Irish Back Fire

 卓に着くと、所謂細マッチョといわれる女性と見紛う綺麗なオカマさんがおしぼりを持って来てくれたので、「ありがとうございます」とお礼を言うとニコリと微笑まれた。……笑顔もお綺麗です。


「それで、そのお客様は、どのようなカクテルが飲みたいと仰っているのですか?」


 泪のほうに顔を向けると、しばらく穴が空くほど顔を見つめられていたのだけれど、私の質問に我に返ったのか「あのね……」と話しだした。

 今日はその人の誕生日で、『以前火を使ったカクテルをテレビで見たからそれを作ってほしい』とお願いされたそうだ。

 けれど、ここはオカマバーであって火を使ったレシピがあるとは思えないし、そもそも火を使ったカクテルなんて見たことないし、知らない。と、一緒にいた人たちにそう言われてむきになってしまったらしい。


「うーん……ないわけではないのですが……」

「ホント?!」

「はい。ただ、一つはフレアバーテンダーじゃないと無理ですし、場所も適切ではありません。もう一つは材料やグラスがこのお店にあるかどうか……」


 そう話したうえで必要な物を伝えると、全部あるというので作り方を説明したのだけれど、二人は顔を顰めていた。


「えっ?! 無理! 誰もできないわよ!」


 そう言われてしまったので、「では、諦めてください」と言って席を立つと、泪にいきなりガシッ、と肩を捕まれた。


「ふ……ふふ……アンタが作ればいいじゃないの! アキちゃん、このコに合いそうなバーテン服あったかしら?」


 アキちゃんと呼ばれた、おしぼりを持って来てくれた人が私をまじまじと見て、「もちろんあるわよん、泪ちゃん」と言い、二人が会話をしている隙を見て逃げようとした私を、今度は二人がかりでガシッと捕まえた。おおう……逃げられません!


「そこまで詳しいなら」

「もちろん作れるわよね?」

「いえ、あの……」

「「逃がさないわよ~!」」


 息の合った二人にガッチリ掴まれたまま事務所に連れて行かれ、着替えを押し付けられた。事務所内にあった更衣室でしぶしぶ着替え始めると、泪が声をかけて来た。


「ねぇ、お圭ちゃん。聞きたいことがあるんだけど」

「それ、やめてください。私も聞きたいことがあるのですが」


 忘れていたことを思い出すように、ゆっくりと言葉にしていく。


「あら、いいわよ。お先にどうぞ」

「それでは、遠慮なく。九月の初めくらいに、公園で倒れませんでしたか?」

「偶然ね! 実はアタシもそれを聞こうと思ってたの! やっぱりあの時の人だったのね! お礼を言えてなかったから、ずっと探してたのよ。あの時はありがとう! 助かったわ!」

「いえ」

「泪ちゃん、そんなことがあったの?」

「そうなの」


 横から口を出したアキちゃんと二人でなぜかその時の話で盛り上がっている。「うふふ」と笑う泪とアキちゃんのセリフだけを聞いていれば女性の会話にしか聞こえないのだけれど、いかんせん声が低すぎる。


「これでいいでしょうか?」


 着替え終えたので更衣室から出る。白いシャツと襟には蝶ネクタイ、黒のベストとパンツ、革靴。ベストは背中のシャツが見える、首と腰のみが繋がっているタイプのものだった。


「イマイチパッとしないのよねぇ」


 そうぼやきながらも、シニヨンに結ってあった髪をほどいて複雑な編み込みにしてしまったアキちゃんに、「またあとでシニヨンに戻してくださいね!」とお願いすると、


「これならそのまま纏めるだけだから、自分で簡単にできるわよ。アンタって不器用ねぇ」


 と言われてしまい、「放っておいてください!」と言い返すことしかできなかった。


 クスクス笑う泪にグラスと材料を用意してもらい、なぜか一緒にくっついてきたアキちゃんと三人でそのお客様のところへ連れて行ってもらう。


「いらっしゃいませ、お客様。本日はおめでとうございます」


 そう言って準備を始め、泪とアキは卓に着く。


「大変お待たせしてしまい、申し訳ございません。それでは、今からお作りいたします」


 そう伝えてから一旦お辞儀をし、まずはビールをグラスに注ぐ。次にショットグラスにウォッカとクレーム・ド・カシスを入れ、マッチで火をつける。元々店内の証明は暗めなのでそこだけポッと明るくなり、卓に座っている人たちが「わあ! 素敵!」と口々に感嘆を漏らした。火がついたままビールに注ぎ入れて軽くステアし、注文したお客様の前に静かにグラスを置く。この時にはもう火は消えているので、火傷することはない。


「お待たせいたしました。『Irish Back Fire』でございます。こちらのカクテルでよろしかったでしょうか?」

「はい! このカクテルです! ありがとう!」

「どういたしまして。それでは失礼致します」


 泪とアキちゃんの驚いた顔が見えたけれど、お辞儀をしてさっさと事務所に戻って元の服に着替え、髪をシニヨンに戻すと何事もなかったかのように小田桐たちがいる席に戻る。


「申し訳ございません。お待たせいたしました」

「外で話していた人は?」

「こちらのお店の方だそうで、お客様がリクエストされたレシピを聞かれていました」


 小田桐に聞かれ、そう答える。間違ってはいない。カクテルとはいえ、確かにレシピだったのだから。


「あっちで何かあったのかい? 何やら盛り上がっていたようだが……」

「さあ……聞いて参りますか?」

「いや、いいよ。あんまり興味ないし」

「そうですか」


 私がやったことだしすっとぼけてそう話したのだけれど、もともとたいして興味がなかったのか、それともかなり飲んでいるのかクライアントの社長は既に出来上がっていて、両脇に小柄なオカマを座らせ、ご満悦な状態で聞いて来た。

 小田桐たちがいる卓はVIP席なのか、ちょうど奥まっていて他のお客たちの様子が見えないようになっている。

 カクテルを作った卓は、この席からだとちょうど死角になっていたため、私のバーテン姿を見られたような感じはなかったようだ。


 そろそろ帰ろうかと言う社長の合図で店を出て、相手の秘書と一緒にタクシーにのせ、見送る。「さて、俺たちもホテルに帰るか」との小田桐の声に返事をし、持っていたコートを羽織ったところで「待って!」と手を掴まれた。振り返ると泪とアキちゃんがいた。


「レシピありがとう! 助かっちゃったわ!」

「お役に立てたなら何よりです。それでは」


 お辞儀をして帰ろうとして、更に「だから待って!」と言われた。


「まだ何か?」

「またレシピを聞きたいの! できればお名刺、いただけるかしら」


 どうせ社交辞令だなと思い、名刺を渡すと手を掴まれて引き寄せられ、「今日はオッドアイじゃないのね」と囁かれた。

 その言葉に驚いて泪の顔を見上げると、泪は「ふふっ」と楽しそうに笑っているだけだった。


「ありがと。じゃあ、またね」


 掴んでいた手を離し、そう言ってアキちゃんと一緒に手を振り見送ってくれた。


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