天使か、悪魔か。天使な訳ない。
わたしとサナさんは街灯がスポット的に少ないエリアへと入って行く。サナさんの聴覚と方向感覚が確かならば、まもなく目的地に到着するはずだ。
ああ、ダメだ、ダメだ。
近づくにつれてわたしは絶望を感じ始めていた。
夢と寸分違わないのだ。
右手に見える塀は実際は神社やお寺のものではなかった。数年前に破産した地元企業のかつての社長宅で競売にかけられている物件。
左手には廃校になった小学校跡を使っていたが移転でで廃墟となった地区センター。夢でひな壇と思っていたのは瓦礫の中で唯一残った階段の一部だ。
そして数十匹ではないけれども猫が10匹以上、鳴き声を漏らし続けている。
そして前方に見えるのは。
墓標ではなくって、やはり廃園となった幼稚園の園庭にある、
「サナさん!」
わたしの叫びに彼女はようやく立ち止まってくれた。
「サナさん、サナさん、サナさん!」
わたしは思わず泣き出し、うずくまってしまった。しゃがんで肩に手を乗せてくれるサナさん。
「レイナ・・・」
ふっ、と2人同時に顔を上げると、いつの間にかポロシャツを着た男が立っている。
青白い光に照らされてピンクの生地が薄紫に見える。
おしゃべりのサナさんも無言になった。
アニメや映画の描写が頓狂なものであることを認識した。
こんな状況で、『誰だ』などと声をかけられるわけがない。
サナさんとわたしは固まったまま姿勢を変えることができず、ただ男の行動の一挙手一投足を待つことしかできなかった。
ぶらん、と下げた男の右手が振り子のように前後に微妙に揺れている。
その揺れの原動となっているのはツヤのない黒い塊だった。
わたしの乏しい知識で、それがリボルバーと呼ばれる拳銃だと認識するのに少しの間を要した。
認識するかしないかの段階で男は右手をゆっくりと上げ始めた。
照準、しているのだ。
その銃が本物かどうかなど、もう意味のないことだった。
多分、サナさんもわたしも助からない。
夕べからここに至るまでの
完璧なまでに、この悪夢は計算し尽くされていた。
パン!
ほんとだ。
とっても軽い音。
人の命を奪う道具の、その決断とも言える銃声が、こんなに適当な音でいいものだろうか。
けれども絶命を意識していたわたしの耳元あたりを弾丸が通り過ぎる風圧を感じた。
弾がそれたようだ。
「私は」
男が呟いた。
容姿も服装も、声すらただの中年男のそれだった。街中で見かけたら、女子高生から、『キモい』と蔑まれていてもしっくりくるような、そんな男性。
彼が言葉を続ける。
「私は、いわゆる悪魔だ」
わたしは動くこともできない。サナさんも多分同じだろう。
「悪鬼、と呼ぶ者もいるな」
男は銃を持っていない左手をスラックスのポケットに突っ込んでタバコを取り出し、片手で器用に火を点けるまでの動作を行った。すーっ、と肺まで煙を吸い込む音が静寂の中に響いた。
「この街は東京、というのか。狭くて匂いのきつい街だな」
話しながら彼は喫いかけのタバコを排水溝に投げ捨てる。ジュッ、と短い音がした。そしてもう一度右手を上げ始め、同時に照準も始めた。
「撃たないでください」
サナさんが敬語を使う。
敬語の方が自然でリアルな応対だということを身をもって知った。
「撃つが、殺しはしない。今は、な」
男はほぼ表情を変えず、感情も湖面のように波立たせず、淡々と二度目の照準を完了させる。そしてやはり事務的に発砲した。
パン!
今度はわたしの左耳に風圧が加わる。
狙って外していることはもはや明白だ。
死にたくない。
「予約を入れさせてもらえないかな」
男の言葉の意味よりも、全くの無感情という話し方に恐怖を感じた。
「とりあえず、10年後でいいから」
「嫌です。やめてください」
反応できたのはわたしの方だった。
彼はここで初めて表情を変える。
微笑した。
「私が勝手に決めることはできないのだ。同胞があと30人いるのでね。この街で同時に同じ作業をしている。先月からな。まあ、キャンペーン期間とでも言おうか」
「どうしてわたしたちを選んだんですか?」
「君が悪夢を見たからだ」
「悪夢?」
「そうだ。悪魔と言えども魂だとか寿命だとかを得るにためにはきちんとした契約を結ぶ。対価を用意する訳だな。先月からやってるキャンペーンでは悪夢を打ち砕くことを魂と寿命の対価としたのだ」
「その銃で悪夢を、ですか?」
「そうだ。これは君たちの世界で使っている本当の銃だ。私が持っているのは暴力団の若頭から80万円で買った」
「80万・・・」
「弾丸50発と込みでな。人間が使ってもただの銃だが悪魔が使えば悪夢を撃つことができるということだ。さて、君を『説得』するのに2発使った。後1発使うと赤字だ。できれば強引に君を殺すのではなく、きちんとした契約として取引したい。これもビジネスなのでね」
「あなたがこの子に悪夢を見させたんでしょう!」
サナさんが叫ぶと悪魔の微笑はほくそ笑みに変わった。
「クッ、クッ。さあ、どうかな。まあ、契約不成立でも私は一向に構わんけどね。レイナ君が我慢できるのならね」
「どうして名前を・・・」
「悪魔だからさ」
「もし、契約しなかったら」
「一生、猫の悪夢を見続けることになるね」
わたしは冷静に考えていた。
毎晩、あの夢を、一生。
ひとつの決断をしようと、わたしはゆっくりと立ち上がった。
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