襲撃 ⑤

 依頼を達成したグレイウルフ号は他の獲物も求めて航路付近の海域を航行し続けており、樽の中に隠れていた皇女ルーネは空腹と喉の渇きに苦しんでいた。

 樽の中に閉じこもっていたのでは港に着いたかどうかも分からない。


 このまま樽の中で餓死などもっての外だ。

 一刻も早く宮殿に戻らなければ……と、彼女は意を決して樽の蓋を渾身の力で蹴り開けた。

 天井に吊るされたランプの灯りが彼女を照らし、少しだけ顔を出して辺りをうかがってみると、どうやら此処は海賊船の船倉らしい。

 幸いにも見張りはいなかった。

 樽から這い出た彼女は取り敢えず食べられるものが無いか周囲の木箱等を探り、すぐに諦めた。

 箱の中は略奪された交易品ばかりで、食料は別の場所に保管されているらしい。


 どうしたものかと途方に暮れるルーネだったが、船倉の外から近づく足音を聞き取ってハッと心臓が跳ねた。

 すぐに隠れないと見つかってしまうかもしれない。

 しかし樽に戻ろうとしても空腹のせいで思うように身体が動かず、ふらふらと千鳥足で歩くうちに船倉の扉が開き、入ってきた男の胸板に倒れこんでしまった。


「うぉぁ! な、なんだぁ?」


 さあ、驚いたのは男たちである。

 扉を開けたら突然見覚えのない人間が倒れかかってきたのだから。


 男は見知らぬ者の襟首を掴んで持ち上げ、その少年とも少女とも思しき幼さが残る、世にも麗しい顔をのぞき込んだ。同時に途切れかけていた意識が戻った彼女は、目の前に屈強な男の顔があることに驚愕して口をぱくぱくと動かして狼狽する。


「お前……いつの間に船に乗り込んだ?」


「いや、あのぉ、その……」


「密航者だなぁ! 貴様ぁ!」


「ていっ!」


 こうなったら自棄だと言わんばかりに蹴りあげた彼女のつま先が見事に男の金的に命中し、悶絶する男の手から逃れた彼女は他の海賊たちの間をすり抜けて一目散に駆け出し、空腹であることも忘れてひたすら廊下を走り、梯子を登って甲板に飛び出した。


 いきなり大きな音を立てて扉が開いたので水夫たちの視線が一斉に彼女へ向けられ、何とか逃げ道はないかと辺りを見渡す彼女の後ろから先ほどの男たちが追いついて羽交い締めにした。


「うぎゃぁ! ごめんなさい! 違うんですーっ!」


「こらっ! 暴れるな!」


 手足をメチャクチャに振り回す彼女を甲板に押さえつけ、さらに荒縄で手足を縛り付けた男たちは野次馬のように集まってきた仲間に密航者を見つけた旨を告げ、さらに船長を呼んでこいと下っ端に命じた。


 船長室で暇を持て余していたヘンリーは甘い香りの煙が立ち昇るパイプをふかし、海図を眺めながらラムを飲んでいた。

 略奪後の至高のひとときだ。

 基本的に航海中は船の指揮を航海士に一任し、船長は今後の計画等を確認するくらいで特に仕事はない。

 余程のトラブルが起きないか、出入港時以外は割りと暇なのだ。

 そこへ下っ端水夫が飛び込んできた。


「船長! 大変だ! 密航者ですぜ!」


「密航者だぁ?」


 出航前の船内点検では怪しげな人影など見つからなかっただけに、ヘンリーは訝しげに首を傾げながらコートを羽織って甲板へ出た。

 そこには荒縄で縛り上げられた子供がまるでこれから料理される猪のように転がっており、荒くれたちもどうしたものかと好き勝手に意見を飛ばし合っている。

 やれ海に落とせだ、やれ奴隷として売り飛ばせだ、やれ子供だから許してやれだ、とにかく意見がまるで纏まる様子がない。そんな連中も船長が到着するとすぐに左右に分かれて船長に道を譲り、彼は身をかがめて密航者をまじまじと見つめた。


「こいつか?」


「はい船長。船倉に隠れていたようで」


「ふーん。お前も物好きなやつだなあ、ええ?」


 と、ヘンリーはさも可笑しげに口の端を吊り上げながら少女の口を塞いでいた布を取り払った。


「言え。なんだって忍び込んだ?」


「あの……わ、わた……し、は……」


 呵すれる声色だが彼女の視線はしっかりとヘンリーの灰色の眼を見据え、そして、気づけばおもいもよらぬことを口にしていた。


「わ、私、私、海賊になりたいんです! ハッ!?」


 それは生き残りたいと思う一心からだったのか、宮殿という牢獄から逃れたい本心からだったのかは分からない。咄嗟に手で口を閉じたが、しかし彼女は確かに言ってしまった。


「本気か? なぁ、おい」


「な、なりたいんです! この船に乗せてください!」


 こうなったら後には引けないと彼女は腹を括った。


 周囲の荒くれたちがゲラゲラと笑い飛ばす中、ヘンリーだけは先ほど浮かべていた笑みを消し、彼女の本意を見定めるかのように鋭い眼光を飛ばす。


片や帝国を継ぐべき皇女、片や帝国に飼われる私掠船。


 互いの素性など何一つ知る由もない二人の出会いによって、物語の歯車は動き始める。


 ヘンリーは彼女の生きたいという強い思いを感じ取ったのか、手足を縛る荒縄を切って彼女を解き放った。


「なりたければなるがいい。この海は誰もが自由だ。自分のやりたいように生きるがいいさ」


 差し出された彼の手を、彼女は力強く握り返す。


 自由――嗚呼、なんと甘美な響きなのだろう。


望めば何でも手に入る彼女が唯一手に入れられなかったものが、今、目の前に広がっている。心労と空腹によってルーネは意識を失い、暫し安らかな眠りの淵に落ちるのであった。


「船長、本当に良かったんですかい? あんな小娘、いっそのこと売り飛ばしたほうが得ってもんだ。すぐに買い手が見つかるでしょうよ」


「そうですよ! 黒豹の姐御あねごじゃあるまいし!」


 抗議する手下たちの声を聞いたヘンリーがギロリと彼らを睨み、黙らせる。


「あいつは俺の船に乗りたいと言った! だから乗せてやるだけだ。手前らだって同じだろうが。俺は男だろうが女だろうが、貴族だろうが奴隷だろうが、たとえ皇帝だろうとそいつが望むなら乗せてやる! ぐだぐだ言わずに仕事へ戻れ! それとも自分の足で戻るのは嫌か!」


 船長の一喝によって水夫たちは黙って仕事に戻り、気絶した少女を船医の部屋へ運ばせたヘンリーは、再び船長室に篭った。

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