死神と余生

(°_゜)

珈琲を飲み終わるまで

 彼女がうまそうに珈琲を飲むところを眺めていた。

 私はひどい猫舌で熱いものが何も飲めない。彼女が飲んでいるような熱い珈琲も当然飲めないが、熱い珈琲でしか嗅げない珈琲の匂いは私は好きだった。


「いやあ美味しかった。これで思い残すことはないかな」


 彼女はそう言いながら自分でカップを流しに持っていって洗う。


「本当に良いんですか?」


「もちろん」


 私の形式上の確認に、彼女は満面の笑みで答える。これからが楽しみで仕方がないと言わんばかりだった。

 私は死神で、彼女も死神だ。

 私と彼女は同僚なのだ。だが彼女はどういうわけか死神をやめるから記憶を消してほしいと私に頼んできた。

 つまり最後には私が魂をもらうことになる。

 まさか死神の死神をやることになるとは思わなかった。しかも彼女はとびきり優秀だっただけに、ここに至るまで本当に大変……というよりは事務手続きだったり引き継ぎだったりが面倒だった。

 彼女は死神をやめて人間として過ごしてみたいのだという。

 何のために、なのかも聞きはしたが今は伏せておこうと思う。



 彼女は彼女で身辺の整理を行い、仕事の引き継ぎを行い、さあ新しい人生を始めようというところでふと思い出したかのように「五分だけ待って」と言い出した。

 もしかしてという期待はあった。

 彼女が死神稼業に戻る気になったのであれば、私が骨を折った各種手続きは徒労に終わるものの、それはそれで優秀な人材の復帰ということになるため良いことなのだろうと思った。

 だがその五分は逡巡のために費やす五分ではなく、最後の珈琲を飲むための五分だった。



 匂いをたっぷりと味わってから珈琲に口をつける。

 彼女はものすごい甘党の割に、珈琲は絶対にブラックでしか飲まない。

 少しだけ飲んでから外を眺める。外は薄暗く、雨音だけが聞こえている。

 飲んでは小さく息を吐き、ぼうっと外を眺めている。

 なにかしながらではなく、ただ珈琲をゆっくりと味わって飲んでいる。

 その目は何を追うでもなく、窓から見える隣家の一軒家の瓦や向かいのアパートの駐輪場のトタンに落ちる雨粒をぼうっと眺めている。

 ここしばらくずっと慌ただしかったから、彼女が彼女として最後にくつろいでおきたかったのかもしれない。


 飲み終わってカップを片付けた彼女は座布団の上に座り込み、


「じゃあ、あとはよろしくね」


 そう言って私に微笑みかけてきた。

 ふー、と私は大きくため息を付く。このため息は状況への失望かいなくなる同僚への寂寞か。自分でも判らない。


「では、よい余生を」


 彼女がせわしなく瞬きをして、眠りかけのように首が揺らいでいたかと思うとそのまま首が起き上がってこなくなる。

 次に顔を上げたときには既に記憶がなくなっているはずだ。


 記憶が消えても珈琲は好きでいてくれると良いと思う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

 死神と余生 (°_゜) @Munkichi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る