216話 女神様のお願い

「ねぇ、マコト。私の信者になってから、最初の約束を覚えてる?」


 一点の曇りもない眩しいほどの笑顔。

 両手を肩に置かれ、吐息がかかる距離。

 

 が、ドキドキする余裕もなく、俺は一年前の記憶を目まぐるしく呼び起こしていた。

 信者になった時、言われた事。

 最初の約束……。




 ――死んだら許さないわよ? あなたには期待してるんだから!




(あかん)

 思いっきり、約束破ってる。 


「ふーん、どうやら思い出したみたいね」

「は、はい……」

 ノア様の白い手が俺の頬に添えられる。

 整った美しい顔が近づき、俺の耳元で囁かれた。


「よくも約束を破ったわね? 悪い子」

 あまりの甘美な声色に、背筋が震えた。


「っ……」

「悪い子にはお仕置きが必要ね?」

 ノア様の声も、俺を見つめる瞳も、頬を撫でる手も全てが優しい。

 あまりにも優しく……恐ろしい。



「パワハラ女神ねー」

「ああやって信者を操るのね……」

「相変わらず、惚れ惚れするような圧迫プレッシャーのかけ方だな」

 後ろから水の女神エイル様、運命の女神イラ様、太陽の女神アルテナ様の感心したような声が聞こえてきた。


「ちょっと、外野! 黙りなさい!」

 ノア様が、三女神様に怒鳴る。


「いや、言わないといけないことがある」

 アルテナ様が、俺とノア様に近づいてきた。


「ノア、今回は我々聖神オリュンポス族に非があったため、特別に高月マコトを復活させたが、……次に、精霊兵器と化したら見逃すことはできんぞ? 問答無用で、廃棄対象になる。『注意する』などでは済まされんからな。ノアの使徒の管理方法について明確にしてもらおうか」

 おお……、地上で見た時のような厳格なアルテナ様の表情だ。

 注意だけ……とはいかないらしい。


「わかってるわよ、アルテナ」

 はぁー、とノア様が大きくため息をついた。


「マコト、私の目を見なさい」

「は、はい」

 ノア様が、俺の頬を両手で挟んだ。

 女神様の深海のような瞳と見つめ合う。

  



 ――女神ノアの名において、使徒あなたに命じます




 厳かに告げられた。

 ごくり、と唾を飲み込む。


「全身の精霊化はダメ! 絶対☆」

 ゆるい台詞と共に、

「めっ!」と言ってノア様の指が、俺の額をトンと押した。

 次の瞬間


「がはっ!」

 全身を視えない縄で締め付けられるような圧迫感に襲われた。

 いや、身体だけじゃなく心にまで、杭を打ち込まれたような激痛に襲われる。

 

 全身から汗が吹き出し、平衡感覚が無くなる。

 立っていられなくなり、手を地面についた。

 目の前が点滅して、呼吸の仕方を忘れるほどの混乱が襲ってきた。


 視界が定まらない。

 吐き気がして、息ができない。

 身体中が、膾切りにされたような錯覚に陥った。


 ……そして、徐々に冷静になる。


「の、ノア様……?」

 息も絶え絶えで、俺が説明を求め、目の前に立っているノア様を見上げた。

 何か掴むものが欲しくて、ノア様の足を思わず握りしめた。

 薄く微笑みながら見下ろしてくるノア様の顔は、いつもと同じように慈愛に満ちていた。


「これが『神命』。マコトは『水の精霊王』に成ることができなくなったわ。私がマコトの『魂』に命じたから」

 まだ少し頭が混乱しつつも、理解できた。


 これが女神様の『使徒』が受ける神の命令。

 ……強烈だった。

 二度と、この前の魔法を使おうという気が起きない。

 これは……逆らえないな。

 

「これでいいでしょ? アルテナ」

「ああ、問題ない」

 女神様同士の短いやり取り。

 アルテナ様も納得してくれたようだ。


「そもそも、ノアが作った『精霊使い』スキルが壊れてるのよ。なんで上限無く鍛えられるようにしてあるのよ……。聖神族わたしたちは、スキルの熟練度上限を100に定めてるのに」

「別にいいでしょ? 頑張った分は、報いてあげればいいじゃない」

「過ぎた力は、使用者すら滅ぼすわよ……」

「頭堅いわねー、イラ。あなた若いくせに」

 イラ様とノア様が、互いの意見をぶつけている。

 その中に、気になる言葉があった。


「スキルって女神様が、直々に作ってるんですか?」

 知らなかった。


「そうだ。そして強力なスキルほどスキルの作成に時間がかかる。例えば『光の勇者』スキルに千年の時間がかかるようにな」

「千年!?」

 アルテナ様の言葉に、思わず大声が出た。

 そりゃ、スキル保持者が現れないわけだ。

 単純に作成に時間がかかるだけなのか。


 ノエル王女が血縁説を話してたけど、これ関係ないんじゃ……。

 今度、教えたほうがいいのかなぁ。 

 その話を聞いて、さらに気になることができた。


「そういえば、『光の勇者』は何で桜井くんなんですか?」

 作成に千年かかる貴重なスキル。

 わざわざ、異世界人じゃなくても現地民でも欲しい人はいっぱいいるだろうし。


「…………さあな」

 んん?

 何事にも歯切れよく答えてくれたアルテナ様が、ここだけ言葉を濁した。

 なにやら複雑な事情があるのだろうか。


「もー、アルテナってば恰好つけちゃって。単にリョウスケくんの見た目が好みだっただけでしょ?」

「おい! ノア!」

「え? そうなんですか、アルテナ様?」

 衝撃の事実。


「こいつってば、昔っから面食いでさー。ま、アルテナの初恋の相手は、私に惚れてたんだけど……痛ったー! 何すんのよ、アルテナ!」

「いいかげんに黙れ、ノア! 幽閉期間を延長してやろうか!」

「はっ! やってみなさい! 今さら少々増えたところで、変わんないのよ!」

「ええい、減らず口を!」


 ノア様とアルテナ様が追いかけっこをしている。

 なんだ、これは?

 お二人って仲悪いって言ってなかったっけ?


「ノアとアルテナ姉様って幼馴染みなのよ」

「えっ!? エイル様、そうなんですか?」

「そ、古い神族の末子ノアと、新しい神族の長女アルテナ姉様は、ほぼ同時期の生まれなの」

「へ、へぇ……」

 一体、どれくらいの昔なんだろう。

 年齢は……怖いので聞かないでおこう。


「千年前の戦争で、ノアが悪神側の味方したからアルテナ姉様が拗ねちゃって。ここ千年口をきいてなかったらしいんだけど、今日仲直りしたわねー」

「……そっすか」

 なんつー、気の長い話だ。

 千年喧嘩してたのかよ。


 しばらくして、ぜーぜーと息を切らせたノア様とアルテナ様が戻って来た。

 途中から、二人の姿が速すぎて見えなかった。

 どんなスピードで追いかけっこしてたんだ……。

 こっちに戻って来た、ノア様が何かを思い出したように告げた。


「あ、そうだわ、エイル。マコトに短剣を返してあげてよ」

「!?」

 ノア様の短剣!

 エイル様が持ってたのか。


「おっと、そうね。マコくん。はい、どうぞ」

「おお……」

 碧く光る短剣が俺の元に戻って来た。

 よかった……もう戻ってこないかと心配してた。


「ところでエイル様はどこでこれを拾ったんですか?」

 俺は太陽の勇者との戦いの記憶が無い。

 多分、戦いの途中で落としたんだと思うけど。


「んー……、ま、まぁ。いいじゃない?」

「?」

 俺の疑問に、エイル様が気まずそうに顔を逸らした。


「あー、高月マコト。アレクを倒したあとのあなたを止めたのがエイルお姉様よ」

 イラ様が代わりに教えてくれた。

 へぇ……、アレクを倒したってことは、俺はあいつには勝てたのか。


 あれ……?

 でも、俺は一回『死んだ』ってソフィア王女に聞いたけど。

 アレクに勝ったのに、死んだ?

 どーいうことだろう。

 俺が首を捻っていると、イラ様が事もなげに言った。


「精霊兵器になったあなたをのよ」

「………………………………え?」

 目の前で女性教師姿のエイル様を二度見した。

 あちゃー、バレた? みたいな顔でエイル様が頬を掻いた。



「ゴメンね、マコくん。っちゃった☆」



 てへっ☆ と舌を出すエイル様はとても可愛らしく……とても恐ろしかった。

 つーか、怖っ!

 思わず距離を取った。


「ちょ、ちょっと! そんな顔しないでよ~! だってマコくん海の中にいたし。そうなると管轄が水の女神わたしだから……私だって、苦渋の決断だったのよ! ソフィアちゃんの想い人を手にかけるなんてっ!」

「…………」

 エイル様が距離を詰めてくる。


「それにすぐに生き返らせたんだし、許してくれるよねー☆ 私とマコくんの仲でしょー。うりゃうりゃ」

「え、エイル様……」

 なんか誤魔化すように、抱きしめられた。

 マシュマロのような胸を押し付けられ、頭がぼんやりする。

 ふ、ふわふわ……。


「はーい、マコくん。よしよし~、いい子いい子」

 エイル様が幼い子供をあやすように頭を撫でる。

 顔面は、エイル様のふくよかな胸にうずまっている。


「は~い、ママでちゅよ~」

 ママじゃないだろ!? という言葉も発せない。

 ……いかん、何か目覚めそうだ。


「魅了してんじゃないわよ!」

 ノア様が、エイル様に飛び蹴りを食らわせた。


 ……あ、危なかった。

 魅了魔法は効かないけど、直接攻撃は童貞の俺には『特効』だった。


「マ~コ~ト~?」

 怒ったノア様によってエイル様と引き剥がされた。

 そのまま、ぎゅーっと抱き締められる。


「悪い子ね! 他の女神おんなで鼻の下を伸ばすなんて!」

「いえいえ、誤解です……」

 エイル様と違い、ややスレンダーだが露出の多いノア様の柔肌が……


「あんた、エイルお姉様とノアに抱きつかれて、なんでそんな冷静なの……」

 イラ様が、驚愕した表情で聞いてきた。


「え? かなり動揺してるんですが」

「その割に、きちんと会話できてるじゃない。普通はもっと冷静さを失うんだけど……。よし、今回のお礼も兼ねて私が『いい事』してあげようかしら」

「い、イラ様!?」

「あんた女性経験ないんでしょ? ふふ、感謝なさい。私が教えてあげるわ」

 失礼なことを言いながら、俺に近づいて来た。


「イラ!? あんた何言ってるの!」

「イラちゃん、そういう軽い感じで行くのはダメだと思うの」

「ノアとエイルお姉様に言われたくないのだけど……。ほら、高月マコト。こっちに来なさい」

「駄目よ! 私のなんだから!」

 ノア様が、イヤイヤするように俺を抱きしめる。

 ノア様……苦し。


「ああ、そうだ。高月マコト」

 女神様連中におもちゃにされている俺に、アルテナ様が話かけてきた。


太陽の勇者アレクのことだが……お前の部下に要るか?」


「へ?」

 とんでもないことを言われた。

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