めんとりさまー

カムリ

フェイスレス・サマー

 今年七十を迎えた祖母が、『アルミパウチ水素水』なる――アカデミズムの悪夢の集合体みたいな詐欺にまんまと陥り初回お試しパックとやらの五万円が文字通り水泡に帰したらしい。

 セールスマンが若い頃の祖父に似ていたもんでついほだされちまったワッハッハと祖母が気まぐれな天狗のごとく哄笑するのが電話口から聞こえた。

 父はついほだされたで五万を渡す婆ァがあるかと怒鳴っていた。

 元々豪農だとか何とかで未だに金銭感覚がバブル、どんぶり勘定そのままなのだ。祖父にも先立たれ、涙腺が緩んだついでに頭のネジもそろそろ緩んできたかなと心配になる気持ちも解るが、本人が好きでやっているなら別で世はこともないと言うのは俺と姉の方の見解だ。

 とはいえ、何かあってからでは遅いと両親が心配するのもまた然りである。

 最近は長年連れ添った祖父がこの世を去って見るからに元気がなくなっていたし、会話に辻褄が合わないことも増えてきていた。

 で、「様子を見る」とかの名目で、おれは祖母の家に、大学一年の夏休みを利用してしばらく赴くことになったのだ――おれ一人では危険だから、流石にねえさん(今年でめでたく五回生だ。二年前から留年している)を伴ってだが。


 ともかく、おれとねえさんは静岡、富士へと続く電車に揺られている(切符の代金はおれが二人ぶん出した。ねえさんは金欠だった)。夏休みだからか、おれのちょうど向かいの席には学生とおぼしき男女が互いにイヤホンを分け合って青春を謳歌している様子が見えた。二人の耳から伸びた白いそれは神経のようにも見えて、ひねくれた思考に少しだけ胸が空く。今居る車両に乗っているカップルを合算するだけでも六組。 

 自らを顧みてげんなりする。

 今をときめく大学生が何の因果で姉と連れ立ち祖母の家なんかに向かっているのだろうか――気晴らしに、仲むつまじく見える彼らの会話に耳をすませた。


 ソウマくんきみ大学どうするんだい。偏差値絶対良いだろう?

 先輩ほどじゃないですってでもそりゃ同じところ行きますよ。

 えっ北海道? わたしと一緒に?

 はい北海道。二人でも暮らせる部屋用意して待ってて下さいね、俺絶対迎えに行きますから。


 会話の甘ったるさに天を仰いだ。これのどこに気晴らしがあるのだろうか?

 余計鬱々とする。

 横を向くと殴りつけたくなるようなねえさんのにやつき顔があった。

「なに、あんた、ああ言う青春送りたかったーとか思ってんの……こじらせ侍気持ち悪っ」

 死んでしまえばいいのにと思った。

「大学生になって彼氏のひとりも出来なかったねえさんに言われたかないよ」

「ざんねーん、好きな人はいますゥ」

「……ふうん、誰?」

「ハン。あんたに教えたって無駄だし。そっちこそ居ないの、そう言う人。大学の同級生とか」

「そりゃあ居るけど、それこそ無駄じゃないか」

「無駄?」

「どうせ結ばれっこないんだから。不毛だよ」

「へぇ。そんなに可愛い子なんだ」

「まぁね。そりゃもう、言葉じゃ言い表せないくらい」


 富士ィ、富士ィ――間の抜けた車掌の声に急かされ、ねえさんと一緒に電車を降りる。

 「お祖母ちゃん、大丈夫かな」

「ほんとに心配してる?」

「そりゃまぁ、一応。だってお爺ちゃんも幽霊みたいにフラフラ徘徊繰り返した挙げ句自殺しちゃったしさ──そりゃショックだって、絶対」

「ま、それもそうか」

 歩く。

 改札を出てホームへ向かい、タクシーを拾う。

「この住所まで、お願いします」

 運転手に祖母の家の住所が書かれた紙を渡して、暑さから逃げるようにエアコンの効いた車の中に滑り込む。どるんとエンジンがかかり、街並みが少しずつ流れていく。

「ねぇ」

「なに? ねえさん」

「本当に行かなきゃならないのかなぁ」

「どうして?」

 おれは笑った。

 ねえさんは昔から時おり、よくわからないことを言う人だった。




 祖母の家は木造平屋の一軒家で、周囲は茶畑に囲まれ雄渾とした富士が望める。ちなみに残念ながら月見草は生えていない。敷地がだいたい五十米平方。だだっ広いと言う言葉が良く似合う。

 西側には地下室をそなえた離れがあり、また土蔵なんかもそこの近くに建っていて古色蒼然といった具合だった。

「アァいらっしゃい、よく来たね。疲れただろうし、上がって頂戴」

 戸を開け、祖母に出迎えられる。

 母方の家系の特徴なのか、年に似合わずすらりとしていておれよりも背が高く、皺も少なかった。

 そこまでぼけているようには見えない。

 言葉に甘え、玄関でスニーカー(おれのだ)と赤いサンダル(ねえさんのだ)を脱ぎ、上がり框に踏み込む。

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