第一章/第五話「晴天の空と予兆を奏でる電子音」


 その次の日の朝9時、俺はコンビニで買い物をしていた。

 コンビ二は、どこにでもあって、そしてある程度のものがあって、害がない。まるで、会長様みたいだと思った。優等生をそのまま模写したように見えていた。実際に少しだけ関わってみると、そうでもないけれど。

 お菓子とカップ焼きそばをカゴにいれて、ドリンクのコーナーに向かう。急に、聞いたことのある変な電子音が聞こえて振り返った。耳鳴りのようなそれは、会長様と居るときに聞こえる。

「わっ、急に振り向かないで。逆にびっくりした」

「……会長様」

 本当にびっくりしたようで、会長様はわたわたとした。こうやって、垣間見えてしまうようになった彼女の隙が、時々怖い。

「声をかけてから10秒くらいフリーズして、そこからいきなり振り向くなんて、一体その間になにかあったの?」

 おかしそうに、楽しそうに、ふっと笑う。

 彼女は、俺に声をかけたという。“びっくりさせたかったのになぁ”という言葉とその表情にはなんら偽りは感じない。

「い、いやなんもない」

 どういうことだ。さっきの変な電子音がやっぱり気になる。短い音が3回、長い音が3回、それでまた短い音が3回、彼女の話している言葉に添って音がしているわけでもなさそうだ。しかも、音の大きさは変わってもリズムは変わらない。

「あ、これ!このお菓子、すきなの?樟山くん」

 この人は、分かっているのか分かってないのか、どっちとも取れない態度をする。籠を指指した会長様は、こっちをじっと見て答えを求めている。仕方がないので、さらっと返した。

「結構食べますね、会長様は年始のこんな日に朝からこんなところに、なんの御用なんですか」

「それ、そのままそっくりかえしちゃおうか?」

「……

 ふふっと、また彼女が笑う。すっと擦り寄ってきて、顔を覗き込まれた。石鹸の、いい匂いがする。

「なんですか」

「今日、暇?」

「え」

 予想もしていなかった問いかけに、声が出てしまった。

「これから暇かって、聞いているの」

「会長様こそ、どうなんですか」

 コンビ二の外に目を背けながら、尋ねた。空は青い、雲もいつもより少ない。

「暇なの。だからこの私!会長様に付き合いなさい」

 彼女に視線を戻すと、彼女はにっこりと、また笑う。

「それにね、私。暗い顔している子、ほっとけないの」

「……そんな顔してたんすか」

「気のせいかもね」

 つんつんと、頬を突かれた。



 それから、適当にお菓子を買い足してコンビ二の近くの公園まで行った。ベンチに並んで座る。何を考えているのか分からないマイペースな会長様はミニカステラを空けて早速、食べ出していた。

「どっか、行きたいところとかないんですか」

「ないなぁ」

「暇を持て余していますね、課題は?」

「あなたこそ、課題はいいの?」

「俺は、だって、しなくたって困りませんから」

 むしろ、やらないことのほうが多い。最低限やるべきである補習はきちんと出ているし、補習での課題はこなしている。面倒だが、留年は避けなければならない。逆に言えば、留年しなければなんでもいい。それ以上に、やらなければならない理由も見つからない。

「そんなあなたのためにー」

 会長様はバッグを探る。まさか、と思った。

「2年と3年共通!ネットリテラシーの課題の紙と、読書感想文の原稿用紙と課題図書です。やりなさい、暇でしょう。ネットリテラシーの方は私の課題を参考に書けばいいから」

「面倒な……」

 会えるかわからないのに、持ってきていたのかと思うとぞっとする。なんて人だ。

「お願い」

「これそのまま紙、使っていますよね?会長様課題はどうするですか」

「代わりに出しといてくれる?私、始業式」

 会長様の声が、またあの耳障りな電子音に摩り替わった。首を横に振る。なんだ、これは。最近になって聞こえるようになった、この耳障りな音はなんでこの女と居るときだけ……。

「すいません、会長様のお言葉、俺、ちょっと聞き逃しました」

「あら、ごめん。聞きにくかったかな。とりあえず出しといてくれればいいから」

 なんとか誤魔化せただろうか。でも始業式に何かあるのだろうか、新学期の挨拶だったかが、忙しいのだろうか。……出せないなんてことはないだろう。

 あの耳障りな音だが、俺はわけのわからない幻聴が聞こえるほど精神を病んではいない。いない自信が、一応ある。なら何故?何故、どこから音がする。会長様の私物というわけではなさそうだ。私物なら気づくはずだ。彼女がこんな耳に触る音を聞き逃したりするわけがない。この女は些細なことに気を使える。大きな音も立てない。だから聞こえていれば、うるさくない?とかそういった言葉を多分、投げかけてくるはずだ。

「大丈夫?くぬぎや」

 また、また遮られる。彼女の声が遠のいた。いや、音を発しているのはやっぱり彼女の口なのではないか。いや、違うそんなわけがない。

「大丈夫じゃ、ないかもしれないわね」

「な、なにが、ですか」

 いろいろ考えているうちに、ぐいっと引っ張られて俺は彼女の膝に頭を乗せる形になった。ベンチが小さく音を立てる。

「嫌なことでもあったの?……昨日、私が言った事を気にしているなら、やめてね。本当に、ただの我侭だし。あんまり関係ないの」

「いや……音が聞こえるんです」

 言いたくない、言うほどのことでもない。そんな思考と裏腹に声に出してしまった。膝枕をされたのはいつぶりだろう。きっとこれのせいだ、小さい頃の母さんを思い出してしまった。

「音?それって、幻聴ってこと?」

「薬物とかじゃないですよ、たまに」

「どんな音?声じゃなくて?」 

 会長様が首を傾げる。

「最初は小さかったんですけど、最近大きくなってきていて」

「耳鳴りじゃないの?」

「違いますね」

 耳鳴り、じゃない気がする。自分の耳から聞こえるというよりは、どこかで鳴っているという感じだ。

「うーん、どんな音?」

「電子音に近いです」

「パソコンの音みたいな?」

「です、かね。ぴぴぴ、ぴーぴーぴー、ぴぴぴ、って」

「何それよくわかんない」

「まぁ、多分気にすることもないです」

「……あんまり力になれなくてごめんね」

 ため息をつきそうな勢いの会長様は、それでもまだ諦めていないようだった。彼女は腕を組んで唸る。足まで組みそうな勢いだった。


 暖かい膝の上で、深呼吸をする。安心してしまいたいのに、安心してしまえない。それなのに、晴天の空は情けない俺を笑って見下して、悩む会長様を哀れんでいるようだった。


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