第三話「家畜のツバキ」

安心、不安、何処、誰、私、昔、今、赤、私、死、殺、生、楓。


「お話をしましょう」


誰。


「誰でもいいじゃない、お話をしましょう」


「あ、まだ無理なの。じゃあ、後でまた来るね」


誰。


温かい、包まれる、何処だろう、私は?誰だろう。


「もう、そろそろかな?まだかな?」


「いいよ、少しだけ手伝ってあげる」


光に包まれた、気がした。



単語でしかなかったものが言葉として繋がっていく。言葉だったものに私の意識が宿っていく。少しずつ何かを思い出してきた。何も見えない、何も聞こえない。何も触れるものが無い。どうしてだろう。


そこで、意識が途切れた。



「おはよう、でいいのかな?」


貴女は誰?


「あ、ちゃんとお話できるようになったんだね」


貴女は誰なの?


「そんなこといいじゃない。暇だからお話しましょう」


何をするの?


「うーん、じゃあまずはあなたが好きなものってなに?」


わからない。


「じゃあ、嫌いなものは?」


わからない。


「まだ、早かったのかな?じゃあ、後でまた来るね」


そこで、また意識が途切れた。



泡の音が聞こえた。懐かしい気がした。次に自分の身体を包んでいるものがわかった。温かい水のようなものだった。最後に自分が何処にいるのか分かった。水槽のようなもの。目の前にはよくわからない器具や、白衣を着た人が見える。


「おはよう、ようやく目が覚めたんだね」


貴女は。


「ねえ、お話しましょう」


いいよ。


「やった、何の話をするの?」


ここは何処?


「うーんと、何処かの研究所みたいなところ」


どういうことなの。


「この世界はね、あなたが元いた世界とは違う場所なの」


私がいた世界?


「そう、おおまかなつくりは同じ。だけどある部分はあなたのいた世界よりもだいぶ発展しているの。けど、またある部分ではかなり遅れてもいるの」


どう違うの?


「それは見てのお楽しみ、じゃあまた今度来るね」


待って、まだ……


私の意識が深い眠りを欲した。


「あ、手が生えてきたんだ」


あれから彼女は時々私の元にやってくるようになった。


「この世界での動力は蒸気機関、それと魔法って言えばわかりやすいかな」


といっても姿は見えない。私の意識の中に当然入り込んでくる。


「過去に大きな戦争があってね、人間側がかろうじて勝ったんだ。それからも妖人との間には小競り合いのようなものがいくつかあったんだよ」


彼女は来るたびに、この世界の事を教えてくれる。おおまかなものだけど何となくは理解できた。そして、どうして私が理解できたのかも分かってきた。


「貴女の元いた世界と言葉は同じだから安心していいよ」


ただ、どうしても教えてくれないものもあった。


「私が女神かって?あはは、むしろ真逆の存在かもね」


一つは彼女が何者か。


「まあ、ちょっとづつ、本当にちょっとづつ思い出していけばいいよ」


もう一つは私が何者か。


足も生え揃ったころ、私は彼女の言葉だけでなく周囲の言葉にも耳を向ける事にした。彼女の言った通り、彼らが話す言葉は私にもわかった。でも、よく理解できない。専門的なものだからだろうか。これが彼女の言っていた違いというものかもしれない。


「カエデ」


唯一この言葉だけは理解できた。きっと、私の大切なものなんだろう。カエデ、この言葉はしっかり覚えておく事にする。カエデ……カエデ。


「全てのものには生まれてきた意味があるんだよ」


最近、彼女がやけに抽象的な事を言うようになってきた。この前は幸福論というものを延々と聞かされた。誰かの犠牲に成り立つ平和を幸せと呼ぶ事ができるのか。正直言って鬱陶しかった。私が知りたいのはもっと違う事。


「それはどんなものにも。道端に咲く花にだって」


この世界の知識、法則。そろそろ時間が近づいてきている。外にいる彼らの様子と言葉でそれがわかった。なのに、彼女はそんな事を気にする様子も無い。


「もちろん、片手で振り払われる小さな虫にだって」


それどころか彼女は、今笑っている?表情がわからないのに?でもその表情はどういうわけか、見覚えがある。


「家畜にだって」


醜悪な笑顔。頭が痛くなってくる。待って、その先はまだ。


「貴女も、貴女の妹にも生まれてきた意味があるんだよ」


妹……どうしてカエデという言葉を思い出したんだろう?


「家畜としての意味がね」


カエデ……楓。


「あははははははははははははははは!!!!」


うわああああああああああああ!!




主任研究員であるサーバスは自身の背後から突如鳴り響いた音が、何なのかをすぐには理解できなかった。自分の目の前にいるマギアでさえ、眼鏡の奥にある小さな目を白黒させているのだからとんでもないことが起きたのだろう。サーバスは意を決して後ろを振り返った。


努力しなければ、サーバスは目の前の光景を信じる事ができなかった。粉々に砕け散った特注の試験管、そしてそこにいるのは先程まで培養液の中で眠るように横たわっていた畜人が堂々と立っている。


「どういうことだ?」


まず、サーバスが驚いたのは目が覚めたばかりの、目の前にいる畜人の目に知性が宿っている事だった。生まれたばかりの家畜がどうして人のような目をしているのか。


「ここは、何処なの?」


サーバスは思わず後ろを振り返った。だが、誰の言葉でもない。他の研究員は唖然としている。それが意味する事はたった一つなのにサーバスの脳は、解答を必死で拒否した。


「ここは、どこ?」


言葉は目の前にいる畜人が発していた。もしかして自分は何かの手違いで、人間を作ってしまったのか。だとしたら大問題になる。良くて自分の死罪、最悪の場合は研究所の関係者全員が消されてしまう。サーバスは気絶しそうになる自分の脳を必死で鼓舞させて目の前の畜人を観察した。


多機能移植型の改良として、従来のカエデのような黒髪と黄色がかった肌ではなく、人間と同じ白い肌と色素の薄い金色の髪。背丈は自分の胸元辺りまでしかないから、平均的な畜人の体格。頭には……畜人の特徴としての巻角がちゃんと二本生えている。臀部から尾が生えているかここからは見えづらいが、多分生えているだろう。


ということはやっぱり畜人じゃないか。自分は悪い夢でも見ているんじゃないのか?


「早く答えてよ」


だが、目の前の畜人は自分を夢の世界へと逃避させてくれない。この事態にどうすればいいのか、誰も答えが出せそうに無かった。あらゆる種類の沈黙が研究室を満たしている。


その静寂を打ち破ったのは、目の前の畜人だった。わざとらしく大きく息を吸い、巻角から培養液を滴らしながら答えた。


「私の名前は、椿よ」


その言葉を聞いて何人かの研究員はその場で失神した。


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