Sin

ガリアンデル

第一章 救いの血

救いの血/1




 月の隠れている夜、明かりが差さず僅かな街灯だけが頼りになるこんな日でも街は厄狩り達が獲物を求めて徘徊する、市民はみな一様に厄狩りや落し子と呼ばれる異形を恐れ、戸を固く閉ざす。


だが……今日という日は珍しく街はこの夜中に騒がしさに包まれていた。

 その原因は廃都サベクトの上空を舞っている、いや走っている奇妙な物体である。


古大種こだいしゅ:悪夢鐵道あくむてつどう


 それは古いゴシック調の外装を施された鉄道であり、唐突に赤い海から顕れ、矮小な異形の放出と狂気を蔓延させている。サベクト上空を暴走する列車は進行方向も定めていないのだが蔓延させている狂気と矮小な異形達は確実にサベクト中に降り注いでいた。

 

厄狩り、使者、魔術師の三つの派閥が悪夢鐵道に乗り込み、介入している。


 厄狩りは目的に不鮮明な部分があり、個人によって異なる。使者と呼ばれる者達とその本隊たる月教会は古大種を崇拝しており、この世界を変質させた源への到達を目的としている。


 そんな状況もあり、ここに乗り込んだ人間達の中で、最も普通の人間に近しい魔術師にとっては最悪であった。


 元より狂気を封じた厄狩りと既に狂気の沙汰である教会は兎も角、魔術魔法連盟に属する市民上がりで構成される魔術師達は狂気への耐性が殆ど無かった。経験の長い者は生き残るが今回が初陣という者も多くいる、要するに彼らの多くは殆どが使い捨ての駒なのだ。

 そんな彼らが鉄道内部でどうなったのかなど、分かりきっていた事である。


 狂気に呑まれ異形へと変質する者、呑まれずともその異形に蹂躙される者、空を走る鉄道から飛び降りて墜落死する者。みな等しく死へと至る事となった。


 だがその中に一名、異形化した魔術師達を狩る者がいる。


 大仰なまでの鉄の塊。鉈の形をしているが、到底人の扱う物ではない重量と寸法をしている、その上、鉈となる部分が両方にあるのだ。持ち手は太い鉄の棒であり、その両端に分厚い鉈が一つずつ。『残虐』という言葉を具現化させた様な武器を振り回すのが狩る者である。


 それを扱う者、悪夢鐵道内部にて『厄狩りアルベレク』が狂気に呑まれた魔術師達を狩り殺していた。


「下らんモノに取り憑かれたか。救い様が無いな、死して悔いろ」


 彼の持つ特殊な大鉈、両刃の大鉈が周囲の異形化した元魔術師達を瞬時に肉片と変えていく。


 振り回された大鉈はその質量から加速する程に破壊力を増す。只人であれば振り回す事など不可能な得物だが、アルベレクを含み厄狩りと呼ばれる者達はみな好んでそう言った武装を扱う。その武装は特定の名詞を持たないが、正体不明の技師集団によって作成されたらしい、幻想兵装を持つ討伐者であれ、狂気に呑まれた出来損ない相手ならば容易く散らす事が出来る。


 討伐者達と彼は同時に乗り込んだ者達同であったが別段、連盟との協力関係には有る訳でも無かった。発狂し殺し合いを始めた彼等をアルベレクは直ぐに敵対する異形と認識し、殺した。


「だが、矮小な落し子共を生む古大種とはな……厄介な存在だ」


 この悪夢鐵道はアルベレクの経験上、出逢ったことの無いタイプの準位種だった。幽体では無い実体を持つモノでありながら、その本質は現象に近しい性質を持つという。連盟はこれを見誤り、討伐者達もこの惨状に陥ったのだろうと彼は推測した。


「乗り込んで来た討伐者どもは大方片付いたな。使者共の姿は見えんが、どうでもいい。ならば、残るはこの鐵道か。さて、どう始末すればいいか……」


 ごとんごとん、空中を飛んでいるというのにレールの上を走っているかの様な振動と音が車内には響いている。サベクトにもかつては鉄道が走っていたが、現在は動いておらず、ゲブラー区画の『石塊通り』と呼ばれる場所で残骸と成り果てている。


 悪夢鐵道はアルベレクの記憶にある鉄道とは外見は似ていても中身はまるでそれらしくはなかった。この悪夢鐵道には座席などは無く、中は窓と古い装飾だけの奇妙な空間だけがあるのみ、単なる鉄の箱と形容出来るこの空間は鉄道らしくその先の車両へと続く扉が備えられている。アルベレクが次の車両の先を確認すると、その先も同じ様な空間が続いているのみであった。


 先へ進むしかあるまい、とアルベレクは次の車両へと足を進め、周囲を確認する。

 前車両と同様、何も無い空間があるのみ、その先もまた何も無い、延々と何も無い空間が続いてる。


 次の車両へ、何も無い。次の車両へ、何も無い。次の車両へ、何も無い。

 次の車両へ──


 それを繰り返す事数度、これが異常である事を彼は察した。


「これだけ進んで先頭の車両に着かぬ訳が無い──こいつは、質量を拡張しているのか?ならば物質の拡張であれば車両を破壊し続ければいい」


 担いでいた両刃大鉈を振り上げ、鉄の箱の床面に突き刺す。鉄製の床に切れ込みが入れられ、下の空間が開けていく。


「都合がいい、外から破壊してやろうではないか」


 その切れ込みを拡げ、眼下に遠く、サベクトの街並みが視認できた。


 悪夢鐵道の浮遊する高度は地上から百メートル程にある、彼の目にサベクトに黒い雪の様な物が降り注いでいるのが確認出来た、そしてあれが矮小な落し子である事も。


「ちっ。厄介な化け物だ」


 更に鉄箱を破壊し外に出ようとする。


 一度、外へ出てから適当な翼獣で外郭から攻める、その算段を立て自身の開けた穴へと飛び降りる。眼下には確かにサベクトの街並みが見えている、しかし異変がすぐにアルベレクを襲った。


「どうなっている──」


 彼が飛び降りた先は再び、同じ車両内へと繋がっていた。視界では確かに眼下に見えた街並みへ向かって降りた筈だ、そう認識出来ていた。


「感覚を狂わせられたか? 精神干渉を起こす類の怪物なのか……? だがそれにしては……」


 疑問は止まない。彼がこの類の準位種と対峙するのは初めての事だった。


 悪夢鐵道、その能力の異質さはこれまで対峙してきた膂力や醜さだけの怪物には無かったものだ。


 しかし推測は出来たとして、現状を打破出来る訳でも無い。彼の力は血の儀礼によって与えられた膂力と手にした両刃の大鉈のみである。


 優秀な厄狩りはあらゆる状況においても対応出来る様、能力の拡張即ち血の覚醒を行ったというが、歳若い彼にはまだそれは無い。彼の師であった『グレゴリウス』は血の儀礼の力を存分に引き出していた。だと言うのについ先日、呆気なく死んでしまった。


 彼は死体の《グレゴリウス》に会った訳では無いが、彼の扱う大鋸と銀毛の混じった獣の死体がゲブラー地区にあったと聞いていた。


 厄狩りの力を扱う者達は呪われた力を行使している事は彼もグレゴリウスから聞き、薄々自覚していた、その血の覚醒を行う毎に呪いは強まるものだと。


 それを語り、危険性を説いたグレゴリウス自身も呪いに呑まれ命を落とした。


 だが、そうだとしても今の彼は力を望んだ。


「呪いなど、今更なんだと言うのだ──!」


 元々膂力だけで立ち向かえる相手では無かったというだけの事、ならばその力を引き出し殺すしか選択肢は無い。


 力を望む意思が強くなった時、彼は自らの異変を感じ取った。


血が騒ぎ、思考を塗りつぶされる様な嫌な感覚、それらが徐々に強まっていき、発狂しそうになる。


「駄目だ──捩じ伏せなければ、この呪われた血を!」


 その時、アルベレクの前方にある車両の扉が開いた。


 黒い髪に青白い瞳、焦茶色の外套を纏い、黒い革の手袋に持ち手が付いた分厚い鉄の板の様な剣を持っている人物が現れた。その人物はアルベレクが今まさに血の覚醒を行おうとしている事に気付いた。


「……よせ。お前もグレゴリウスと同じ末路を辿りたいか」


 そう語ったのはたった今前方から現れた男である。


「貴様、邪魔をするというのか?」


 アルベレクは現れた男に対し大鉈を向け、構える。


「自ら血の覚醒を行うなど、自殺行為でしかない。生き延びたいのならば別の手段を取るべきだと思うが?」


「別の手段、そんなものは有りはしない!」


 アルベレクの血が騒ぎ、今にも溢れ出しそうな程に血の流れが速くなっていく。


「貴様厄狩りでは無いな……ただの人間に何が分かるという、黙って見ているがいい──!」


 次の瞬間、アルベレクの身体から血が噴き出した。血量が異常に増加し行き場を失った血が外に溢れ出したのだ。それは血の覚醒の証、血を力として扱う術を得た真の厄狩りの姿。血を武装とする血族の力を模した能力である。


「覚醒したか……こうなれば制御は効かんだろう、殺す」


 焦茶外套の男は右手に鉄剣を構え、左手に短銃を握った。


 アルベレクは既に正気を失った血走った眼をして男を見据えている。

 その様子からは既に正常な判断が行える様な状態では無い。


「ははァ、これが血の覚醒というものか。心地よい、心地よい力の波を感じる」


「くだらん。そんなものに頼るから厄狩り共、お前らは無意味に死んでいく羽目になる。その力は呪われている」


「どうでもいいのだよ、そんな事は。俺は力を得たのだ……まず余計な事ばかり垂れ流す貴様で力を試させてもらおうか」


 大鉈を構えると同時にアルベレクから流れ出る血液が大鉈の刃に纏われ、血の刃が形成された。


「救い難いな、獣」


 左手の短銃をアルベレクへと向け、引鉄を引く。赤黒い弾丸がアルベレクの頭部に向け一直線に向かっていく、しかし覚醒したアルベレクは既に弾丸の軌道を読んでおり弾丸はアルベレクの血に覆われ威力を失い床に落ちる。


「そんなものに頼っていては厄狩りには勝てぬよ、人間!」


 血の刃が纏われた大鉈はその破壊力を増し、更にその熱量までもが上がっている。血は沸騰した湯の様にぼこぼこと泡を立てている。あの血は外に流れ出てもまだ生きているのだ。アルベレクは沸騰した血を撒き散らしながら徐々に男との距離を詰めていく。


「覚醒したばかりの厄狩りは昂ぶっているというのは本当だったな」


 感想の様なものを述べ男は銃を床に棄て、剣を構えた。


「打ち合うつもりか?この血刃を前に?」


「ああ、そのつもりだ」


「侮るなよ、人間」


 アルベレクの大鉈が男に振り下ろされる、男はそれに合わせ鉄剣でその振り下ろしを防ぐ、血刃の飛沫が男の外套や皮膚に飛散し男の皮膚を焼かれる様な痛みに襲われる。


「こんな血を身に流しているなど、やはり人間の形をした別種だな」


 その痛みを物ともせず、血刃を抑え続けているがアルベレクの方がそれを解き再び大鉈を回転させる。


「次だ、容易く死んでくれるなよ?」


 大鉈を回転させる度、びしゃびしゃと血が飛び散り周囲をその熱気が放つ蒸気に充たされていく、血の匂いがむせ返る鉄の箱は何も無い空虚な空間だった頃と変わり、今や鉄の処女がその身を割ったかの様な凄惨な状況になっている。


 蒸気が充満していく中、男はすん、と鼻を鳴らし目の前の厄狩りを軽蔑した。


「やはり匂う、貴様ら厄狩りは特にな。下賎な獣の匂いだ」


 男がそう呟くとアルベレクは大鉈の回転を増し、蒸気が濃くなっていく。既に血の蒸気で互いの姿は見えなくなっており、大鉈の回転する音と、アルベレクが発する興奮した息遣いのみ。


 そして、大鉈の回転音が止まる。


「死ぬがいい──!」


 アルベレクの声と共に蒸気が二つに割れ、男の視界に赤い薄刃が入り込む、蒸気の中から現れたそれは、アルベレクの血で作られた大刃であり半月型をしている。血液のみで形作られた刃が飛翔し男に向けて放たれたのだ。


 しかし、その刃が迫っているその前で男はそれを避けようともせず、その場に立っている。次に左手を動かし再び同じ短銃を構えた。


「二丁目だと?しかして遅い──!」


 アルベレクの語る通り銃は通用していなかった、弾丸はアルベレクの纏う血液に絡め取られ、蒸発してしまっている。同じ手を打つのならばそれは愚策とも思える行為、アルベレクは短銃を構えた男に対し勝利を確信する。


「無力!無力だ人間!俺が貴様を狩るのだ!!」


 歓喜するアルベレクに対し男はただ冷静に短銃を構え続けている。既に半月の血刃が男に届くまで寸秒も無い。それは確実に男の肉を裂き、死へと引きずり込む命を狩る刃足り得る……筈だった。


「がっ……あァ──!!」


 アルベレクを襲ったのは、目の前の男では無く、彼自身の身で起きた事だった。


激しい痛みがその身を奔り、突き抜けた。


 途端身体が言う事を聞かなくなり、力が抜け、男の眼前にあった血刃もただの血液と変わり飛び散った。

 血刃が男に届く寸前でアルベレクが苦悶する声と共にその場に崩れ落ちる。手足が麻痺し、瞳だけが焦茶色の外套を纏う男を睨んでいる。


 男は床に這いつくばるアルベレクを一瞥すると、窓の外に目をやった。


「余計な時間を食ったな、外は落し子だらけだ」


 窓から見えるサベクトの上空には黒い雪の様な異形の生命体が降り注ぎ、サベクトの所々で火が上がる様子を男は眺めている。


 その最中、アルベレクは自身に何が起きたのか思考していた。


 突如として自身の力が失われ、立つ事すらままなくなる、事実に対し思考が追いついていない、いや思考は現実を追い越してしまった。次に起こるであろう先の事に思考が張り付いて離れない。


 それは死である。直前までまるで見えていなかった死の未来が一転、回避すべき最優先の事として突きつけられる。そうなった時、彼は目の前の男に対し恐怖した。


 元々精神的に死への傾倒が強い厄狩りと呼ばれる者達は死に対し恐怖せず、生を喜ぶ程平穏ではない、生と死の境界が機能していない故に恐怖しない。それは精神が強靭という事では無い、むしろ精神が弱いからこそ超越した力を望んでしまったのだ。


 その彼がこの男に対しては恐怖を抱いた。しかし彼ではその恐怖を処理する事が出来ず、現状は醜く足掻く事しか出来ない。


 アルベレクは未だ諦めていないのか男の語る言葉には耳もくれず、麻痺している手足に力を込めようと必死にもがいている。しかし、それは最早意味の無い行為である。彼の手足は神経ごと死んでいる。この戦いは始まった瞬間から決着が着いていた。



 はじめに放たれた赤黒い弾丸、あれこそが男の放った唯一の攻撃にして必殺の一撃。血に頼った戦闘方法を取るアルベレクに対しては絶対の死を与える〈毒〉であった。


〈錆鉄の弾丸〉は相手の血を腐敗させる遅行毒、血に対し大きな信頼を置いている者はこれで死ぬ。男が元の世界からこちらに持ってきていた唯一の武装である。


 こつこつとブーツを鳴らし、無様に這うままのアルベレクに近づいて行く。そして左手に握った短銃の名を〈ブレイクバレル・サングイス〉と言う。ブレイクバレルの名の通り、男は銃の中心を垂直に回転させ、排莢をすると懐のウェスタンベルトから銃弾を一つ抜き取り装填する、金属と金属のぶつかる音の後、装填が完了し弾の射出が出来る状態へと移行する。


 アルベレクの頭を見下ろし、射撃が外れぬ様彼の頭蓋に足をかけ固定すると、銃口をその頭蓋へと向ける。その時、彼もその死を覚悟した。


「ま、て……きか、せろ。きさまの、名を……」


 死を受け入れアルベレクは男の名を求めた。それもここに来て理性を取り戻したのも、この男が師であった『グレゴリウス』の名を口にした事を思い出したからである。この男こそがグレゴリウスに終止符を打ってくれた恩人であるかもしれない、いやそうある事を願い男の名を求めた。


「サイン・クッカーズだ。最も、名など有って無いようなものだがな」


 男、サインが名を告げると、アルベレクは安心したかの様に目を瞑った。

 この男がそうなのか、と確信を抱く事が出来た。


「ころ……せ」


 アルベレクがそう願うと、サインは引鉄に指をかける。


「……終わりだ。厄狩り」


 ──弾ける様な音が一つ。それが鳴ると途端周囲に静けさが訪れたかの様に感じる程、

  サインの思考も鮮明になってきた。

 サイン自身、戦闘中には理性を失いそうに陥る事がある。アルベレクを葬った事で一先ずの危機は去ったが、未だ悪夢鐵道は健在である。当初の目的はこちらであり、厄狩りアルベレクとの戦闘は余計な事であるのは確かだった。

 未だ落し子を生み出し続けるこの鐵道は延々とサベクト上空を周回し続けているだけで、何か目的地がある訳でも無い様子である。


「本体はこいつじゃない」


 車両間ですら隔たれた次元の壁で繋がっているこの鐵道は外見はただの鉄道列車に見え、中は空虚な鉄の箱になっている。この構造こそが人間の知覚を利用した罠であり、本質は別のどこかに潜む何かである。そう考えたサインは、車両の上部、こちらもまた別の鉄の箱に繋がる次元の壁が繋がっているが、そこを破壊し穴を開ける。


 鉄の箱の中からは外が見えているが、そこを通れば違う鉄の箱に送り込まれるだけ。

 その仕組みを理解しているサインは次の手を打つ事にした。


「〈凝視〉」


 その言葉と共に天井に開けられた穴に腕を伸ばす、そして次に伸ばした腕が何かに突き刺さったかの様に不自然に中空で止まる。何も無いはずの中空にサインだけが捉える事の出来る何かがある。その前に呟いた〈凝視〉が何を意味するのか、それもまたサインしか知り得ない。


「これか」


 そう呟き、力強く掌を握りしめると腕を下ろした。


「たかだか二重そこらか、虚仮威しにも程がある」


 すると先程まで鉄の箱に移動させられる筈の仕組みが、外側への移動が可能になっていた。


 サインは僅かな動作でそれを可能にした後、鐵道の上部へ出ると黒い雪の発生源を探した。


「あれが流れ出ている所に本体がある筈だ」


 周囲を見渡し、同じ高度にそれがないかを探す。しかし鐵道の上部にそれは見当たらなかった。次に下部、つまり鐵道より高度の低い辺りを探す。窓から黒い雪が見えた事から上部下部のどちらかにその発生源がある筈だった。


「下にも無い、か」


 同じ高度、そしてそれより下にも発生源が無い。だというのに黒い雪は降り続けており、その認識に違和感が生じる。どこからも黒い雪は流れ出していないのに、流れている。一見矛盾した現象、しかし相手が古大種の類であれば常識が通用しない場合もあり得る。


 強風が吹き荒れる鐵道の上部を悠々と歩きながらその本体を探す。しかし、やはり見当たらない。つまり本体は定位置に有る訳では無いという事になる。


「成る程、よく分かった」


 周囲を見渡し、その違和感を再度確認する。おかしい部分、未だ降り止まぬ黒い雪とそれが現れ続けるのを認識出来る視界。


「初めから認識を誤っていた。貴様の正体はこの鐵道じゃない」


 そう言って再度、鐵道内で行った中空を掴む動作をする。そして不自然にその手が何かに触れる。


「当たりだ。やはり貴様の正体はこの悪夢鐵道では無かった」


 何かに触れている腕に力が込められていく、それと共にひび割れていく様な音が空気に響く。


「初めはこの鐵道そのものに落し子を生み出す機能があると思っていた。だがそれが間違いだった、窓から黒い雪が流れ出していくのが見えたというのに、上部に上がればそれはどこから流れ出ているのか認識出来ない。いやどこからでも認識出来ると言った方がいいか。つまり──」



 徐々にひび割れる音が大きく、激しくなっていく、空間に亀裂が入り幻想が崩れ去ろうとしている。鐵道は止まる事無く未だ走っているが、黒い雪が止まり、確かに何かこの空間を満たす物が壊れようとしている。


「この空間自体が貴様の正体だ」


 サインが渾身の力を込め、空間を掌打すると決定的な破壊音と共に、空間の亀裂が弾け散る、そして悪夢鐵道が消失し、同時に足場を失ったサインも空中に投げ出される事となった。


 高度は七○メートルもあり、着地を試みようとも思わぬ高さになっており、準位種を倒し、人外である厄狩りを仕留めたサインとは言え、それらに比べれば身体は脆く、地面に打ち付けられれば容易く死んでしまうだろう。元より空中にいる相手だった故にそれを対策していない程サインは間の抜けた男では無い。



 首から下げていた特殊な材質で構成されている小さな笛を咥え息を吹き込むと息が吹き抜け甲高い音に変わる、音が空で響くと呼応する様に似たような音が返ってきた。


 月を隠している雲の切れ間に黒いシルエットが現れ、急速にサインの方へと近付いて来る。黒い翼に赤い目、竜に似た骨格をしているが、この世界に竜というモノは存在しない為か、動物の一種として数えられている。あれは〈翼獣〉と呼ばれる厄狩り達の飛行手段であり、大抵の厄狩りが一匹は飼い慣らしている生物である。その生物はサインが鳴らした笛の様に特定の音を覚え、それを合図に主人の下に現れるよう調教されている。


 サインは接近した翼獣の脚を掴み、右の掌に握られていた小さな欠片を確認すると翼獣に下へ行くよう促しサベクト市街を目指した。それに従い翼獣が高度を下げて行く、徐々に近付いていくサベクトの街並みの中、一際存在感を放つ建造物が目に入る。



街の上層区に街全体を見下ろす様に聳え立つ塔の様な建造物、かつてサインが破壊した塔を彷彿とさせる異様な建造物に対し忌々しさを覚えている。この街の情報屋の話ではあれこそが〈月教会〉の本部、即ち聖杯騎士団の根城だと聞いていた。情報屋からはこんな事は誰だって知っている事で情報ではなく常識、と出身を怪しまれたりはしたが「海を渡ってきたんだ」の一言で誤魔化す事に成功していた。



 未だ月教会に関わる人間の姿を見た事は無い。あらゆる教義に関し秘匿を貫いているが、市民達は教会に対し疑問を抱こうとしない。それは聖杯騎士団は無償で市民を守るからだという。上層区には貴族が多い事からも薄汚い癒着があるのかもしれないな、とサインは推測したが、すぐにこの世界でそんな事に何の意味があるのかと冷静になった。


 だが、そんな事よりも重要な情報は月教会は大きな秘密を抱えているという事だった。


 頭の中で聞いた『秘密を暴け』という言葉が指しているのはこの事では無いかと直ぐに上層区に向かおうとしたが、巨大な壁と瓦礫に阻まれ上層区へと繋がる道が無かったのである。


 聖杯騎士団が守護するのは上層民と中層の一握りの市民だけである事が理由であり、下層区に出現する古大種や落し子を遮断する為だという。壁に阻まれ、進めない事を理解したサインは次に翼獣を用いて空から侵入する方法を試そうとしたが情報屋から止められた。月教会ひいては上層には幾十にも結界が張られ、人が侵入する事は不可能であると言われ断念した。


 今も空から降りつつ上層に繋がる通路は無いかと目を光らせているが、やはり壁は上層の周囲をぐるりと囲っている。



 上層民になるには生まれついて貴族であるか、〈教典〉と呼ばれる何かを得なければならないとの事であった、無論教典が単なる本であれば手に入れる術を考えるところだが、話によれば物質では無く、その身に宿す何かであり、一度だけ聖杯騎士団を見た事のある情報屋の話では「あれは狂人の集まり」と忌避する様な言葉しか出てこなかった。そうなると教典と呼ばれる何かがまともなモノでは無いとなんとなく察しがついた。

 

現在のサインは上層に至る為、結界を破る方法を探し古大種や落し子を狩る事を生業とし、彼の住処のある地域を守る事で生きている。


 そうして、考え事をしている内に市街の一画に翼獣と共に降り立った。翼獣はサインが離れるとすぐに飛び上がり、再び夜の闇に消えいく。


 翼獣は利口と言われ、夜のこの街の危険性を理解している、蔓延る落し子どもや、血に酔う厄狩りの両者は獲物に対し見境いが無い。その為、厄狩りが扱う翼獣でさえもその対象になり得るのである。


 そして今夜は特に街は悪夢鐵道のせいで厄狩りが徘徊しており、落し子を見つけては肉塊に変え、周囲に異臭を撒き散らしながら血溜まりを作り上げている。


 この街は絶えず血の匂いに充ちており、厄狩りも多くいるが市民を守ると言った正義感を持った人種はその中でも数える程度にしか存在しない。


 今回悪夢鐵道に対し向かってきた厄狩りがアルベレクしか居なかったのは正義感のある厄狩りが街の防衛に勤め、血に酔った厄狩り達もまた落し子が延々と降り注ぐサベクトで殺しの限りを尽くし、時折その一部が血に呑まれ、それからも市民を守らなければならなかったという経緯がある。


 アルベレクは血に酔ってはいなかったが血に呑まれた憐れな厄狩りだったという事になる。


 しかしどういった経緯があろうとサインはそれに対し罪悪感を覚えなければ、懺悔する事も無い。


 かつてのグレゴリウスの時と同様、敵対したから殺したまでの事で、サインにとって殺しの意味とはそれ以上でもそれ以下でも無い。

 前の世界と同様一日一日、殺しという作業を連綿と続ける日々で感覚が麻痺してしまっているのだ。


「兎に角、これ以上何かと戦うのは危険だな……」


 サインは路地から通りを覗き込む、街は未だ落ち着く様子は無く、辺りからは酔った厄狩りの笑い声と落し子の奇声が響いている。


 ゲブラーの街の一画〈商業区〉に厄狩りが多く集まっている事もあり、そこを避けて寝床にしているゲブラーの端にある〈石塊通り〉へと向かう。そこは破壊された街の残骸で出来た通りであり、まだまともな厄狩りや情報屋などが多く住まう地域である。ここには月教会の扱う結界まではいかないが僅かながら効力のある結界が張られており、呑まれた厄狩りや落し子程度であれば易々と侵入する事は出来ない様になっている。


 石塊通りの側に来ると結界を抜ける時の首筋に触れられる感覚を味わい、僅かだがサインを安堵させる。ここにサインの敵はおらず、その身に抱える呪いも発動せずに済む。


 石塊通りに入り、まず寝床としている瓦解した家屋へと向かう。天井はあるが、壁に大穴が開いておりサベクトの湿った風が入り込むがこの世界でまともな家屋など貴族か上級市民くらいしか持っていない。サインも特段、家に壁が空いてる程度気にはしない為、寝る場所さえあれば良かった。藁の上に武装を纏ったまま背を預け仰向けになる。


 途端、目蓋が力を失い始め睡魔に襲われた。


「不味いな……」


 ここ一週間程、ゲブラー区画内を探索し上層区へ向かう方法を探していたが何の成果も得られず、戻って来る最中で悪夢鐵道が出現した。それまでは比較的何も無く、戦闘行為も無かったがやはり体力は限界に近かったらしく、一度の厄狩りとの戦闘でここまで消耗していた。だが一週間も眠らなかったのには理由がある。それは、眠ると必ず悪夢を見てしまうからだ。


 その悪夢はとても名状しがたく、また口に出す事も避けたい様な内容だった。 

 

 『秘密を暴け』と告げられて以降、こんな夢ばかりを見るようになり、次第に彼は眠る行為自体を極力避けている。


 サインはグレゴリウスとの戦いの後、ここで目覚めた。


 失った筈の右腕も、数多あった骨折も、何故か完治していたが、この世界の人間、石塊通りの住人達は見た事も無い衣服を纏ったサインに対し警戒心を抱いていた。


 その為暫くは誰もサインに干渉しようとしなかったが、常にサインにはまともな厄狩り達の監視が付いた。だが、ある日現れた準位種〈凝視する肉〉の襲撃の際、それを狩り殺し、その信用を得た事で石塊通りの一員として認められた。


 石塊通りにはまだまともな厄狩りである何人かと、情報屋〈エピス〉の他に錬鉄者〈エルガステリオン〉と呼ばれる鍛冶仕事の出来る老人、それと石塊通りに結界を張った人物であり〈魔術師メイガス〉である〈エンボリオン〉という老婆が暮らしている。


 サインの扱う〈鉄剣〉もエルガの製作した武器であり、その性能は確かである。しかし、エルガという人物は武器に理解しがたい機構を取り入れる癖があり、鉄剣もまたその例に漏れる事無かった。見た目は鉄の板にしか見えないがエルガが剣と名付けた以上、その性能は剣に由来するモノであるのだ。通常状態である鉄板のままでも相手を殴殺する事は可能だが、剣としての性能を発揮するのはエルガの仕組みが起動しないとならない。


 しかし、使用者であるサインは未だその機能を使用した事が無く、鉄剣を盾としてや殴り殺す為にしか使っていない。


 考えを巡らせ、思考を定めようとしたが目蓋の力は殆ど無くなってきている。一度視界が暗闇になれば、その一瞬で眠りに落ちてしまうだろう。あの、この世のモノとは思えない程に悲惨で凄惨な救いの無い世界に堕ちる。


 抵抗していたサインだったが、それも虚しく目蓋は完全に落ちた。そうして眠り、また悪夢を見るのだ。


 赤い月とそれに吠える者の夢を──。








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