第一章/第三話「先生は僕らを救ってはくれない」
その次、生徒会長様に会ったのは年が明けて4日目。面談でのことだった。進路希望を白紙で提出して、また注意されてからも白紙で提出、この間の面談の時のものも白紙で出したから、先生もその場で書かせようと思ったのだろう。呼び出しを食らった。
樟山くん、と後ろから声をかけられて驚く。職員室を出て、すぐに声をかけられた。もう18時だった。
「会長様は補習ですか?」
「いいえ、今回も私は補習ではないわ」
「じゃぁなんですか、いつものお仕事ですか」
「確かに、火の用心のポスターの印刷はしたわ」
「なんでこんな時間までいるんですか、下校時刻大丈夫ですかこれ」
「今18時ね、大丈夫じゃないわ。でも」
機械音のようなもので彼女の声が遮られた。小さな音のように聞こえたのに、その音が終るまで彼女の声は聞こえなかった。いや、彼女がそんな音を出しているように聞こえた。耳鳴りの一種なのか、それともなんなのか。どうでもよかったから、適当に話を続ける。
「今日も寒いっすね」
「えぇ」
「会長様は学校から家、近いんですか?」
「……ちょっと遠いわ、あなたの家の近くよ。あなたの家の前までついていくつもり」
「え、なんだか逆な気がするんですが」
でも、付いてこないでくださいとは言いづらい表情をしていた。噎せながら笑っていた彼女が幻だったように見えた。
「まぁ、今日はまっすぐ家に帰るんでいいですけど」
「そもそも寄り道は校則違反よ」
「はいはい」
靴を履き替えて、外に出ると強い風が吹いていた。一歩後ろの彼女を振り返る、マフラーに顔をうずめていた。なんだか、俺は安心して手袋をはめる。
「今日は風が一段と強いわね、こんな日に面談なんて……ね、学校に来たほうがいいわよ」
「なんで知ってるんですか、もう補習なんてかかりませんし面談は補習の話じゃないですよ」
「見かけたのよ。樟山くん、補習のこと、ちょっと後悔しているのね。よかった。勉強してくれそう」
「歴史だからですか」
「何が?」
「俺が補習に呼ばれてる教科が」
「いいえ、きっと素敵な先生になれるなぁと思うからよ」
「は」
俺は、耳を疑った。
「私ね、あなたの夢を知っているわ」
きっと、会長様から見た俺の視線は彷徨っているだろう。ぞわぞわとした感覚が襲う。
「昔の夢ですよ」
なんでそんな、棄てた夢を会長様が、この女が知っている。誰に話したこともない。
「私は、先生にはなれないかもしれないの」
「だから、なんですか」
「もし、まだ未練があるのなら」
未練なんてあるわけがない。確かに、昔そんな夢を抱いたことが一度だけあった。けれど、本当に諦めた。いや棄ててやったのだ。
「未練なんてないですよ、俺はこの場所に絶望したんだ」
「……」
情けなく、声を荒げた。八つ当たりだった。
「教師は生徒を救ってくれない」
アイツは救うのではなく貶めた。兄を貶めたのだ。
「……先生はヒーローではないわ」
ヒーローではなくたって、模範的であるべきだろう。
「教師は、善人でも平等でもない」
ずるい奴ばっかりだ。生徒のことなんて、考えている顔をして本当はなんとも思っていない。
「一部の人は、そうかもしれないけれど」
彼女が小さく息を吸った。
「あなたにはそんな生徒の気持ちがわかる」
はっきりとした自分への肯定に、俺は戸惑った。見っとも無く当たっていい相手じゃなかった。
「タバコ吸ってます」
「……先生に告げ口なんてしてないわ」
「一度も?」
「えぇ。だから今からやめればいい」
「……」
彼女は言った、何度も確かに俺に言ったのだ。先生に伝えていると、それでいて俺は諦めていた。同情なのか、それとも。
「一体、どこで知ったんですか」
彼女は一瞬、俯くとこっちを向いて聖母のように微笑んだ。
「……私のお父さんね、先生なの」
「学校の?」
「えぇ、中学校の。でも、家では先生なんて姿はしない。すぐ物を投げるのよね」
「ほら、ろくでもない」
「だから、私、先生に相談したのよ」
「この学校の?」
「えぇ、この学校のカウンセラーの先生。でも、お父さんとその人は知り合いだった。いえ、その人が告げ口でもしたのかしらね。お父さんの学校でもカウンセラーをしている人だったのよ。そんなの私が知る由もないじゃない……ねぇ」
俺は、何も返せなくなった。黙って聞いているしかなくなった。
「相談すればお父さんは怒ったわ。カウンセラーの先生は、それを引き合いに出して私を貶めた。詳しくは話さないけどね。先生は、私を助けてくれなかったの」
「ほら、それならそんな夢やめたらいい」
「いえ、でも諦めきれない。私は、先生に救われたいの。だから樟山くん、先生になって私を救って。いつか、絶対にね」
会長様は自分が先生になりたいと言っていたはずではなかったか。
「……俺の生徒になるんですか」
「えぇ」
「俺より頭良いのに」
「そうよ」
年上の癖に。教える立場のほうが絶対に似合っているだろ。
「あなたがなればいい」
「なれないの。事情があってね。だから樟山くん、あなたが先生になって」
大体、何故なれないなんていうのだろうか。大学が難しいとか学費とか。あぁ、頭が回らない。
「……俺の夢は、その親父さんから聞いたんですか」
「いいえ、遅れて提出された進路希望をみたの」
「名前、よく覚えていましたね」
「昨日、気づいたのよ。もしかしたら運命かもね」
もし、会長様にあの夢のことを指摘されるのが運命だったとして、なんでそれが今なのだろう。
「……じゃぁ、前の補習のときは?」
「さぁ?」
生徒会長様が笑った気がした。帰るね、と声がする。表情は、髪が邪魔で見えなかった。踵を返して歩き出した彼女を見て、自分の家の近くまで来ていること、そして彼女が道を引き返していくことに気がついた。
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