北緯66.6度

篠岡遼佳

北緯66.6度

 夏だ。

 

 だが、この極圏に訪れる夏は、真上から照りつける太陽ではなく、地平線をたゆたう長い薄暮、つまり白夜である。


 私は旅のセールスマンである。

 今回は、白夜の空を見に、商売ついででここまでやってきた。

 セールスといっても売っているのは一般的な品物ではない。サービスでもないし、もちろん保険でもない。

 大体のものは自分で発掘した魔法のかかった遺物であったり、自作の薬などである。おかげで多少の医療知識や土地ごとの話にも詳しく、それが重宝されることも時々ある。


 さて、一体こんな極地にどんな人たちが住んでいるのかというと。

 まあ魔法が一般技術であるから、大体が都市部と変わらない普通の暮らしをしている。

 ただ、やはり極限まで寒くなるこの土地にわざわざ住んでいるのには訳がある。

 それはそう、魔法力が非常に強くなる鉱物、有名な「威晶石いしょうせき」が、雪の大地の下に眠っているからだ。

 あまりに巨大なため、すべてを掘り出すことは魔法を持っても出来ず、採掘は国が厳しく取り締まっているため、非常に高価だ。

 主に無色のものが流通しているが、本場のこの土地では、蒼とも碧ともつかない美しいものが稀に採れるらしい。

 出来ればそれがほしい。もちろん商売人としても欲しいが、自分でもとても欲しい。

 うーむ、と私が考え込んでいると、左側の風がわずかに動いた。


「おじさん!」


 私は決しておじさんではない。

 貫禄のために髭は生やしているが、背格好はけっこう若々しい。念のため。


 聞こえた声は急制動して、私の前に回り込んだ。

 深緑のブレザーの制服の上に白いローブを着込んだ、学生らしい格好の小柄な女の子だ。左手には丁寧に使い込んであるよいホウキがあるが、おそらく家族で使っているものだろう。

 なるほど、どうやらここは通学路らしい。薄暗くて気付きにくいが、ホウキでぶっ飛ばすのはダメ、という意味の看板と速度表示が、そこらへんの中空に浮いている。

 今の時間を考えると、帰宅途中なのだろう。

 彼女は物怖じせず、私に話しかけてきた。


「おじさん、この辺の人じゃないでしょ。雪道慣れてないね」

「おじさんと呼ぶのをやめてもらいたい」

「じゃあ、旅人さん?」

「それで」

「じゃあ旅人さん、どーせ威晶石目当てで来たんだと思うけど、あきらめた方がいいよ」

「なぜだい?」

「先月、国から許可をもらった人たちが来たから。もう今年は採れないし、市場にも出回り終わったからかな」

「…………」


 やはり、思いつきと勢いでなんとなく調べもせず来てはいけないものらしい。

 よく私はこれでセールスマンをやれているな、と自分でも思う。


「それでね、おじさん」

「旅人さんだ」

「わかった」


 フードを取り去り、目立つ赤毛の彼女は、そばかすのある頬をにっと微笑ませ、


「取引しない?」


 ――そう、私のビジネスは大抵ラッキーがついて回るのだ。



 話は簡単で、彼女は正規の採掘場以外の場所に、得意のダウジングで威晶石の反応を見つけたのだという。

 ただ、彼女の魔法力ではそこまで飛んでいけないし、状態も把握できない。

 では家族や友達には? 尋ねたところ、「秘密に決まってるでしょ、そんなの」と当然のように言った。もののわかった学生らしい。


「おじ……旅人さんは、なんでホウキに乗ってないの?」

「セールスには足で歩くのが一番なんだ。考えてもみたまえ、ホウキで上から降りてきて、『やあ、この高圧洗浄機を売るよ』なんて言われて、気分がいいかい?」

「なるほど。歩くのなんて全然気にしたことなかった」

「一応これでもホウキの国際資格は持っている。なんでも自分で出来ないといけないから、薬の知識は本で読んだ。いろいろ持ち歩くから危険物甲種も取ったし、呪文の組み込み一級もある。それに法律にも詳しくないといけない。身を守るために普通の護身術も使える」

「わあ、意外!」

「それはどうしてかな」

「だって、旅人さん、あんまりぶ厚くないし、どっちかというと背だけ高いのかなーと」

「君は、正直は美徳だと思う方?」

「それだけが取り柄だと思う方!」

 そしてまた彼女はにっと笑った。


 さて、彼女がダウジングで見つけた場所は、果てしなく広がるような乾いた草原にあった。

 ここだよ、と言われたところは、確かに一人ではちょっと二の足を踏むような、断崖絶壁であった。覗きこむと、風が渦巻き、ちょっとでもホウキの操作を間違えたら、岩石に頭を打つか、荒れた海に落ちるかしそうである。ただではすまない。


 私たちは目を合わせて頷き合った。

 さっそくホウキを呼び出し(呼び出したことにも彼女は驚いていた。生活必需品は「貸し出し虚空」に仕舞っておくのが旅の基本である)、彼女を乗せ、私も乗る。

 中空に浮かぶ速度表示のメーターとにらめっこしながら、防風バリアを張り、ゆっくりと崖を降りる。風が思っていたよりも強い。だが、それでも安定できるのは、おそらく彼女のダウジング通り、魔法力を増すもの、威晶石が近くにあるからだ。


 ――私は、世界を回って、実際は気付いている。

 魔法とは、世界に溢れるものを、魔法力を使い、呪文の組み込み方で操る。

 つまり、魔法力を使うということは、世界に溢れるものを消費するということ。

 魔法力そのものである威晶石は、この大地の生命そのものであると。

 無限大ではないそれを削って使っている我々には、おそらく遠い将来、しかし確実に、魔法力を失う時が来る。

 限りある資源なら使ってしまえ、という向きもあるだろう。

 だが、遙かな未来を考えてしまうのも人間だ。

 この、私の腕の中で、緊張しながら絶壁を見つめている少女に娘が出来た時、世界はどうなっているだろう。


 そして、絶壁の中腹に来た時、彼女が指を指して叫んだ。

「あった! あの青い……」

 しかし、その声は途中で止まった。当惑した顔を私に向ける。

 そう、それは海鳥の巣の中。

 巣の中の卵が、すべて青く淡く光っているのだ。

「鳥の卵……あんな色の、見たことない。親鳥は普通なのに」

「威晶石の近くにいるから、濃く影響を受けているんだな。――それと、おそらく、威晶石の影響を受けた大地から、草木が生え、それを食べたものが魚に食べられ、その魚を長く食べた鳥がこうして、卵に影響が出るに至った、と」


 魔法力がこうして自然界で濃縮されるとは。論文書いて発表できそうなテーマだ。

……ひょっとすると、威晶石は、遥か昔の濃縮された生き物の魔法力なのだろうか……。興味は尽きない。

 だが、そろそろ戻らなければ。これからも何年かに一度、きっと来よう。

 私はゆっくり上昇し、彼女を草原に下ろした。


「……あーあ、大金持ちになれるかなーと思ったのに」

「まさか。もしあそこで本物を見つけていたら、君の一族はどうなっていたかわからないわけではないだろう」

「それでも、私とか兄弟が学校通うのは無料じゃないもの。なんとかしたいと思うでしょ」

「だったら、これだけを君に教えよう。

 君の未来だけは無限大だ。そう信じることだ。そうでなければ、明日は来ない。

 その未来を信じて、すべてものものは生きて死ぬんだ」

「……おじさんは……なんか、いい人なんだね」

「旅人さんだ」

「旅人さん、あのね、ありがとう。正直は美徳だよ」

「ああ、そうだな」

「あなたに風の加護がありますように」


 そう言って、彼女は私の頬に親愛のキスをし、ホウキで町の方へと飛び去っていった。



 世界は不思議に満ちあふれ、しかし、そして無限大の空が広がっている。


 うーん、しかし今回はなにも売れなかったなぁ……。






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北緯66.6度 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka

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