Clover Club

 何の問題もなくクライアントとの商談を終え、いろいろあって疲れきった週末。久しぶりに実家である在沢家に帰り、約束通り弟妹を構い倒すつもりが、逆に構い倒された。


圭姉けいねえ、ここなんだけどさ」

「ごめん、翼。ちょっと待って」

「うん」


 今の私は畳の部屋に座布団を敷き、寝っ転がっている状態だ。背中には葵が乗っていて、両足で踏みながらマッサージらしきことをしてくれていた。


「葵、ありがとう。楽になったよ」

「本当?!」

「うん」


 十枚綴りになっている短冊をびろっと広げ、【マッサージけん】と書かれている紙を一枚千切って葵に渡すと、ニコーッと笑って「またのご利用を待ちます」と言い、ご機嫌な様子で部屋を出て行った。

 葵お手製の【マッサージけん】は、私の誕生日プレゼントとしてくれたものだ。他に、【お手伝いけん】と、なぜか【おさんぽけん】があった。


「それを言うなら、お待ちしています、だろうが……」

「まあまあ」


 葵の言葉に突っ込む翼をなだめ、ゆっくりと立ち上がろうとすると「ほら」と翼が手を貸してくれた。お礼を言って一緒にリビングに行き、ソファに並んで座ると「どこ?」と聞いた。


「ここなんだけどさ……」


 指を指したところには『大丈夫ですか?』『Is it all right?』と書かれていた。


「別に問題ないと思うけど?」

「んー、でもなんか違うって言うか……」

「ああ、もしかしてこれじゃない? 『大丈夫ですか?』と丁寧に聞いているんだから、『Are you sure?』なんじゃない? 『Is it all right?』だと、『大丈夫?』って友達とかに話しかけてる感じだし」

「そっか! じゃあこれは? どうしてもわかんなくてさ」


 指を指したところには『昨日の敵は今日の友』と書かれていた。


「そのままよ? 『Yesterday's enemy is today's friend.』だったかしら」

「……そんなんでいいんだ……」


 悩んで損したとぼやく翼に、私もよくあると伝えた。


「サンキュ、圭姉」

「どういたしまして。でも、どうして父さんや母さんに聞かないの? そのほうが早いでしょ?」

「二人に聞いても『自分でやれ』としか言わないし。圭姉だと丁寧に教えてくれるから、わかりやすいんだよ」


 ひでぇよな、とぼやいた翼は「出かけて来る」と言ってリビングを出るのと入れ違いで、今度は真琴が入って来た。


「葵のマッサージや翼の勉強を見るのは終わった?」

「終わったよ。じゃあ行こうか?」

「うん!」


 私の手を掴むと手を繋ぎ、「ヘヘーッ」とはにかんだように笑う。真琴はなぜか昔から私の手を握りたがり、握ると嬉しそうに笑うのだ。

 これから真琴と二人で、両親の結婚記念日のプレゼントを買いに行くことになっている。四人で割り勘にしようと言われたのだけれどそこは断固拒否し、一番年上で仕事をしているという立場を利用し、それぞれのお小遣いから出せるであろう金額を言い渡した。


 葵は百円。

 翼は五百円。

 真琴は千円。

 残りは私が持つことになっている。


 葵の誕生日プレゼントには欲しがっていた画面が3Dになる携帯ゲーム機を、翼の入学祝いには腕時計を、真琴には自分の成人式には私が着た着物が着たいと言ったため、そのぶん普段着る洋服を買うことにしていた。私と真琴は身長差があるので、着物は今直しに出している。

 葵と翼のぶんは父と一緒に買ったけれど、真琴はどんな服が欲しいのかわからなかったから、結婚記念日のプレゼントと一緒に買いに行こうかという話で落ち着いた。

 買い物したり、ランチをしたり、プレゼントを見たり、お茶したり。家族とゆったりのんびりと、久しぶりに休日を満喫した。



 ***



 週明け後。

 父が行くはずだった欧州への出張を社長秘書として行くように命じられ、そのあとは社長が専務と交代して残りを回り、身心共に疲れ果てた状態で日本に帰ってこれたのは、六月も半ばのことだった。

 「一週間の有給をやる」との父の言葉に甘え――書類は用意してくれていたらしい――、帰国後初の出社後。新人たちは全員無事に必要最低限の資格を取り、希望通りの配属がなされていた。出社早々欧州に行っている間に部長に昇進した小田桐の担当秘書になった葎の教育担当及びサポートを命じられ、意図的なものを感じはしたけれど、結局何も言わなかった。


 相変わらず他人行儀な私に、何度か物言いたげな葎の視線を感じたけれど、私はその態度を崩すことはなかった。

 葎が一人で一通りのことができるようになったころ、小田桐が私と葎の名前を逆に呼んでいることに気づいた。その都度「私は葎ではない」と話すのだけれど、結局今日まで改善されることはなかった。


「それでは羽多野君、このあとは来週に備え、一人でやってみてください。小田桐部長の今日のスケジュールは把握していますよね?」

「はい」

「それでは、あとをお願いいたします。私は秘書課で在沢室長の手伝いをしていますので、どうしてもわからなければ聞いてください」

「はい」


 葎が困ったような顔をしたけれど、見なかったふりをする。


「それから、小田桐部長に名前を正すよう言ってください」

「でも……」

「ある程度のことを諫めるのも秘書の仕事ですよ?」

「……わ、かりました」

「それでは、頑張ってください。小田桐部長、失礼いたします」


 不安そうな、悲しそうな顔をした葎を横目に在沢室長のところへ行くと、「昼までにやってくれ。文書の指示はその都度書いてあるから」と言われ、「畏まりました」と書類を受け取ると一番上に貼ってあった付箋を読む。


『お前は俺の娘だ。俺たちの家族だ。忘れんなよ?』


 そう書かれていたことに、多少なりとも驚く。

 両親に話したことはないのにどこまで知ってるのだろうと思いつつも、「わかっていますよ」と小さく呟く。在沢室長はそれが聞こえていたはずなのに「何か言ったか?」と聞かれ、首を小さく横に振りながら「独り言です」と伝えてから席に戻り、付箋を大事にしまうと指示通りに文書を作り始めた。


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