Moonraker

 一方そのころの穂積本社では――。


「これは……」

「この女性は、あの会社の……」


 ざわざわと会議室に響く、重役やこの会社の担当者達の声。


 穂積エンタープライズ内にある、とある会議室。普段ならいるはずの重役の一人でもある弟の泪はいない。

 尤も、議題提供は泪本人からと言えなくもないのだが。

 動画を止め、件の女性の父親の会社の資料を秘書である小野に配るよう、目で促す。


「各自資料は行き渡りましたか? では社長……始めても?」

「構わん」

「わかりました。それでは、緊急会議を行います」


 その一言で場が静まり返り、アタシが注目されるのがわかった。



 ***



 そもそもの始まりは、前嶋からの報告だった。


「何ですって?」

「ですから、泪さんに『事務所内にカメラを仕込んで』と頼まれました」

「何で……」

「泥棒猫がいるんだそうです。尤も、あの怒りようからすると在沢さん絡みのようですが」


 前嶋曰く、ここ最近、別名『泪事務所』といわれる穂積の海外事業部から、書類が無くなるというのだ。だからカメラを設置したいと。


「そのカメラの映像、こっちに引っ張れる?」

「もちろん」

「じゃあ引っ張って。お圭ちゃん絡みだというなら、アタシも許せない」

「そんなに彼女を気に入ったんですか?」

「本人を気に入ったのもあるけど……彼女の履歴書と泪から送られて来た面接の報告書、見る?」


 そう言って彼女の書類を前嶋に渡すと、「これは……」と絶句した。


「凄いでしょう?」


 資格オタクと言えるほど、数々の資格を持っている彼女を子会社から引き抜いて来た泪を、誉めてあげたい。泪の秘書とはいえ、泪の仕事を手伝うということは、ひいては会社の利益に繋がるということなのだから。


 そんなやり取りをしたその日の午後。父の書斎で社長でもある父と、とある会社の納品遅延について今後どうするかを話し合っていた時だった。

 控え目なノックの音と共に前嶋が顔を出し、「二人に見てもらいたいものがある」と一枚のCD-ROMを差し出した。


「これは……」

「あら、素敵! いつの?」

「二時間ほど前のです」

「泪は? 知ってるのか?」

「『デートに行く』と言ってましたから、まだ知らないと思います。鍵を預かっていますので、鍵と一緒に渡そうかと」


 お圭ちゃんと行くのねと内心で呟き、「わかった」と父と話し合い、会議を開くことを決めたのだ。



 ***



「資料を見ていただければわかると思いますが、最近、納品が遅れているようですがこれについて何か聞いていますか?」


 担当者が立ち上がり、説明を始める。


「特には。ただ、ここ何回か違う商品が入荷されていたので、その都度送り返したことはあります」

「そうですか……。わかりました。社長、どうしますか?」


 チラリと父を見るとしばらく考えていた。


「すぐに別のメーカーを探せ。あそこは年内に切ると伝えろ。但し、専務がいるあの事務所は今日まで休みだから、それは明日以降に」

「わかりました」

「他に質問がなければ、これで解散とします。但し、担当者は残って下さい。今後のことを話し合いたいので」


 担当者と秘書の小野を残し、どうするかを話し合った翌日の朝。泪からメールがあり、父よりも先に『お圭ちゃんと婚約したから』と告げられたので嬉しさのあまり泪に電話をしたのだが、さすがに早すぎるのではと思って突っ込んでみたのだが。


「婚約?! 早くない?!」

『早い……かしら』

「だって、付き合ってまだ一ヶ月くらいでしょ?!」

『そうなんだけど……』

「何かあったの?」


 珍しく歯切れの悪い泪に事情を聞くと、どうやらくだんの女性が彼女に嘘をつき、追い詰めたと言うのだ。

 昔から周囲に嘘をついてはアタシや泪を困らせ、自分勝手に振る舞う女――久坂 里奈。


(そっちがその気なら、まるごと潰してあげる)


 泪に洗いざらい話させ、『あの女を許すつもりはないし、潰すための計画もある』と言った泪の計画も話させ、その計画にこっそり乗ることにし、正月に彼女を連れて来ることを約束させてから「おめでとう」と電話を切った。

 その後、アタシと泪の話を盗み聞きしていたのか、考え事をしている間に父が泪に電話したのか「泪の婚約者ってどんなこだ?」と聞いて来た。


「あら、履歴書と泪の面接結果を見てるでしょう?」

「……あ?」

「ほら、この子」


 パソコンからデータを呼び出し、父に見せる。


「うーん……」

「どんなに頑張って誘っても社長お父さんが手に入れられなかった在沢 保の娘よ?」

「む……」

「身長は百五十くらいかしら。普段は無表情だけど、笑うと可愛いの!」

「むむ……」

「それに、お料理上手よ?」

「……ほんとか?」

「ほんと。アタシたちは無理だったけど、泪の嫁になるんなら義理とは言え娘になるんだし、長年の夢が叶うかもよ?」


 そう言うとニパーッと笑い、上機嫌で仕事をし始めた父に「単純だなぁ」と思いつつ、申し訳なさでいっぱいになりながらも仕事を始める。

 途中で泪にメールを送り、小野が出社して来たので泪がお圭ちゃんと婚約したこと、昨日の会議の延長と称して泪の計画を話している途中で、泪の部下である太田から


『おはようございます。事務所の書類盗難について、専務から何か聞いていらっしゃいますか?』


 というメールが届いた。おそらく泪の指示なのだろう。日にちも空けずによく顔が出せたものだと内心苦笑しつつも、太田にメールを送る。


『詳細を聞いています。もちろん、計画も』

『そうですか。なら話は早いですね。たった今、件の女性が事務所に現れました。計画実行と共にのちほど証拠映像をお届けに上がります』

『わかりました。楽しみにしています』

『はい』


 そのメールのあとで件の会社に電話をかけ、「話したいことがある。アタシは行けないが秘書の小野が出向くから」と社長とのアポイントを取り付けると小野を呼んだ。

 アタシは抜けられない会議があるため小野に自分の代わりに例の会社に行ってくれと頼み、今までの納品実績から年内で取引を打ち切ること、証拠映像を届けること、穂積が認めた泪の婚約者を蔑ろにしたため、アタシが怒っている事を話すように指示を出し、証拠映像を渡した。


「ごめんなさい。小野さんも忙しいのに……」

「構いませんよ。それでは行って参ります」

「お願いします」


 そう言って小野を送り出した。本来なら、取引停止を持ち込むのにこんな卑怯ともとれるようなことはしない。

 だが、納品が遅れていると言えば何だかんだと言い訳をし、発注したものと違うからすぐに納品し直せと言えば納品すると約束したにも拘わらず、納品されないと担当者に聞かされてしまっては、待っているお客様のためにも確実に納品してくれるメーカーを探さざるを得ないのだ。

 我慢に我慢を重ね、どうやって取引停止に持ち込むかの話をしている時に舞い込んだ矢先でのあの映像は、即取引停止に持ち込める証拠でもあったために乗っかからざるを得なかった。もちろん、太田を待たずに小野を送り出したのはわざとだ。

 小野を送り出してすぐにあの会社の担当者だった者から


「メーカーが見つかりました。これからそのメーカーに行って現物を見て来ます」


 と連絡が入り、あれよあれよという間に契約を結ぶことができたのは、また別の話だ。

 穂積が契約を切ったと他社に知れれば、下手するとあの会社は倒産するかも知れない。だが、契約している商品が届かないうえに、尚且つ商品が売れなければ、こっちが倒産の憂き目に会う。


「あの会社の社員には悪いけど、恨むなら、きっちり仕事をしなかった自分の会社の社長を恨みなさい」


 そう一人ごち、会議室で小野からの連絡を待った。



 ***



「婚約、ですか……」


 件の会社に向かう途中、車の中でポツリと呟く。心のどこかで残念に思う自分がいる。

 彼女に初めて会ったのは小田桐の秘書課に用事があって寄った時だった。そこの室長でもある在沢と話している時にコーヒーを出してもらったのだ。

 尤も、あのコーヒーを飲むまですっかり忘れていたのだが。


「独り占め出来ないのは残念ですが……仕方がないですね」


 もしも。

 もしも彼女と頻繁に会う機会があり、専務よりも先に行動を起こしていたら、今彼女の隣にいたのは僕だったかも知れないとは思う。思うが、どこまで行っても所詮は「if」でしかない。


(さて、仕事をしますか)


 内心の憂いを断ち切って駐車場に車を停め、資料を持って車を降りると受付に向かう。


「いらっしゃいませ」


 立ち上がってお辞儀をした受付嬢に名刺を渡す。


「穂積エンタープライズの小野と申します。久坂社長とアポイントを取っております」

「確認いたしますので、少々お待ちいただけますか?」

「はい」


 すぐに確認の電話をかけた受付嬢は、短いやり取りをしたあとで電話を切る。


「お待たせいたしました。ただいま社長秘書の山田が迎えに参りますので、そちらにおかけになり、お待ちください」

「わかりました」


 名刺を返してもらい、勧められた席に座ること数十秒。


「小野様、大変お待たせいたしました。秘書の山田と申します。こちらへどうぞ」


 そう言われて立ち上がって山田のあとについて行き、エレベーターに乗り込む。降りた先には『社長室』と書かれた扉があるのみだ。

 山田がノックをすると「どうぞ」と声がかかり、山田は静かにドアを開ける。


「社長、お連れしました」

「ありがとう」

「それでは失礼します。小野様、どうぞ」

「ありがとうございます」


 山田は僕を促し、下がっていった。


「小野さん、いらっしゃいませ。高林副社長の代理と伺っておりますが……どのようなご用件でしょう?」


 ソファーを勧められたので、座るなり本題に入ることにした。


「単刀直入に言います。契約を今月いっぱいで打ち切ることになりましたので、そのお知らせです」

「なん……っ! そんな……急にどうして……!」

「二度の納品遅延、三度の納品間違い。しかも、最後の納品間違いの商品が約束の日を過ぎても未だに届かないとなると、こちらとしましても、考えざるを得ません」

「な、何のことだ」

「知らないとは言わせませんよ? 担当者は社長自身と我が社の担当者から伺っておりますし、再三に渡ってお話しているにも拘わらず、色好いお返事がもらえないとも伺っておりますから。現に商品は未だに届いておりませんしね」

「……」

「そして、極めつけはこれです」


 言葉を切り、封筒ごと社長に渡す。


「これをご覧になった社長は即決断なさり、副社長と専務は大変憤慨なさっております」


 その言葉に社長は何かを感じたのか「封筒の中を見てもいいか」と聞いてから中身を取り出し、席を立って机に向かうと、中身を確認するべくCD-ROMをパソコンにセットした。


「な……っ! こ、これは……!」


 驚きのあまりか、或いは怒りのあまりか眉間に皺をよせ、身体は微かに震えている。それを見て僕も立ち上がる。


「その映像は、専務が統括している事務所内の映像でしてね。最近、書類の盗難が相次いでいるというので防犯カメラを設置したばかりだったんだそうです」

「なっ!!」

「しかも、お嬢様が来るたびに専務の仕事の邪魔をするばかりか、事務所内の人間の邪魔をしたり、専務の婚約者に『自分が婚約者だ』と嘘をついた挙句、嘘の話をしてその婚約者を追い詰めたんだとか」

「こ、婚約者……?!」


 どんどん青ざめて行く社長はやっと状況を飲み込みはじめだようだったが、今更気が付いても遅い。


「遅かれ早かれ、あのような状態ではいずれ契約が切られていたでしょう。それに、別件で専務と商談された際、専務に言われたはずです。『ここは特殊な案件を扱っているので、事務所の場所は内密に』と」

「う……」

「貴方が口をすべらし、お嬢様に専務の事務所の場所を明かさなければこんなことにはならず、こんなに早く切られることもなかったはずです」

「……」


 一旦口を閉じて社長の顔を見ると、今や社長の顔面は面白いほど蒼白だった。そろそろ止めを刺してやろうと口を開く。


「穂積が認めた泪さんの婚約者を傷つけた報いです。貴方のお嬢様は眠れる獅子を起こしてしまわれたんですよ、それも二頭も。ですが、映像これは出回っておりませんので、ご安心ください」


 明らかにほっとした社長に追い討ちをかける。


「尤も……穂積エンタープライズが契約を打ち切ったとの噂が広がるのも時間の問題ですが」


 社長が何か言おうとしたのか口を開いた途端、電話が鳴り響く。その音に社長はびくりと身体を揺らした。


「副社長からのお話は以上です。お忙しいようなので、私はこれで」

「ま、待ってくれ!」

「お時間を取らせてしまい、申し訳ありません。それでは失礼致します」

「小野さん……!」


 深々と頭を下げ、そのまま踵を返して社長室を出ると、先ほど案内してくれた秘書がコーヒーを持ってこちらに歩いて来るところだった。


「あの……?」

「申し訳ありません。社長もお忙しそうですし、社長とのお話も済みましたので、これで失礼させていただきます」

「あ……」


 そのまま会釈をしてエレベーターに乗り込み、一気に階下へ降りると、出口へ向かう。何事もなかったかのように受付嬢に会釈をすると「ありがとうございました」と返され、そのまま外へ出た。

 車に乗り込んで中の様子を窺うと、慌てた様子の男女数名の社員が、僕が乗っていたエレベーターに乗り込むのが見えた。


(おや……もう噂が広がり始めたんですか? 些か早い気もしますが……)


 首を捻りながらも、とりあえずは瑠香に連絡を入れなければならないのでスマホを取り出し、瑠香に電話をかけるとすぐに電話に出た。


『はい、高林です』

「お疲れ様です、小野です」

『お疲れ様です。会社の様子はどう?』


 そう聞かれ、今までのことや今見たことををかいつまんで話す。


『あらあら……随分早いわね……。まぁ仕方がないんだけど』


 と苦笑混じりで呟き、代わりの納品メーカーが見つかったことを教えてもらった。そのあともしばらくやり取りをしてから、車を出す。


「またあの美味しいコーヒーが飲みたいですね……」


 今度穂積に来たらお願いしてみようか……と穂積に向かいながら一人ごちた。


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