332話 高月マコトは……


 ――あなたには期待してるから。




 初めて会った時に、女神ノア様から言われた言葉だ。


 この世界に来てから。

 いや、前の世界の時からでもそんな事を言ってくれた人は居なかった気がする。

 両親は、俺のことを放任していたし。

 

 だから、女神ノア様がいつも俺のことを見守っていてくれる、というのは新鮮だった。

 ああ、この女神様ひとのために頑張ろう、という気持ちになれた。

 期待を裏切れない、と思っていた。


 そして、そのノア様がおっしゃっている。




 ――マコト、お願いがあるの。




 思えば、信者歴は長いがノア様に明確にお願いをされたことは少ない。


『信者になって欲しい』と言われた時。

邪神であることがバレて、『信者を止めないで欲しい』と言われた時。


 あの時以外であっただろうか?


「好きにしていいわよ」

 がノア様の口癖だ。


 女神様の短剣と加護を頂き。


『精霊使い』のスキルを与えてもらった。


 精霊と仲良くなる方法を教えてもらって。


 さーさんと再会できたのも、ノア様の導きだ。


 水の大精霊と仲良くなれたのは、ノア様の信者だったからだ。


 火の国で精霊化をして、意識が飲み込まれそうだった時に助けてくれたのはノア様だ。


 千年前に時間転移して、信者を一時的にやめることがあっても祈りを欠かしたことはない。

 

 ノア様には、数え切れないほどの恩がある。



 

 ――この世界を滅ぼして、私たちの新しい世界を作りましょう。




 そして、敬愛する女神ノア様からお願いをされた。

 信者であり、唯一の使徒である俺はそれに従うべきだ。

 ノア様の期待を裏切ってはいけない。


「俺は……」

 掠れる声で返事をしようとする。


 その時、ふわりと空中に『RPGプレイヤー』スキルの選択肢が浮かんだ。




『女神ノアの言葉通りに、世界を滅ぼしますか?』


 はい

 い…………




「ねぇ、どうしたの? こっちを見てよ、マコト」

 その選択肢を隠すように、ノア様が俺の顔を覗き込む。


 宝石のような青い瞳が、俺の目を囚えて離さない。

 そっと、ノア様の白い手が俺の頬に添えられる。


「の、ノア様……?」

「ふふふ、どうしたの? 変な顔をして」

 おそらくノア様は、『RPGプレイヤー』スキルの選択肢が視えている。

 

 神獣リヴァイアサンの時のように、正解を教えてもらいたかった。


 が、ノア様の美しい顔が目の前にあり、選択肢が見えない


「駄目よ? マコトが自分で決めなきゃ」

「俺は…………」

 文字通り女神様のごとく、慈愛に満ちた微笑みを向けるノア様の顔を見ながらこれまでの冒険が走馬灯のように脳裏に映った。


 異世界にやってきて、最初は散々だった。


 ろくなスキルを得られず、クラスメイトは皆居なくなって一人取り残された。


 一年間は水の神殿でひたすら修行してきた。


 水の神殿を出てからも、ゴブリン一匹倒すのに一苦労だったし、グリフォンと戦った時は危うく死にかけた。

 けど……。 


 水の街マッカレンでふじやんと再会して、冒険者ギルドでルーシーと仲間になり。


 大迷宮ではさーさんと再会して、桜井くんと一緒に忌まわしき竜と戦った。


 水の国の王都を救ったことで、国家認定勇者に選ばれ。


 太陽の国の王都で、フリアエさんと出会え、月の巫女の守護騎士になった。


 木の国で不死の王の復活を防ぎ、商業の国で獣の王と戦った。


 そして、千年前に赴き光の勇者であるアンナさんや大賢者様、白竜さん、ジョニィさんと共に大魔王を退けることができた。


 大変だったし、何度も死にかけた。でも。



「ノア様……」

「なぁに? マコト」

 

 女神ノア様が俺をまっすぐ見つめている。


 期待に満ちた眼差しで。


 俺は女神ノア様の使徒だ。


 ノア様の望みは叶えたい。


 でも、俺はこの世界が……。

 


 


「…………この世界を滅ぼしたくありません。別のやり方を考えませんか?」





 迷った末に口から出た言葉。


 無理だった。


 いくらノア様のお願いでも。


 滅ぼす、という決断はできなかった。



「…………そう」

 

 ノア様は、少しだけ悲しそうに微笑んだ。


 が、それは一瞬だった。


「ま、仕方ないわね! じゃあ、他の方法を考えましょっか?」


 次の瞬間には、いつもの明るいノア様に戻っていた。

 

 俺がノア様のお願いを断ったことを、気にしていないかのような態度。


 しかし、俺には無理をしているように見えた。


 落胆させてしまった、と感じた。


 俺は……、何と言えば……



「高月マコトーーーー!!!!!」

「マコくんーーー!!!」

「わぷっ」

 ノア様にかける言葉を発することはできなかった。

 両側から誰かに抱きつかれていた。


「あんたよく踏みとどまったわ! 偉いわよ、高月マコト!」 

「マコくん、私は信じてたわよ! 世界を滅ぼすような悪い子じゃないって!」

「あ、あの……、運命の女神イラ様と水の女神エイル様?」

 俺を抱きしめているのは、二柱の女神様だった。


 イラ様のなだらかな胸とエイル様の豊満な胸に挟まれる。

 ……というか押しつぶされる。


「く、苦し……」

「ほら、マコトが潰れちゃうでしょ」

 ひょい、とノア様が俺を引き寄せてくれた。

 助かった。


 すると運命の女神イラ様と水の女神エイル様の視線が、ノア様の方に向かう。


「の、の、の、ノア~~~~! あんた、なんて恐ろしいことを考えてたの!? 馬鹿なの!」

「ノア、酷くない!? 私たちあんなに仲良くしてたのに、全部滅ぼそうとするなんて!」

「別にいいでしょ? 世界が滅ぶなんてよくあることじゃない。それに水の国ローゼスは、私の信者が多いからマコトに『選民』してもらう予定だったわよ」

「…………」

「……違うのー、間違ってるの~!」

 イラ様は絶句し、エイル様は頭を抱えている。 


 テンパっているイラ様は見慣れているが、ここまで取り乱すエイル様は珍しい。


 ノア様は、なおもイラ様とエイル様に詰め寄られている。

 どうやら俺とノア様の会話は、見られていたらしい。


「ノア……、やってくれたな」

 苦々しい声が聞こえた。

 声のほうを振り向くと、声以上に苦渋に満ちた表情の太陽の女神様がこちらを見下ろしていた。

 

「あら、アルテナじゃない」

 対するノア様の表情は晴れやかだ。

 やや不敵とすら言える笑みを浮かべている。


「復活して早々に、世界を滅ぼそうとするとは……」

「悪くないでしょ?」

「最悪だ!」

 太陽の女神様が怒鳴った。


「相変わらず頭が固いわね~。みんな転生させてあげればいいじゃない」

「おまえ、そんな簡単に……、いや、ノアなら可能か……」

「星の精霊に私がお願いすればね☆」

「ノア以外には無理だろうな」 

 太陽の女神様は、腕組みをしたまま天を仰いだ。


 そして、俺の方に視線を向ける。


「ありがとう、高月マコト。この世界を選んでくれて。この星の民を代表して礼を言う」

「……はい、この世界は好きですから」

「君の境遇は、不遇だったと思うが……、よくそう言ってくれた」

 太陽の女神様にくしゃくしゃと、頭を撫でられた。 

 これは褒められている、ということだろうか。



「ま、マコトさん…………」



 怯えたような声が聞こえた。

 見ると、真っ青な顔のノエル女王が少し離れた位置に立っている。


「ノエルさん、ここまで来れたんですね」

「は、はい……あ、あの……それよりも……」

 ノエル女王の顔色が良くない。

 体調が悪いのだろうか?


「どうしました、ノエルさん? 少し休んだほうが」

「あの……、マコトさんの女神様が……世界を滅ぼすと……」

 消え入るようなか細い声で、尋ねられた。


「俺とノア様の会話が聞こえてたんですか?」

「ああ、そうだよ。僕が君たちの声を、魔法で拾ってたんだよ。ノエルちゃんはそれを聞いてたのさ」

 ノエル女王の後ろから、月の女神様が現れた。



「ニャル様、無事にノア様を解放できました。本当にありが……」

 俺は改めて御礼を言おうとして、最後まで言えなかった。

 俺を見つめる目が、氷のように冷たい。



「君にはがっかりだよ、騎士くん」



「ニャル様……?」

「気安く話しかけないでくれ。あの場面でノアくんの手を取らないなんて、一体何のために神獣を突破したんだい? 世界の王になる機会をみすみす捨てるなんてね。全く君は期待はずれだな」

「…………」

 

 月の女神様の言葉が胸に刺さる。

 どうやらナイア様は、俺が世界を滅ぼす選択肢を選ぶことを期待してたようだ。


 にしても、言葉が痛い。

 月の女神様に言われてもダメージが大きい。

 この態度をノア様にされていたら、死んでいたかもしれない。


「ちょっと、ニャル。私の使徒をイジメないでくれる?」

「はっ! ノアくんの教育が悪いんじゃないか? 随分とへたれた使徒を育てたもんだね」

 そう言うや、空中にひょいと浮かぶと、こちらに背を向けてしまった。

 月の女神様はお怒りのようだった。

 

「気にしちゃ駄目よ? マコト」

「は、はい……」

 優しいノアさまは、俺にそう言ってくれた。

 でも、本当は月の女神様と同じ気持ちなんじゃ、なかろうか。


 俺に失望したのでは、ないだろうか。

 そういう疑念が消えなかった。


 そんな俺の気持ちを読んだのだろうか。

 ノア様は、微笑みを絶やさず俺にゆっくりと近づいてくる。



「ご褒美、あげないとね」

「え?」


 一瞬だった。


 さっきまで俺の手がぎりぎり届くくらいの距離にいた女神ノア様が、前髪が触れるほどの眼前で微笑んでいた。


 ノア様の柔らかい手が、俺の頬に添えられている。


 宝石のような大きな瞳に吸い込まれそうになる。


 ノア様の顔が、すぐそばに迫っていることに気づかなかった。


「!?」

 柔らかい唇が、俺の口に押し当てられていた。




 ――ノア様にキスをされている




 その事実に頭が追いつかない。


 目の前が虹色に弾けた。


 身体が宙に浮いているような錯覚を覚える。


 唇が触れ合っていたのは、ほんの一瞬だったが天に昇るような心地だった。


 そして、ノア様がすっと俺の身体を押し、距離が生まれる。


「の、ノア様……」

「私のよ。ありがたく思いなさい♡」

「は、はい……」

 唇が離れたあとも、ぼんやりと宙を眺めていると。



「ノア!」

 太陽の女神アルテナ様の鋭い叱責と。


「何やってるの!?」

 水の女神エイル様の焦った声が聞こえた。


「何ってご褒美よ。頑張った使徒には、報いてあげないとね☆」

 ノア様はどこふく風だ。


 なぜ、太陽の女神様と水の女神様はあんなに焦っている様子なのだろうか。

 そして、さっきから身体が熱い。


「あ、あの……マコトさん。そのお姿は?」

 ノエル女王が俺を見て眼を見開いている。


「どうかしましたか?」

「あの……、お気づきでないのですか?」

「え?」

 ノエル女王の言っている意味がわからない。

 俺の外見で何か気になることがあるのだろうか。

 

「ほら、これよ。見なさい」

 ぐいっと目の前に鏡が突き出された。

 運命の女神様だ。


「ありがとうございます、イラ様」



 そこに映っているのは、ノア様のようなになった俺の姿だった。



「えっ……えええええええええ!」

 何だこれ!

 別人なんだけど。


 いや、顔は俺だ。

 でも、髪の色、瞳の色、なにより身体を覆っている虹色の魔力。

 ……俺の身体に何が起きてるんだ?


 ノア様とのキスで、こうなった?

 俺は女神様のほうへ視線を送っても、ノア様はニコニコしたままだ。

 かわりに声をかけてくれたのは太陽の女神様だった。


「女神ノアは処女神だ。私と同じな……。その清純さには神性がある。それを君は

「…………」

 俺は責められているのだろうか?

 が、太陽の女神様の目からは、呆れ果てたような感情が読み取れただけだった。


「ティターン神族の最後の女神。その清らかな身体を責を、君は負う必要がある」

「責任……ですか?」

 穢した、って何だ?


 ノア様の方を見ても、ニコニコしたままで何も言ってくれない。

 運命の女神様は、あんぐりと大きな口を開いている。

 ふと見ると、月の女神様がちらっとこちらに視線を向けていた。

  

「アルテナお姉様。マコくんに回りくどい言い方をしても伝わらないと思いますけど……」

 全然理解が追いつかない俺に、水の女神エイル様が助け舟を出してくれた。


 俺を困った子供を見るような目で見つめながら、水の女神エイル様が口を開いた。



「マコくん、おめでとう。ノアの初キスを奪った貴方は、晴れてをしました」


「…………………………………………は?」


 どうやら俺は、神様になってしまったらしい。

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