のっぺらぼう
佐藤さと子30歳は疲弊していた。
つい先日婚約が破談になり、勤めていた会社も「寿」退職してしまっていた。
更に、父にステージ3の大腸がんが見つかったのだ。
極め付きには、予約していた式場などの婚礼費用の請求書、しめて130万円がさと子の許に送付されてきた。
元婚約者には破談後一切の連絡を断たれてしまい、請求がままならない状態だった。
あれこれ考えに考えた末、万策尽き果てたさと子は、気づいたらとある占いの館に辿り着いていた。
その日は本来休館日だったのだが、たまたま1軒だけ開いている部屋があった。
扉には〈パンドラの匣〉と書かれたプレートが下げられていた。
さと子は一瞬躊躇ったが、意を決して部屋の扉を開けた。
中は黒を基調にした壁紙やインテリアによってコーディネイトされていた。
「いらっしゃい。あなたが来るのはわかっていたわ」
テーブルの奥に腰掛けた、黒いヴェールを被った細身の女性がさと子に声を掛けた。
さと子はドキっとしたが、
「あ、あの、私を占ってください!」
と、やや前のめりに女性に訴えた。
「わかったわ、お掛けなさい」
女性はさと子に促した。
「私はパンドラ。この金の匣を使って占いをするわ。まずはあなたの名前を聞かせて」
「さ、佐藤、佐藤さと子です!」
「佐藤さと子さんね。あなた最近お金に困っているわね」
「な、何でわかるんですか?まだ何も話してないのに」
「匣に書かれてるわ。そうね、結婚費用と家族の医療費が高額だから、かしら」
「お、仰る通りです。父が大腸がんで、結構進行していて、手術やインターフェロン注射なんかで費用がかかります。それと結婚費用が……」
「破談になった、とか」
「は、はい。でも彼に連絡しても全然繋がらなくて、どうしようもなくなって」
「大変だったわね、さと子さん。ここでいっぱい吐き出しなさい。私が聞いてあげるわ」
パンドラの気遣いに、思わず涙腺が緩むさと子だった。
そのあとさと子は、内に秘めた思いをパンドラに向かって吐き出した。
「はあ、スッキリした。パンドラさん、ありがとうございます」
さと子はお礼を言った。
するとパンドラは、テーブルの下から何か短い棒のようなものを取り出し、
「これをあなたにあげるわ。色んな人の余分な物を取り去る力がある棒よ。使ってみてごらんなさい」
と言って、さと子にその棒を手渡した。
「あ、ありがとうございます!大切に使います!失礼します!」
さと子はお礼を言ってすぐさま部屋を出た。
「あらあら、せっかちな子ね。せいぜい使いすぎには注意することね」
パンドラはそう呟いてヴェールを取った。
さと子が帰宅している途中、大通りにある美容外科クリニックの前でしゃがみ込んで項垂れている女性を見かけた。
スレンダーな体には似合わない、推定Iカップのバストが目を引く。
「ど、どうしたんですか?」
さと子は女性に声を掛けた。
「走れなくなったの」
女性は答えた。
「私、短距離走でオリンピック目指してたんだけど、この1年で急に胸が大きくなって。重すぎて痛くて走れなくなったの」
「そ、そうなの?」
「ええ。それで、胸を小さくする手術をしようとここまで来たんだけど、何だか怖くて」
洗濯板のさと子には羨ましい話だったが、ふとさっき貰った棒の存在を思い出し、
「む、胸がなくなればいいの?」
と女性に尋ねた。
「そうだけど、手術でもしない限り無理よ!」
女性は諦めの声を上げた。
「わ、私に任せて」
そう言って、さと子は女性の両胸に棒の先端を当てた。
「何するの!?」
女性は驚いて叫んだ。
すると、みるみるうちに女性の胸が小さくなり、全く目立たなくなってしまった。
「え、嘘でしょ?あ、何だか体が軽いわ!」
女性は50mほど走ってみた。
あまりの速さにさと子は驚いた。
走って戻ってきた女性は、さと子の手を取って
「ありがとうございます!これで走れます!」
と礼を述べた。
そして
「これ、少ないですが、受け取ってください」
と言って、茶封筒をさと子に渡し、そのまま走り去ってしまった。
「え、え、何?」
何が起きたかわからないさと子は、封筒の中を覗いてみた。
中には帯封のついた紙幣が2本分入っていた。
「な、な、すごい大金!これ貰っていいの?」
恐らく胸の手術費用に充てられる予定だったお金を渡されたさと子には、何が起こっているのか把握するまで時間がかかった。
「も、貰っていいのよね。誰だか知らないけどありがとう」
さと子は自分の通勤バッグに茶封筒を収めた。
茶封筒のお金は、結婚費用に充ててもお釣りが沢山返ってくるほど多額だった。
次の日さと子は、父親の入院先に見舞いに行ったところ、病棟の談話室で泣いている子どもを見つけた。
「ど、どうしたの、お嬢ちゃん?」
さと子は子どもに尋ねた。
子どもの右頬には大きな赤いこぶができていた。
そばには子どもの母親がおり、
「先天性の血管腫なんです」
と、代わりに答えた。
更に、
「もう3度ほど手術してるんですが、全く治る気配がなくて。良性の腫瘍でも、何せ顔だから」
と、目に涙を溜めながら、子どもに済まなそうに話した。
さと子はあの棒を持っていた。
「お、お嬢ちゃん、こっち向いて」
そう声を掛けると、子どもの右頬に棒の先端を当てた。
怪訝そうな表情の母親だったが、子どもの血管腫がみるみるうちに小さくなり、やがてなくなったのを目の当たりにして、
「え、嘘!ホントに!?」
と、驚嘆の声を上げた。
そして
「あの、どちら様か分かりませんが、ありがとうございます!」
と礼を述べた。
「これで娘はもう手術受けなくて済みます!是非ともお礼をさせてください!」
そうして母親は、さと子に小切手を1枚渡した。
額面には「10,000,000円」と書かれていた。
驚いたさと子は
「こ、こんなにいただけません!」
と断ったが、
「娘がこれから受けなければならなかった筈の全ての手術代に比べれば全然安いですわ。是非お受け取りになってください」
「は、はあ、ありがとうございます」
さと子は半ば焦りながらお礼を言った。
小切手の額面は、父親の手術費用と抗がん剤治療費をある程度賄うことができるものであった。
幸い、父親のがんは思ったより進行しておらず、職場にも早期復帰可能なレベルであったため、医療費が当初の予算より少なくなった。
その一部始終を、デジカメで撮影しながら柱の陰からある男が見つめていた。
「フフフ、使えるな、あの女」
数日後、さと子は職を探しにハローワークに来ていた。
さと子の前職は大手企業の事務職だった。
失業給付受給申込手続と職業相談を終え、ハローワークを出たところで、
「お仕事お探しですか?」
と、ひとりの男が声を掛けてきた。
さと子は男と目が合い、
「は、はい、そうですが」
と自信なさげに答えた。
男はさと子に
「私のクリニックで働きませんか?」
と口説いてきた。
「え、な、わ、私がですか?」
唐突すぎて、さと子には話が見えなかった。
「この前病院で女の子の顔治してあげてましたよね」
「は、はあ」
「たまたま友人の見舞いに来てて、その様子をたまたま見かけたんです」
「は、はあ」
「あれは神にしかできないことです。あなたは神なんですよ」
「は、はあ?」
「どうかその力を、困っている人達に使ってあげてください。報酬は弾みますよ」
さと子は考えた。
私はこれまで何にも役に立ってなかったわ。
でも、求めてくれる人がいる。
世の中には私よりずっと困ってる人達がいる。
そうか、私が助けてあげればいいのね。
「わ、分かりました。よろしくお願いします!」
あっさり交渉が成立してしまった。
さと子は、男に案内された雑居ビルの2階の一室で、翌日から仕事を始めた。
すると、初日の朝イチから「患者」が数人訪れたのであった。
鼻の頭にできたイボや足の裏の魚の目など、最初は市販薬でも治療できそうな軽症ばかりだった。
しかし、治った患者の嬉しそうな顔を見て、自分まで嬉しくなるさと子であった。
次第に口コミで患者が増え、日に100人もやってくるようになったのだ。
1か月ほど「治療」を施した頃から、さと子は徐々に疲労感を覚えるようになった。
そんな時、ふと自宅のトイレで鏡に映る自分の姿を見て、さと子は
「あれ、私ってこんなに目が小さかったっけ?」
と疑問に思ったが、
「うん、気のせいか。私元から目は大きくなかったものね」
と流してしまった。
その後も日毎に患者が増え、中には唇にできた皮膚がんや膝の肉腫などの重症患者が訪れるようになったのだ。
やり甲斐はあるが、さと子の疲労がどんどん蓄積され、睡眠だけでは取り去れなくなっていた。
鏡を見た3日後、さと子は自宅で鼻の辺りが痒くなったので掻こうとした。
しかし、いつもある筈のものがない。
鼻の出っ張りがどう触れても感じられないのだ。
「えっ、えっ、どういうこと!?」
焦燥感に駆られたさと子は、両掌で自分の顔を撫で回してみた。
「な、何で?何で触れないの?」
どれだけ撫で回してみても、さと子には自分の鼻にも唇にも目にも、触れることができなかった。
「何でよ!?」
そう叫んでトイレに駆け込み自分の顔を鏡に映した。
するとそこには、顔に目も鼻も口も、何もない人物が映っていた。
「誰よこれ!あなた一体誰なのよ!?」
さと子は状況が掴めず、取り乱して叫んでしまった。
「あなたよ、佐藤さと子さん」
背後から聞き覚えのある女性の声がした。
「あ、あなたは?」
さと子が振り向いた先には黒いヴェールの女性が立っていた。
「パ、パンドラ、さん?」
「覚えていてくれたのね。嬉しいわ」
パンドラはそう答えた。
「あなたの仕業ね!私の顔、元に戻してよ!!」
さと子はパンドラに詰め寄った。
「それは私のせいではない。全部あなたがしたことの顛末よ」
「な、何ですって!?」
さと子は怒りにまかせてパンドラのヴェールを剥ぎ取った。
するとそこには、顔の部品を一切失った、さと子以外の女性がいたのだ。
「な、パンドラさん、あなた……」
さと子は、見てはいけないものを見てしまったような雰囲気で狼狽えた。
「そうよ、私も、あなたが今持ってるあの棒の犠牲者なの」
「そ、そんな……」
「私はある男から棒を貰ったの。それからはあなたがこれまでしてきたことと同じよ。気づいた時には既に手遅れだったわ」
「治らないの?」
「ええ。それは『のっぺら棒』ていうのよ。あなたを誘った男がくれたものよ」
「なっ……」
「あの日、あなたすぐ立ち去ってしまったでしょ。だから、使い過ぎに注意して、って伝えられなかったのよ」
「あ、ああ、そうだった」
さと子は自分の短絡的な言動に、今更ながら嫌悪感を覚えた。
そして、消えてしまった目から涙を流しながら
「あの男は何者ですか?」
さと子はパンドラに尋ねた。
パンドラは一瞬考えた後答えた。
「あいつはぬらりひょん。妖怪どもの親玉よ」
「よく私の正体が判ったねパンドラ」
突然男ことぬらりひょんが現れた。
「きゃっ!?」
さと子は驚いた。
「フフフ、これだから人間は愚かな生き物だよなあ。少し煽てれば図に乗って、欲の限りを尽くしよる」
的を射たぬらりひょんの言葉がもっとも過ぎて、さと子には返す言葉がなかった。
「これで妖怪が2人増えたな。我ながらしてやったりだ」
「仕方ないわね。わかったわ、あなたの部下になってあげるわ」
パンドラはぬらりひょんの軍門に下った。
「あなたはどうするの、さと子さん?」
パンドラがそう尋ねたところ、
「私、私は、んん、私も。もう父にも会えないから」
さと子は逡巡しながらも答えた。
こうして2人ののっぺらぼうが爆誕したのであった、とさ。
おしまいおしまい。
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