Adios Amigos

 秘書課に辿り着くと、すぐに父であり上司である在沢室長に詰め寄る。


「室長! 転属ってなんですか! しかも穂積ほづみ?! てか、どうして穂積なの!」

「圭、言葉遣い」

「煩いですよ、くそ親父! とっとと答えやがれ」

「……はい」


 無表情が能面と化していることも、言葉が悪いことも自覚しているけれど、それとこれとは別である。


「とりあえず、きっちり説明するから……落ち着け。な?」

「……」


 部屋の角にある衝立で仕切られているミーティングをする場所に一緒に移動すると無言で座り、恐る恐るコーヒーを持って来てくれた日比野に、「ありがとうございます」とお礼をし、一口飲む。


「……それで?」

「あー……うん。簡単に言っちゃうと、穂積エンタープライズからの打診でねぇ」

「……それで?」

「……穂積社長の息子が専務やってるんだけどさぁ」


 その言葉に驚く。

 穂積ほづみ 泪。

 穂積エンタープライズの社長子息であり、親の七光りなどものともせずに業績をあげ続け、まだ二十七だというのに既に専務となっている切れ者という噂のある人物だった。


「……ああ、あの切れ者で有名な方ですね。……それで?」

「そ、その彼が『圭を見初めたから、僕にちょうだい♡』って言われちゃった。ハートマーク付で」

「質問」

「……はひ」

「『見初めた』と仰いましたが、どうして穂積一の切れ者の専務が、会ったこともない一介の子会社の秘書を知ってるのですか? しかも、優秀な三島さんならともかく、どうして私なのですか?」

「さあ……?」


 そんな彼がなぜ一介の秘書をほしがっているのか在沢室長は本当にわからないらしく、珍しく眉間に皺が寄っている。二人して考えていても仕方がないので、溜息をついてから続きを促す。


「……それから?」

「あ、あの……『資格オタクだし、役に立つから君にあげる』って言っちゃった。てへっ☆」


 私が何か言うたびにビクビクする在沢室長。普段怒るということをあまりしないぶん迫力があるらしいのだけれど、最後の言葉で飲んでいたコーヒーをぶふーっ! と吹き出してしまった。そこに置いてあったティッシュで慌ててテーブルなどを拭く。


「圭、はしたないぞ」

「申し訳ありません。というか、何が『てへっ☆』ですか! いい歳こいてなんてこと言ってるのですか!」

「え~? だってさ~、断れるわけないだろう? あの穂積からだぞ? どうしてお前が指名されてんのか、俺だってさっぱりわからん」

「……ですよねぇ」


 二人同時に溜息をつく。穂積エンタープライズは、謂わば小田桐商事の親会社だ。ごく稀に優秀な営業が引き抜かれることはあっても、秘書課から引き抜かれたことは一度もない。


「で・も! それとこれとは別です! 何が『え~? だってさ~』ですか! 『あげる』ってなんですか! 私はモノじゃありません! プライベートではしばらく口も聞きたくないですね!」

「はうっ!」


 鼻息も荒くそう宣うと、父はまるで胸を矢で撃たれたかのようにワイシャツを鷲掴んだのだけれど、そこは『鬼の在沢』と呼ばれる在沢室長。今は自宅ではなく、会社だ。立ち直るのは早かった。


「冗談はともかく、圭、今誰か受け持っていたか?」

「「「 早っ!」」」


 私たちの会話を聞いていたらしい秘書課にいた人たちに突っ込まれたものの、在沢室長は綺麗に無視した。


「今はいないですね。むしろ室長の秘書をしている状態ですし、今のところ文書依頼もないですし」

「企画室は三島だけで行けそうか?」

「……それを私に聞きますか? そうですね……瞬間的に忙しくなる月末に駆り出されることはありますが、今はそれすらもほとんどないです」

「だよなぁ……どうするかな……」


 は腕を組んで天井を見上げると、一点を見つめる。これは秘書課内の組織図を組み上げている時のポーズなので、邪魔をしてはいけない。誰がどの部署の誰に付いているのか、或いは付けるのか……。個人の能力を踏まえたうえで決めていることなので、とても的確なのだ。


「……日比野、今はフリーだったな?」

「はい」

「準一級は?」

「来週、羽多野君と一緒に受験しに行きます」

「そうか、わかった。絶対に取ってこい」

「はい……?」

「取れたら企画室にいる三島のサポートにつけてやる。但し、だ」

「……! はい! 頑張ります!」


 『準一級合格が条件』と強く言った在沢室長の言葉に気付かず、小さく「やった!」とはしゃぐ日比野の声が聞こえる。けれど、そんな様子をみている『在沢室長』やその周囲は顔は笑っていても、目が笑っていない。

 そして、企画室に常駐となった今の三島には、サポートは全く必要ない。私はとっくに三人の秘書を外されているし、常駐している三島が『必要』と感じた時に依頼されて企画室に行っている状態なのだ。


(あちゃー……在沢室長ってば『鬼』の顔だよ……テストされてるよ、日比野さん)


 そう思ったけれど、何も言わなかった。これは誰しもが通る道だし、私も経験してきたことだからだ。但し、日比野は相当まずい状況にあることは、秘書課の先輩たちの誰もが感じていることではある。


「うーん……引き継ぐようなものはあるか?」

「秘書課のUSBは室長でよろしいですか?」

「ああ。他には?」

「ないですね。あるとすれば、企画室にあるUSBを石川室長か三島さんに渡すくらいです。それすらもとっくに三島さんに渡していますしね」


 そう伝えると、在沢室長は驚いた顔をした。


「そんなもんなのか?! 書類とか……」

「ありませんよ。だってですよ?」

「……だよな」

「あとは、羽多野君に先日の出張の件でお聞きしたいことがあるくらいです。ですので、それさえ済んでしまえば、私物を紙袋かエコバッグかなにかに入れて片付ければ、すぐにでも行けますよ」

「おや、それは素敵ですね」


 私たちの会話に割り込むように第三者の知らない声に振り向くと、長身で短髪黒髪はオールバック、フレームレスの眼鏡をかけ、三つ揃いのスーツを着た男性が秘書課に入って来るところだった。誰だろう? と思っていたら、その男性が自己紹介をしてくれた。


「穂積エンタープライズの穂積です。面接がてら在沢さんをお迎えにあがったのですが……。期日は再来週からでしたが、そういうことでしたら、今すぐすることにいたしましょう」

「「「お持ち帰り?!」」」


 そんな外野のツッコミは綺麗に無視した男性――穂積に最後に耳元で「お圭ちゃん」と言われ、絶句する。

 え……ま、まさか……。


「貴方、まさか……!」

「ふふ」


 人差し指を唇にあて、内緒という仕草をした穂積は、在沢室長と挨拶を交わしたあと、有無をいわさぬ言い方で「私物を纏めてください。すぐに穂積に行きます」と言われてしまった。


(男がそんな仕草しないでよ……てか、似合いすぎ! ……じゃなくて!)


 そんなことを考えながら慌てて荷物を纏め終えると、忘れ物がないかもう一度確かめる。……あったら在沢室長に持って帰って来てもらおう。


「荷物はこれだけかな?」

「あとは、給湯室に置いてあるマグカップとコーヒー豆が……」

「それなら大丈夫ですね。申し訳ありませんが、それは在沢室長が預かってください。今は時間がありませんので」


 そう言って私の荷物を持ちあげ、腕を引っ張るようにして彼はエントランスに向かって歩き始めた。


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