第117話殺す覚悟と逃げる覚悟


 この寂しさはきっと孤独のせいなのかもしれない。

 いよいよ自分が分からなくなりそうになる感覚は、人とは違うモノになる、という集団からの逸脱からくるもので、俺は今正しく人間としての死に近づきつつある。


 “人と違う”というのは恐怖であり孤独だ。そして人は恐怖よりも孤独を恐れる。孤独を恐れるのは人としての本能であり、生死を分かつ重要な問題だ。集団からの逸脱は人間として脆弱性を強め、自らの死を招く。だから孤独は怖くて忌避すべきものなのだろう。



 「その、なんだ……フルルージュが言う“幻獣”っていうのはどんな姿形をいるんだ…………って教えてくれるわけないよな」


 目線を少し上げ彼女を見つめながら尋ねると、意外な事に彼女は言い辛いのか、口をパクパクと開閉した後、絞り出す様な声とテンポで話し出した。


 『——幻獣、は謂わば生きとし生けるものの記憶であり、その姿形は留める事を知らない自然の様な存在です……。時には植物であったり、時には人から恐れられるモンスター、そして本当に時々、言葉を交わす為エルフや夜の種属になったりもします』


 「生きとし生けるものの記憶……? それに姿を留めないってことは、たとえ俺の目の能力を使っても幻獣だと見分けることは出来ないってことか?」


 正確には今の俺では確認できないだけで、もしかしたら後に判別するすべを持つのかもしれないが、だがこれだって俺の憶測に過ぎない。とどのつまり俺の方から幻獣に気付くこともなければ、探しようもないという事だ。

 となればもはやここは開き直って気付いたベース、気になったベースの完全受け身でいることが大切で、無駄な労力は使わな様にしよう。


 そう腹を括りフルルージュを見ると彼女も思うところがあったのか、少し俯いておりその瞳は気のせいでなければ潤んでいる様に思えた。


 『………この試練によってあなたは人間ではなく神様候補として正式に認められ、そしてもう一人の神様候補である玉上佳兎と金烏日向のどちらかが神様になるまで世界は血を流し続けます。…………だから覚悟を決めてください、自分が神様になるのだと。そうでなければ逃げなさい。何もかも——この世界で生きたという記憶さえも捨てる覚悟で逃げるのです』


 目は俯いたままだったが、声はずっしりとした重さでもって俺の心を貫くフルルージュを目の前に、俺はなにも言えないまま口を閉ざしてしまう。彼女の方もこれ以上は語る気がないようで辺りをキョロキョロと確認する。

 そうして監視さえもいなくなった砂浜にフルルージュは少しそっけない態度でおやすみの挨拶を交わし、姿を消すと痛いくらいの夜は波の音と俺だけになった。


 「………全部受け止めるか、全部捨てるかの二者択一ってか。それってつまりアルグの事も見捨てなきゃいけないのか……?」


 幻獣がどんなタイミングで接触してくるか分からない以上、アルグのことが分からない状態のまま選択肢を迫られることだって考えなきゃいけない。そうだ、俺はアルグの事は勿論キャルヴァンの息子さんの事も見つけなきゃだし、俺を信頼してついてきてくれたウェダルフやサリッチの今後も考えなくてはいけない。

 ただセズは………セズはもう俺がいなくても大丈夫なんじゃないだろうか? 彼女は強くなった。いや、元から意志の強い女の子だったが、旅をする中で獲得した自信は彼女の強さと優しさを伸ばしていった様に思う。


 そっか……他の仲間たちだってそうだ。旅を通して得た経験を自らの強さに変えていたじゃないか。泣き虫だったウェダルフは今や自らの意思で恐怖に立ち向かう様になったし、サリッチは言葉こそ不器用だが、仲間を思いやる優しさを持ついい王様になった。キャルヴァンだって最初は孤独や絶望を前に立ち竦むだけだったのが、自ら動き子供を探す様になって………俺だけだ。

 俺だけが未だに迷っている、悩んでいる。

 俺が出来る事やしたいと思った事はエイナ達おかげで見つけ出せた気がする。でもそれは神になった後の話であって、その前に神様候補となる必要があって、それには玉上佳兎と争うことを覚悟しなければいけない。…………そうだ、俺に彼を殺す覚悟なんてあるわけがないんだ。


 「せっかくエイナ達のおかげで見えた気がしたのに……まだ行くべき道を決められないなんてな。覚悟…………覚悟か」


 ついこの間まで平和な国で過ごしてきた俺にとって自分の為に、ましてやそれが正しいとも限らない事のために他人の命を奪う事を覚悟しなければいけないなんて思いもよらなかった。

 

 玉上佳兎は——彼も同じ日本とのことだったが何を思って、何をこの世界で成す為神様候補になったのだろうか。


 ………俺を殺す覚悟はもう、ついているんだろうか?


  「そうだったら、俺は殺されたって………仕方ないよな」


 別に殺されてもいいだなんて思っちゃいない。出来るなら殺されたくないし、そんな理不尽を容易に受け入れることなんて俺にはできない。

 でも仕方ないじゃないか。俺は今、神様候補の一人でこの世界を好きに出来る存在の候補者。謂わば玉上佳兎にとっては神の如き自身に叛逆者する者、悪魔みたいなものだ。もちろん逆も然り。


 でも俺は見ず知らずの何歳なのかも分からない玉上佳兎を殺す覚悟なんてない。そして相手は………少なくともブラウハーゼの行動を見る限り、俺と和解なんて望んじゃいない。


 そんな沸きらない思いの俺に、冷たい風が一陣吹いたかと思えばその風を起こした張本人であろう、原始種属らしき少年が俺を見るなり嬉しそうに手を振り、まるで再会を喜ぶように俺の周りを一回りし、また何処かへ去っていった。


 なんだろうとは思いもしたが、それ以上に気が抜けてしまった俺は、ここでうだうだ考えるのをやめみんなが休んでいる宿に帰り、明日を待つことにしたのだった。




 そうして色々な事が起きた翌日、俺は一番最後に目覚めるという、いつも通り朝が始まり宿を出る準備をしていた時。

 少し深刻な面持ちの宿のご主人に呼び止められ、少しの緊張が走る。


 「おや、皆様もう出立なさるので? それなら出端を挫くようで悪いのですが……今はやめた方がいいですよ。なにせここから近くの村が長い冬のせいでモンスターの襲撃に遭ったそうで………。昨日来たばかりのリンリア教会の方も大慌てで加勢にいかれちゃった。悪い事は言わないからもう二、三日ここでゆっくりして下さないな」


 本当に心配していっているのだろうそのご主人は、まだ幼いセズやウェダルフを見ては辛そうな表情で窓から見える街を見つめていた。




 外を見てほしい、そんな意図があるような気がした俺はつられて外を眺めると、朝早くだというのに市場も開かれてなければ、歩く人もまばらな様子に少し驚き外に出ると、昨日と同じく観察だけが忙しなくあちらこちらと駆け回っていた。


 「カカ大陸から輸入や備蓄していた食料で賄える私たちエルフや春の種属はまだ凌げております。ですがモンスターは別なのです。草木を糧にしていたモンスターが姿を消した今、それらを糧にしていたモンスターは飢えに苦しみ、そして遂には村々を襲うようになりました。ついこの間までは街で雇っていた魔属もいましたが、ある日を境にシュンコウ大陸だけ依頼を一切受けなくなりリンリア教会の方がウィスへ直接依頼をしに行っても今は忙しいだとか領主命令だから受けられないの一点張りだそうで……」


 「だからこんなにリンリア教会の関係者が多いのか。それにしても魔属か………」


 またしてもここで魔属が関係してきた事に気持ちが沈むが、そんな悠長に考えている暇なんかない俺達は宿屋の主人の優しさに礼を言いつつも、急ぎセズの桜がある村へ向かうこととなった。

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