Martini
圭が自室で着替えている間に、事情を知っている姉二人に圭にプロポーズをしてOKをもらったとメールを入れると、次々に狂喜乱舞した電話をもらい、正月に顔を出すように約束させられた。どのみち紹介がてら行くつもりだったので、問題はないのだが。
但し、瑠香はあの動画を見たらしく、なぜそうなったのか、なぜこんなに早くプロポーズしたのかまで洗いざらい吐かされてしまった。まぁ、瑠香の立場から言えば当然のことだ。
更に在沢家にも電話を入れると「遅い!」となぜか怒られたが、年末に伺って報告をするからと言うと「わかった」とあっさり言われただけだった。
そのあと父からも電話があり、どうして親に先に言わないんだと怒られ、正月には必ず連れて行くし仕事前だから詳しくは瑠香に聞いてくれと一方的に電話を切り、頭を切り替える。
俺のほうは急ぎの仕事がないため、年末で今は最も忙しい経理の岡崎に圭をサポートに付け、パソコンで資料を作成していると、父と瑠香からそれぞれ違う文面でメールが入る。要約すると『構わん。嫁にもらえ、逃がすなよ』といった内容のものだったが、最後の『逃がすなよ』に、「逃がすわけないでしょ!」と思わず突っ込みを入れてしまった。
今事務所にいるのは、圭と俺を除けば経理の岡崎と営業の飯田、その補佐をしている太田の三人。あと二人いるが、二人は明日まで出張でいない。三人には昨日の時点で指示を出しているので、大丈夫だろう。
(これで準備完了、っと)
動画をコピーしたり、偽の資料を作成したり。あとは女狐が罠にかかるのを待つだけという状態になった時。
女狐……里奈が来た。こちらを見ていた太田に小さく頷くと
「じゃあ、本社に行ってきます」
と言ってが立ち上がり、事務所から出た。作戦開始だ。
「泪、あのね、あのね」
今日も今日とてソファーに座り込んで仕事の邪魔をする里奈に、「煩い! 邪魔だ!」と言ったり、話をスルーしたりしているが、お構い無しで喋る彼女にいい加減苛ついて来たタイミングで飯田がチラリと顔を覗かせ、頷いたので俺も頷く。
「ねえ、泪ってば! 少しくらい私の話を聞いてくれたっていいじゃない!」
彼女がそれを見ていたのか怒鳴った。チラリと彼女を見ると、怒っているがこっちはもっと怒ってるのよという心のうちは明かさず、怒気を含んだ声で言い返す。
「お前、いい加減にしろよ! こっちは仕事中だと何度言えばわかる! 社長令嬢なら、この状況見ればわかるだろ?! 年末で忙しいんだ! 少しは空気読め!」
「……わかったわよ! 帰る!」
そう言うなり立ち上がり、膨れっ面で書斎を出ていく里奈。パソコンをカメラの画像に切り替えると、岡崎以外のメンバーがいないうえに、岡崎からは見えないのをいいことに堂々と鞄に偽の書類を入れた。
それと同時にバタンとドアが開く音と共に、「忘れ物!」と太田が入って来て、事務所のドアを塞ぐように里奈に逃げられないように上手く遮っている。
「あれ? おかしいな……」
そう呟いた太田の声を合図に俺もパソコンから離れて事務所への入り口へ向かうと、机の上を漁っている太田が見えた。
俺からは表情が見えないのでよくわからないが、とうせんぼされている里奈は苛立っているように見える。
「ここにあった書類知らない?」
「知らないよー?」
太田の問いかけに、本当に苛立っているのか、岡崎は苛立たしげに答える。
「アンタは知らない?」
冷たい声でそう言ってギロリと睨むように里奈を見た太田に、里奈の肩が微かにに揺れる。
「知らないわよ、封筒なんて! ちょっと、離しなさいよ!」
封筒という言葉に太田は反応し、里奈の手を掴む。
「へえ……なんで書類が封筒に入ってるって知ってんだよ」
剣呑に響く太田の声に、さらにびくりと震える里奈。
「あ、あの秘書が持っていたからよ!」
「へえ……在沢が、ねえ」
その言葉にヘドが出る! と悪態をつく。
嘘つくのもいい加減にしろ! と言ってやりたいが、まだその時ではない。
飯田がコーヒーカップを手に、給湯室の入り口に立った。
「それはおかしいな。俺はさっき買い物を頼んだが、アイツはサイフだけ持って出かけたぞ?」
「えっ?!」
買い物に行かせるとは聞いてないが、飯田があそこにいるということは、圭は給湯室の奥にいるということなのだろう。飯田の言葉に里奈は驚きを表し、その横顔はどんどん青ざめて行く。
「しかも、アンタが来るようになってから、書類が無くなることが多いんだが?」
「し、知らないわよ!」
追い討ちをかけるように、飯田が話す。
「ホントに? じゃあなんでさっき封筒って言ったの?」
「しかも、この辺にあった書類も無くなってるんだよね」
「だ、だから……っ」
太田と岡崎のセリフに、さらに青ざめながらも
「だから、知らないって言ってるじゃないの! あの秘書が持ち出してるかも知れないじゃない!」
と嘘を重ね、圭に責任転嫁しようとした。思わず殴りたくなるが、ぐっと堪える。
「在沢が?」
「そうよ! 重要書類とか、レシピとか……あ!!」
語るに落ちたわね……とくっと楽しげに口角をあげると、飯田がおやという顔をしたのが見えた。
「どうして里奈が無くなった書類の種類や中身を知ってるのかな?」
怒りを抑えながらも、わざと静かに、けれど冷ややかな声を出す。
「あ、あの秘書に内容を聞いて……」
その言葉に、ブチッと何かが切れる。近くにあった小型のラップトップを手に取って起動する。
「元々嘘つきだったが、往生際も悪いとは。これでもそんなことがいえるかな?」
ラップトップの近くに置いてあったCD-ROMをセットすると再生し、画面を里奈に見せる。
「な……! 何で……いつの間に?!」
「おっと! 太田、コレよろしく。社長に届けて」
「ハイハーイ♪」
里奈が太田の手を振りほどいてラップトップに手を伸ばして来たのでその手を掴み、ラップトップを取られないように高く掲げると、太田がそれを取りに来た。
「ちょっと! それを渡しなさいよ!」
ジタバタと暴れる里奈の手をしっかりと掴むと、太田はラップトップを持って事務所を出た。
「泪、離して! 離しなさいよ……痛っ!」
犯罪者に離せと言われて離す馬鹿がいるわけないでしょ! と怒りを込め、さらに手を強く握ると里奈の顔が痛みに歪む。
「私は怒ってるんだよ。もちろんこの事務所の人間も。だから二度と近づきたくなくなるように、完膚なきまで潰してやるよ、お前を。岡崎、コレをコピーして」
「はい」
立ち上がってこっちに来た岡崎に、机の上にあった、CDに見せかけたものをケースごと渡す。
「嫌! 離して!」
「お前は今までさんざん好き勝手して来たんだ、私が好き勝手しても文句を言える立場じゃないだろう?」
半眼で見下ろすように睨み付けると、「ひっ……」と彼女が怯えた声を出し、カタカタと震えだす。
「ああ、バッチリ映ってますね」
岡崎の楽しげな声に同意するように「だろう? これを」と言葉を一旦切ると、小さな声で脅しをかける。
「お前の父親に渡したら、どうなるかな?」
クスクス笑うように楽しげに告げると、里奈の焦った声が響いた。
「嫌! それだけは止めて!」
「言っただろう? 潰すと。今頃は穂積の社長も次期社長も、これを見ているだろう」
「次期、社長……?」
「お前が知る必要はない。尤も、お前の父親はビジネスマンとしてはお喋りすぎるから、いずれは知るとは思うが」
「泪さん、終わりました」
「ありがとう。では、それを全てのクライアントにメールで送って」
「止めて! それだけは止めて! お父様の会社が潰れちゃう!」
「潰すって言っただろうが。それに嘘は得意だろう? その嘘で丸め込んだらどうだ?」
「わ、私が悪かったから! お願い、それだけは止めて!」
チラリと飯田を見ると、カップを持っていないほうの手で口を押さえ、岡崎はメールの文面を打っているふりをして笑いをこらえている。糞ったれめ。
「では、取引をしよう。飯田さん、アレは?」
「その机の上のクリアファイルの中」
飯田に言われた場所を探すと、すぐに見つかった。そこから書類を出して机の上に出した。
「読んで」
里奈を促し、「誓約書」と書かれた書類を読ませると「なん……!」と言葉に詰まる。
内容は至ってシンプルだ。
ここには二度と近づかないこと。
この事務所の人間には近づかないこと。
守れなかった場合、父親に画像を送ること。
それでも守れなかった場合は、警察に届けるといった内容だった。
「ここにサインして」
「な……」
「なんだったらメールを送るか? それをしないで紙きれ一枚で許してやるって言ってるんだ。安いもんだろう?」
「……っ」
「しなくても構わないよ? 警察に被害届を出しに行くだけだから」
「くっ……!」
渋々サインをした里奈にそれを確認したあとでコピーをし、すぐに社長宛にファックスをするとコピーを里奈に渡し、原本はクリアファイルに戻して自分で持つと、キッと里奈が睨みつけて来た。
「こんなことして……ただで済むとは思わないで!」
「お前……自分の立場と私の立場を忘れてないか? 私は『穂積エンタープライズの専務』だぞ? そしてお前は犯罪者だ」
「く……っ! この書類の内容、ま、守ってよね!」
「お前次第だな。この書類の通り金輪際近づかなければ私は守るが、他はどうかな?」
「「おー、こわっ!」」
全然恐くもなさそうな声で飯田と岡崎は声を揃えて言うと里奈は踵を返し、ドアと叩き付けるように事務所を出て行った。
(アタシは守るけど、
「飯田さん、塩撒いて、塩!」
「はいよ♪」
飯田の返事に圭がいるであろう給湯室に向かい、飯田と入れ違いで入ると圭が奥の方に座り込んでいたので驚き、青ざめる。
「ちょっ、お圭ちゃん、大丈夫?! 気分が悪いの?!」
「違います。お天気が崩れそうで足が痛いし、見つからないほうがいいのかと思って座り込んでいただけです」
笑顔でそう返され、ホッとする。足が痛いならと圭を抱き上げ、額にキスを落とすと途端に顔が赤くなった。
「泪さん! 仕事中!」
「固いこと言わないの! 不快な思いをさせちゃってごめんなさい。もう大丈夫だから」
「私は大丈夫ですから」
にこりと笑ってくれたので俺もにこりと笑い、じゃあ仕事の続きをしましょうと抱き上げたまま動こうとしたら
「コーヒーを持って行くので下ろしてください」
と言われてしまった。
仕方なく下ろして自分の机に座って中断していた仕事を再開する。しばらくすると、圭がコーヒーとチョコレートを添えて俺のところに持って来た。
「そう言えば泪さん。穂積の次期社長って……」
そう言えば言ってなかったなと思い出す。どんなに頑張ってもあの人に未だに追い付けず、明らかに生まれてくる性別を間違えたひと。
圭の耳元で「瑠香姉さんよ」と言うと、「ええーっ!!」と、圭は目を真ん丸にして叫んだ。
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