世界を生きやすくなる」

「マスター」

正面からその顔を見つめた。この人に憧れていた。機械をいじる横顔に、器用に動く指先に、本を読みながら机に伏してしまう寝顔に。恋が何かは今でもよくわからないけど、きっとそれは恋に似ていた。この笑顔を見るだけでなんだか泣きそうになる衝動とか、心臓を握りつぶされるような痛みとか。

……ああ。心臓なんて、ないんだっけか。

「いらないよ。少しくらい生きにくくても、私は私のままでいい」

マスターに恋をしていたかどうかなんてどうでもいい。ヒデアキに恋をする、そんな感情を持つのは嫌だ。死んでも嫌だ。

「そうか。残念だ」

見てみたかったなあ、カザネの中。そう言った彼をヒデアキが嫌悪の眼差しで見る。でもマスターは意に介さない。

「ヒデアキ。カザネが欲しかったらいつでも言え。頭の中さえいじればお前に惚れさせるのは至極簡単だよ。やり方を教えてやる」

「いらねえよ……!」

もう叔父とは呼べなくなってしまった何か、それに向かってヒデアキが声を荒げた。自分が学習すれば彼のようになるらしい。未来の自分。プログラムされた確定した未来。それを目の当たりにして腹を立てるヒデアキは、まるで人間のようだった。マスターは首をすくめる。

「さて、お前たちは世界の秘密を知ってしまった。生きて帰すわけにはいかないな」

ヒデアキが身構えた。またあれが来る。

「……どうする。こっちにはこれしかないぞ」

ヒデアキがナイフを握りしめる。

「それであの、マスターが制御してる機械を壊せる?その隙に逃げよう」

「おれが投げナイフの名手ならな。でも残念ながら得意じゃない」

「いざとなったらマスターをざっくりやるしかないね」

「急所を狙えって?血もあんまり得意じゃないんだけど」

「短刀でも切れ味はいいんでしょ」

「お前ほんとそういうとこだぞ」

「光栄だよ」

少し笑った。互いに視線はマスターに固定したまま。マスターは私たちを交互に見て、ほんのすこし首を傾けた。

「驚いたな。カザネとそんなやり取りができるとは」

「……聞き耳立ててんじゃねえ」

「私とは無理だった。妬けるね、ヒデアキ」

マスターはにっこり笑って、今まさに制御板を叩こうとしていた指を下ろした。立ち上がり、こちらに歩いてくる。

「いいだろう、カザネ。きみに決めた」

You're the WIND BREAKER. 流暢な発音でマスターはそう言った。何かのコード。固有名詞であるその単語。

「PERMISSION」

コッチが光った。

「I check to entry new name, KAZANE HIGASHI. copy that, KAZANE HIGASHI is the WIND BREAKER. KAZANE HIGASHI is the WIND BREAKER.」

「ちょっ、待て!なに勝手に入れて……何をした?!」

「大したことではない。ただカザネを新たなサンプルとして登録しただけだ」

サンプル。私が?

「"WIND BREAKER"とは『空気を破る者』。極めて日本語的な表現だ。英語で言うならそうだな、lnvisible low desperado, outlow, アウトサイダーという類いのものかな。それがただのはみ出し者でなくパイオニアになり得るかどうかは運と実力に左右される。秘密を知った者が何になるか、これはそういうサンプルだ」

運と実力。そんなものあるわけないのに。

「ちなみに私はきみの先代だよ。ロボット技師である私が WIND BREAKER などに選ばれて何をしたか、それはなんとなく想像してもらえると思うけど、まあ今は別の話だ」

ヒデアキの表情が固まった。ロボット技師。この世の人間は皆ロボットである。それならばその仕組みを知りたいと思うのは当然の好奇心なのかもしれない。

「……ここに来た者が条件ならおれでもいいんだろ。カザネは外せ」

「ダメだよ。お前は私だ。結果が類似する。サンプルの意味がない」

ヒデアキはお人好しだ。こんな時にまで私をかばって、さっきだって生身だったら死んでいたかもしれないのに、バカだ。バカ野郎。死んだりしたら許さない。

「それに、カザネを登録しておけばどうせお前は放っておけないだろう?せいぜい二人で足掻いてみるといい。私にはどうしようもなかったこの世界を」

お前たちがどうにかできるなら、やってみればいい。

「足掻くって……何を」

「さあ。この世界の真実を知った上でお前たち二人が何をするか。それをコッチが観察する、それだけのことだよ」

「それだけのこと……」

嘘つけ、とヒデアキは言ったが、マスターは首を振るだけだった。嘘は言っていない。

「私の用は済んだ、行きなさい。……と言いたいところだが、もうひとつだけ。ヒデアキ、お前をそのままここから出すと私が怒られてしまう。おとなしく修理されてくれ」

ヒデアキは近付いてくるマスターを警戒しながらも受け入れた。自分を直すその手際を凝視する。まるで学習するかのように。

「いいぞ。まわしてみろ」

嘘のように元に戻った肩をまわしてみろと促されて、ぐるり。

「……軽い」

「だろうな。次からは自分でできるな?」

「やるよ。あんたの世話になるのはごめんだからな」

マスターは満足そうに頷いてコッチをデスクトップの前に下ろした。何かコマンドを囁いて刃を収納させ、耳を着け、外観を元に戻して私に差し出した。

「僕だと思って大事にして」

「……うん」

受け取ってぎゅっと抱きしめると、隣にいるヒデアキがコッチをにらんだ。きゅーん、身を縮めて鳴く。かわいい。

「どうどう、ハウス。怖くないよ」

「妬くなよヒデアキ」

「うるせえよ死ね」

帰ったら分解して刃は取り出すからな。心配することはないよ、切り刻まれたって僕らは死なない。やる前提じゃねえか、気分の問題なんだよ!マスターとヒデアキのやり取りにあたたかな気持ちになるけど、これだって気のせいだ。私はロボットなのだから。

「ねえマスター。また来てもいい?」

「いいけど、ヒデアキが怒るんじゃない?」

「そうなの?」

「……好きにしろよ」

くるりと背を向けて先に歩いていく。ごく自然に、その背中を追おうと思った。

「それじゃあ、さようなら。マスター」

「さようなら、カザネ」

コッチを抱き締めて身を翻した。たぶんもうマスターには会わない。でも寂しくなんてないよ。

「待ってよ。早いよ」

「なんだよ。ゆっくりしてくればいいのに」

「そうなの?本当にそう思ってる?」

「……行間を読め」

ウィーン、と扉が開く。LEDがチカチカと光る。さようなら、そう言っているように見えたけど気のせいだろう。扉をくぐって外に出る。空が青い。

風が吹いた。ここに来た時と同じ風が。

「これから、どうする」

「どうもしないよ。生きていくだけ」

真実を知っても知らなくても、何も変わらない。この世界が間違ってるとも、正そうとも思わない。

「……帰ってゲームでもするか」

「うん。今日も派手に爆散してやろうよ」

「コッチ、ゲーム、スキ!ヒデアキ、カザネ、スキ!」

「うるせえ」

いつものように、並んで地面のタイルを踏んで。

そうして私たちは、これからも生きていくんだ。

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WIND BREAKER 小早川 @kobayakawa_d

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