わたしはノーマルなんだからね!
たられば
第1話 プロローグ
わたしは宙に舞った。
視界が期せずして道場を一周する。
宙を舞うことは初めてじゃないけれど、予測なく投げられるのは初めてだった。
だけど畳の感触を味わったとき、悔しさよりも清々しさに満たされた。
本当なら悔しさでいっぱいのはずなのに。
それは投げられた相手が、認めざるを得ない人だったからだろう。
ここはおじいちゃんが指導する合気道の道場。
多数の門下生がいるものの、小学生はわたしだけだった。ただ単に、入門は中学生からとなっていただけなのだけど。
それでは大人に投げられたのか。
いや、違う。
わたしを投げたのは、今日出会ったばかりの小学生の男の子。
銀色の短髪に藍色の瞳の、どう見ても外国の人で、顔立ちからわたしと同年齢であることは推察できる。
背丈はわたしと同じくらいの七歳標準クラス。
なぜに投げられてしまったかといえば、別にわたしが勝負を挑んで返り討ちにあったわけではない。
どうもおじいちゃん同士が知り合いだったらしく、いきなり手合わせさせてみようと始まった。
こんなチビッ子なわたしたちに、手合わせって虐待じゃないの? 普通、こんな試合形式だめでしょって思いも馳せつつも、まあ面白そうだからいいかってノリでやってみたのだけど。
試合になるどころか、あっという間に投げられてしまい、このありさま。
結構自信満々で挑んでいたというのに。
畳の感触を感じながら、見上げたその子の顔は、恋に落ちるのに申し分ない素敵さを放っていた。
夏、真っただ中の充満した熱気が、その子の頬をつたい、汗となってわたしの頬に落ちる。
だけど汗が落ちてきたのにもかかわらず、不快感はなかった。
その子は微笑み、わたしも微笑んだ。
目と目で通じ合うってこういうことなんだ。
運命ってあるんだね。
七歳にして運命の人に出会うなんて早すぎる気もするけれど、死ぬまでのどのタイミングかなんて決まっていないのだから、きっとわたしの運命はこれなんだ。
手合わせはこれだけで、あとはおじいちゃんたちに積もる話があるらしく、わたしたちは放っておかれた。
しかたなく道場の隅に移動し、お互いの自己紹介をする。
だってまだ、名前も知らないんだもの。
「あの、わたし、みなとっていうの。綾瀬 湊。あなたのお名前は?」
「僕の名前は、まことだよ。瀬野 真琴。よろしく」
「うん! こちらこそ。まことくんはどこの国の人なの?」
「ごめん、言えないんだ。まあ、半分はここの国の人なんだけどね」
「そっか。言えないならしかたないね」
一瞬沈黙した。
変なこと訊いちゃったのかな? 話題を変えなくちゃ。
「まことくん、合気道上手だね。いいなあ」
「みなとちゃんだって、上手だよ。動きを見てたらわかる」
「ありがとう。わたしもまことくんみたくなれるように頑張らなくちゃ」
「ねえ、みなとちゃん。僕のことはマコちゃんって呼んでくれないかな」
「どうして?」
「特に理由はないんだけど、みなとちゃんとは仲良くしてほしいから、マコちゃんって呼んでもらった方が親しい感じがするから」
「うん、いいよ。マコちゃん」
なぜかわからないけど、本人がそう呼んで欲しいなら全然かまわない。
仲良くしてほしいなんて、嬉しすぎて頬が緩んでしまう。
始まったばかりの初恋が、両想い確定になったみたいで、どう呼ぶかなんてことは大した問題ではない気がした。
それから数日間、わたしたちは会話と合気道で語り合った。
知れば知るほど、マコちゃんはかっこよくて、どんどん魅かれていった。
マコちゃんの中にある、通った信念が垣間見えた気がしたから。
子供なのに何かを背負っているような、一途で目標に向かって突き進むような、私が憧れる強い人の信念が。
一緒にいることが最高に幸せで、お嫁さんになりたいと心から想った。
寄り添って生きて生きたい、きっとこの人となら生涯いられるであろうと。
でも幸福な時間は長く続かなかった。
突然、明日別れることになると訊かされたのだ。
国に帰るのだと。
どこに帰るのかは訊けなかった。
最初に言えないってことだったし。
わたしは悩み、考え、途方に暮れた。
国に帰るということは、もしかしたら二度と会えないかもしれない。
せっかく運命の人と巡り会えたというのに、こんなのってない。
ついて行ってでも一緒にいたい。
だけど、わたしには家族がいる。大切な家族が。
そしてわたしは、まだ子供だ。何にもできない無力な子供。
無情にも、別れのそのときは訪れ。
わたしたちは、夕暮れに包まれた道場の庭先で、お別れの言葉を交わした。
陽の光が、時計の針のような感覚に陥る。そんな中での約束の言葉を……
「マコちゃん。
わたしね。マコちゃんのこと大好きになっちゃったんだ。
だから本当は行ってほしくない。ここにずっといてほしいよ」
「ごめん、みなとちゃん。僕もみなとちゃんのことが好きだけど、どうしても行かなくちゃいけないんだ。
でも…………でもね。必ず戻ってくるから。
必ず! だから、待っていて」
「…………うん。わかった。待ってる。ずっと待ってるよ。ちゃんとマコちゃんに似合う女性になって」
「だったら僕も、みなとちゃんに相応しい人となって戻ってくるよ」
「うん、約束ね」
そっとマコちゃんの頬に唇を寄せた。
それがわたしの、絢瀬 湊の初恋だったんだ。
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