324話 月の女神の甘言


 ――月の女神ナイア


 月の国ラフィロイグの守護神であり、千年前の厄災の魔女ネヴィアさんに魅了を与えた女神様である。


 正直、今の状況の黒幕では? と疑うこともできる。

 聞きたいことは山のようにあるが……、ノア様や水の女神様と違い、言葉を選ばなければいけない気がする。

 気さくには決して話してはいけない、そんな緊張感があった。


「ナイ……ニャル様。言葉を発してもかまいませんか?」

「ふむ、ノアくんと同じ呼び方とはいい使徒だね。いいだろう、発言を許そう」 

 目を細め俺の言葉を待つ月の女神様。


 先程のように質問をしただけで、殺気を向けられることはなかった。

 だけど、つまらないことを言ったらすぐに去ってしまうか、首を切り落とされそうな怖さがある。


「ニャル様はとても楽しそうなご様子ですが、今のこの世界はニャル様にとって喜ばしい状態ですか?」

 聞き方が少しストレート過ぎたかもしれない。

 が、回りくどい質問は怒りを買うと予想した。


 俺の言葉に対して、ナイア様は少しだけ考えるような仕草をした。


「騎士くん、足元を見てごらん」

「足元……あれは?」

 月の女神様に指さされて気づく。

 

 ちょうど足元には、宇宙から見た青い惑星が広がっている。

 一見すると地球にも似ているが、大陸の形からこの星が俺の居た世界を外側から見たものだと気づく。

 以前、イラ様にも見せてもらったことがあるがその時との最大の違い。


 ゆっくりと病気に侵されるように、星が灰色に染まってきている。


「ネヴィアくんは頑張っているね。美しかった青い惑星がすっかり濁ってしまっている」

「……そう、ですね」

 俺は厄災の魔女の魔法に圧倒されてしまった。

 星の外から見ると、いかにとてつもない魔法かわかる。

 星全体を魅了する魔法のろい


 こんなものが果たして、止められるのだろうか?


「素敵な呪いだ……、『誰も傷つかない平等で平和な世界』。ふふ……、誰も争わず、誰とも競わず、どんなに気に食わない隣人とも仲良く暮らす。いや、そもそも人を好きになったり嫌いになる概念すら無くなりそうだね。まるでだ。君はそんな世界を好きになれるかな?」

「それは……」


 わからない。 

 誰も傷つかない世界と聞けば、それはきっと良いことだと思う。

 けど、そんな世界はきっと……


「少し、退屈かもしれません」

 俺は正直に答えた。

 答えたあと、月の女神様の顔を見る。


 月の女神様は、俺を見下ろし「ニタァ」と口を三日月に歪めた。


「全くだよ。実に退屈な世界だ。聖神族の連中の慌てふためく姿はなかなかに見ものだろうけど、ま、それもつかの間だね。あとは停滞したまま終わっていく世界だ…………さて」

 ひゅん、とナイア様が俺の目の前に降りてきた。


 眼前に、その整いすぎた美貌が迫る。

 ごくり、とつばを飲み込む。


「君は、ノアくんを海底神殿から救い出したいんだったね?」

「はい……、この現状を打破するにはノア様の力を借りるしか無いと思っていました」

「うんうん、安易な神頼みだけど悪くない考えだ」

 ここで月の女神様が意地悪そうな視線を向ける。


「が、残念ながら海底神殿は人間では絶対に突破できない。理由はわかるかな?」 

「神獣……リヴァイアサンが居るから」

その通りイグザクトリー!」

 ぴょん! とナイア様が飛び上がり空中で数回転する。


 そして、逆さまのまま俺のほうをじぃっと見つめる。


「ここで、クイズだ、騎士くん」

「は、はい、……何でしょう?」

 ナイア様の言葉は唐突だ。

 真意を読む暇が無い。


「この青い惑星……今は灰色に濁っているが、惑星の名前を知っているかな?」

「星の名前……ですか?」

 水の神殿の図書館、冒険者として勉強した日々、ソフィア王女から教わった西の大陸の歴史。

 過去の記憶をたどる。

 どこにも、誰からも教わらなかった気がする。


「いえ……知りません」

「だろうね」

 失望されるかと思ったが、あっさりと納得された。


「この星には大陸覇権国家すらない。どれも小国ばかりだ。これも地上の民が力をつけすぎないためのアルテナくんの策略だが……。騎士くん、君たちが日々の生活を営んでいる星の名前は『惑星』と言う。どういう意味だと思う?」

「惑星ノア……」

 初めて知る事実だった。


 ノア様は教えてくれなかった。

 水の女神様や、運命の女神様も。

 だけど、そんな名前がつけられる理由があるとしたら……。


「女神ノア様が封印されている星……」


「そうだ! つまり、この星そのものが作られたのだよ! 人間ごときが封印を解けるはずがないという意味がわかったかな?」

「……それは」

 目眩がする。

 そんなものに俺は挑戦していたのか。


 ノア様の言葉が蘇る。




 ――気が向いたら、私を助けに来てね。気長に待つから




 思えばノア様は、最初から海底神殿に必ず来いとは言わなかった。

 気が向いたら、という俺の意思を汲んだ言葉だった。

 無理だとわかっていたから?


「ひどい話だ。そんなものを『最終迷宮』として、いかにも人族でも攻略できるような触れ込みをしている。しかもノアの封印を解く方法は『ノアの信者が海底神殿に到達した時のみ』という条件。実際はただの迷宮なのにね」

 ナイア様の口調は実に楽しげだ。

 俺が絶望しているのが、嬉しくてたまらないというように。


 その時、ふっと俺のうなじに息がかかる。

 いつの間にか俺の真後ろに居た、月の女神様が俺の肩に手を置いていた。

 

「悔しくないかい? 天界の聖神族たちに地上の脆弱な民では不可能と思われている海底神殿の攻略。これをやり遂げ、連中に一泡吹かせることができれば爽快だと思わないかい?」

 耳元で囁く月の女神様の声が甘く響く。

 透き通ったその美声は、天使のささやきのように思え、脳がとろけそうになる。 


「……ニャル様が手伝ってくださると?」

 なんとなく月の女神様の真意が伝わってきた。

 月の女神様は、ノア様の封印を解きたがっている。


 その理由はわからないが。


「あははっ! 理由なんて決まってるだろう? 僕とノアくんが仲良しだからさ! 信じられないかい?」

「……勿論、信じています」

 とても信じられない。

 しかし、俺の胸中などとっくにお見通しの上なのか、意地悪くこちらへ微笑むナイア様。


「だけど、この世にタダでもらえるものなんてない。『欲するならば、まず与えよ』という賢者の言葉があったね。さぁ、月の巫女の騎士くん。君は僕に何を差し出すことができるかな?」

 ナイア様のすらりとした足が、目の前で組み替えられる。

 こちらを見下ろす目は、笑っているのに凍えるように冷たかった。


 何を差し出せるのか……、それを考える前に目の前にぽわっと文字が浮かび上がる。




月の女神ナイアルラトホテップとの取引に応じますか?』

 はい

 いいえ




『RPGプレイヤー』スキルが問うてくる。

 その選択肢に答える前に、月の女神様が「おや?」とつぶやいた。



は……君の能力かい?」

 月の女神様には選択肢が見えているらしい。


「はい、『RPGプレイヤー』スキルと言います」

 素直に答えた。


「ふぅん……、それをどうするんだい?」

「えっと……」

 俺は少しだけ迷い『はい』を選択した。

 取引という言葉は、少し……いや非常に怖いがここで引くことはできない。

 選択肢は、いつも通り光の粒子になって消えた。


「おお! これは凄いな!」

 月の女神様が感嘆の声を上げる

 ……選択肢を選んだだけなのに、何故驚かれるんだろう?


 その時、ぽわっと再び空中に選択肢が現れる。




月の女神ナイアルラトホテップとの取引に、応じますか?』

 はい

 いいえ




(念押しが来たか……)

 ますます取引内容が怖いが、それでも俺は『はい』を選択した。

 選択肢は消え、三度は出てこなかった。


 ……さて、月の女神様との会話を継続しないと。

 そう思い、月の女神様のほうを向くと今までに無いほど真剣な顔で俺の方を見つめていた。


「ナイア様?」

「君……、さっきは何をしたんだい?」

「選択肢を選んだだけですが……」

「選択肢……、選択肢か……、選択肢が見えていたんだね。どんな選択肢だい?」

「それは……」

 俺は先程の内容を説明し、二回とも『はい』を選択したことを告げた。


「そうか……、選択肢が現れ二択を迫る。そういう能力スキルなのか……」

「あの、ニャル様には選択肢は見えなかったのですか?」

 てっきりノア様やイラ様のように視えているだと思っていた。


「僕には。それにノアくんやイラくんにも視えてないんじゃないかな」

 不思議なことを言われた。

 女神様たちには視えていたはずだ。


 いや……、待てよ?

 よく思い出すとノア様やイラ様に『選択肢』の内容を突っ込まれたことは一度もなかった。

 何かしらの反応はしていたけど。

 じゃあ、一体女神様たちには何が視えていたんだ……?


「ニャル様には何が視えたんですか?」

 重要な場面で注意喚起や慎重な判断を促す能力。

『RPGプレイヤー』スキルを、俺はそのように捉えている。

 違ったのだろうか?


「僕に何が視えたか。それは今は重要じゃない。ふふ……、正直何を差し出されてもどうせ海底神殿の攻略なんて無理だと思っていたが……、これは面白いな! 流石はノアくんのお気に入りだ」

「む、無理だと思ってたんですか?」

 流石に聞き捨てならず、ツッコミを入れる。


「そりゃそうさ! 神獣リヴァイアサンに生身の人間が挑むなんて馬鹿げた話はない。君を僕の『眷属』にして、君の身体を『改造』してあげればなんとか0.01%くらいの勝機が生まれるかもしれないと思ったんだけどね。やめておくよ。そんなことをしたらせっかくの今の君の能力が失われてしまいそうだ」

「…………」

 恐ろしいことをさらりと言われた。

 なんてことを考えていたのだ、この月の女神様は。


「さて、それでは僕が君に力を貸す代償だけど……、もしもノアくんを救うことができなければ、僕の眷属となって一万年ほど奴隷として奉仕してもらう、こんなところでどうかな?」

「…………」

 とんでもない条件をつけられた。

 人族の俺が一万年も生きられるわけないとか、そもそも奴隷ってなんだとか、言いたいことは山のようにあったが……。


「ん? 条件がぬるすぎたかな? では期間を2万年に延長……」

「最初の条件でお願いします!」

「そうかい、そうかい」

 俺の言葉に笑みを絶やさない月の女神様。

 うっかり返事をしてしまったが、もともと取引には応じると言ったあとだ。

 今更あとには引けない。


「では、力をお貸しください。ニャル様」

「ふふふ、大船に乗れたと思ってくれて良いよ。それでは今から君がやるべきことを伝えよう。君は目覚めたあとに、ノエルちゃんを説得するんだ。『月の女神』を降臨させるになるようにと。流石の僕も直に降臨したら聖神族や悪神族の怒りを買ってしまうからね。連中の目を誤魔化す必要がある」

 またしても無茶を言う月の女神様。


「ノエル女王は太陽の巫女ですよ? 月の女神様が降臨するのは無理ではないですか?」

「今のノエルちゃんは聖女だ。聖女には七属性全ての適性がある。短時間なら月の女神ぼくのことも受け入れられるさ」

「長時間経ってしまったら……?」

「廃人になるだろうね」

 だから淡々と重要なことを言いすぎだ、この女神は。


「流石に、断られると思いますけど」

「それを何とかするのが君の仕事さ。でなければこの世界の呪いを受け入れるんだね」 

「……ノエル女王を説得してその後は?」

「女神の降臨方法に関しては、ノエルちゃんのほうが専門だ。太陽の女神くんを呼ぶ要領で、月の女神に呼びかければ良いと言えばいいよ。わかったかな?」

 パチン、と月の女神様が指をならす。

 すると徐々に目の前がぼやけてきた。


「待ってください! ノア様を解放すれば、この世界の呪いを解くことはできるんですか!?」

 一番重要なポイントだ。

 その答えがはっきりしないと、ノエル女王の説得などできない


「あははははっ! 全宇宙の支配者である太陽の女神アルテナくんと同格の女神ノアくんの封印を解くんだ! 彼女の助けがあれば、この世にできないことなんてないよ!」

 意識が遠のくまで、月の女神様の楽しそうな笑い声が響いていた。




 ◇




「マコト様……こんな所で寝ては風邪を引きますよ」

 寝起きに聞こえた声は、ノエル女王だった。

 俺の身体を揺すっているのは、護衛の女騎士さんだった。


「……おはようございます」

 朝は強いはずだが、異様に寝起きが悪かった。

 風邪を引いたかのように身体が重い。



「そのご様子では、海底神殿の攻略はやはり難しかったようですね……。そろそろ出発の時間です。私たちはこの島を離れなければなりません。マコト様も一緒に……」

「ノエル女王陛下」

 俺はノエル女王の前に跪いた。


「はい、何でしょう? マコト様」

「月の女神様が海底神殿の攻略に手を貸してくださるそうです」

「「「「「!?」」」」」

 ノエル女王と周りの護衛騎士たちの目が見開かれる。


「あの……なぜ急にそのようなことに?」

 ノエル女王が戸惑いながら聞いてくる。

 そりゃそうだろう。


「この世界の状態が忍びないため……、力を貸してくれると……」

 我ながら苦しいと思いつつ、説明を続ける。

 ノエル女王の護衛の騎士たちは、怪しむような視線を向けている。


「水の国の勇者殿。一体、どのように手を貸すというのですか?」

「ニャ……ナイア様がノエル女王の身体に降臨するとのことです」

「「「なっ!」」」

 俺の言葉に大きく反応したのは、ノエル女王本人よりも周りの騎士たちだった。


「いけません! ノエル様!」

「月の女神を降臨させるなど」

「勇者殿! 正気ですか!?」

 正気を疑われた。

 ……まぁ、今の惨状をみればそう思われても仕方ない。


 ノエル女王は何かを考えるように、唇に指を当てて一点を見つめている。

 護衛の騎士たちが、口々に否定的な意見を言う中でノエル女王が口を開く。


「皆さん、少し黙ってください」

 その言葉で、一瞬で全員が口を閉じた。


「幾つか質問があります。マコト様は、月の女神様とお話したのですよね? 本当に力を貸してくださるのでしょうか?」

「ええ、約束してくれました」

 と短く告げた。

 実際は、俺の身柄(一万年)との引き換えの取引だが。


「そうですか。次に、月の女神様を私に降臨させるということですが何か注意点について述べていましたか?」

「……それは」

 少し言いよどみ、しかし隠すのはやめた。


「長時間、月の女神様を降臨させたままだと廃人になると……」

「「「!?」」」

 護衛の騎士たちの目がさらに見開く。

 こちらに殺気を向ける者までいた。

 が、ノエル女王は落ち着いたままだった。


「私は月の巫女ではありませんから、奇跡の代償としては普通でしょう。私が聞きたかったのは、通常女神様を降臨させるには、女神様に縁がある魔道具が必要なのですが……、私は持っていません。マコト様は何かお持ちではありませんか?」

「いえ、無いですね」

 俺は首を横にふる。

 にしても、その言葉を聞くに月の女神様の降臨は承諾してもらえたということだろうか。

 かなりの無茶を言っているという自覚はあるのだが……。


「屋敷に戻っても月の女神様に関する魔道具は出てこないでしょう。太陽の国にはほとんど出回っていませんから……、困りましたね」

 うーんと、考え込むノエル女王。

 護衛の騎士たちは、オロオロしている。


 俺は改めて自分の所持品を思い出すが、めぼしい物は女神様の短剣、カインの黒鎧、アンナさんの指輪……、その他魔道具はちょこちょこあるが月の女神様由来のものは思い出せなかった。

 フリアエさんに何かもらっておけばよかったか……。


 いや、月の巫女さんに貰ったものは……



「ノエル様」

「マコト様」

 俺と同時にノエル女王は、それに思い至ったようだ。



「マコト様、手を出してください」

「はい」

 右手を差し出す。

 ノエル女王がその手を掴んだ。


 

 高月マコトは、

 なら、存在自体が月の女神由来の魔道具のようなものだ。



「今から、降臨の儀式を始めます。皆さんは、少し下がっていてください。神気に当てられて気を失わぬようにご注意を」

「ノエル様!? 本気でございますか!」

「ご再考を! もしものことがあっては!」

「今は貴方様だけが頼りなのです!」

「月の女神は信用なりません! あの厄災の魔女を生み出したのは月の巫女なのですよ!」

 護衛の騎士たちが悲鳴を上げるが、ノエル女王はにっこりと微笑んだ。


「大丈夫ですよ。私はリョウスケさんが信じたマコト様を信じています。少しの間屋敷はおまかせしますね……マコト様、力を抜いてください」

「は、はい……」

 ノエル女王の目が青く輝く。


 その身体からは白い魔力の光が、チカチカと溢れ出ている。

 ノエル女王の口から歌うような声が響く。



 ――闇夜をてらす月の女神さま


   いつくしみふかき……


   よわきわれらを……


   みちびきたもう……   



 断片的に聞こえてきたのは、そんな詩だった。

 その間にも光が溢れ、すでに目を開けていられなくなっている。



 カッ!!! と光の爆発が起きた。


 膨大な魔力によって大気が震え、その衝撃で俺はノエル女王の手を離してしまった。 

 そのまま尻もちをつく。


 しまった、と思い慌てて手を掴みなおそうと立ち上がろうとした時、ひんやりとした空気が首元を通った。

 

 ノエル女王を覆っていた光は無くなっている。

 降臨の儀式は終わったようだ。


 ノエル女王は一言も口を聞かず、少しうつむいている。


「ノエル様……?」

 月の女神様の降臨は成功したのだろうか?


 という俺の疑問は、ノエル女王の顔を見た途端吹き飛んだ。


 常に太陽のような笑みで、誰にでも別け隔てなく、明るい人柄で接していた太陽の巫女ノエル様。


 しかし、その朗らかな笑顔は消え去り……。



「ふむ、これが太陽の女神アルテナくんが選んだ聖女の身体か。悪くないじゃないか」

 

 ククク……と、ノエル女王はこの世の全ての悪意を煮詰めたような笑みを浮かべていた。

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