“オド”


 使いこまれたブーツの靴底が石畳を叩き続ける。長いこと、早歩きを止めていない。


 エヴァンジェリナ・ノースブルックは非常に機嫌が悪かった。田舎育ちで概ねおおらかに育った彼女は、あまりマイナス感情を引きずるタイプではないのだが。


 現在進行形で不快なことが続いていれば、そうもいかない。


「ユアンにどういうことか訊かないと……!」


 恐らく彼が絡んでいることまでは察した。彼が何か隠していることも。世間知らずだが勘が鈍い訳ではないのだ。


 ――ともかく、あいつら・・・・全員撒くしかないわね。


 強い西日が降り注ぐ中、エヴァは意を決して大通りの人混みへ飛び込んだ。






***






 ヴィンセントに茶の礼を言い、ユアンは孤児院を後にした。子供たちに懐かれたのは純粋に嬉しかったし、いつか菓子でも持って訪ねてみたいものだ。……決闘祭に勝っても負けても、それは叶わないとわかっているが。


 ――ヴィンセントさんはこの後決闘だけど……。


 コロシアムに行きその結末を見届ける必要はない。目に見えてる、と言えば対戦相手に失礼だが、《剣聖》は負けないだろう。むしろ、手の内を見ようとしたところで、彼の剣気にされる可能性すらある。

 もとより臆病なのだ。今は余計なプレッシャーなどいらない。


 買い物でもして帰ろうか悩むが、左腕は骨折のため固定中で、片腕しか使えない。荷物を持って両腕が塞がるのは避けたいところだ。結局、夕飯は有り合わせでなんとかしようと真っ直ぐ帰路についた。どの道この腕では凝ったものも作れない、という諦めもあったが。


 今度こそ何事もなく自宅に着き――


「ただい――ぶぁっ!?」


 踏み込んで不細工な第一声をあげる。布っぽい、何か柔らかいものが扉を開けたユアンの顔に投げつけられたのだ。


 布っぽいものはユアンの顔にぶつかることで、重力に従い足下に落ちた。


「なんだ!? クッション……? って、あぁ!!」

「やかましいぞ、静かにしろ」


 小さいのに態度のデカい、真っ白な猫がそこにいた。現在エルフォード家に居候中の魔導猫(?)だ。


「やっと起きてみれば家にいないとは、なんと気の利かない奴め」

「はぁ!? そっちが勝手にずーっと寝てたんだろうが!」

「貴様の側が一番オドの回復が早いのだから、留守にしがちでは寝っぱなしにもなるわ」


 ……出た。また“オド・・”だ。猫が発する中で一番よくわからない単語。口ぶりからして猫の動力源のようだが、ガスでも電気でもない、そんなエネルギーは聞いたことがない。

 

「……はぁ。起きたんなら色々聞かせてもらうぞ。お前自身のこと、あと魔導、アシュタ帝国について」

「盛り沢山だな。図々しい」


 嫌味は返してくるが、おとなしく猫用ベッドに座ってるあたり、説明する気はあるようだ。

 そしてふと、思い出す。


「図々しいついでに、お前の名前、これから“リン”な」

「あ゛ぁ?」


 見た目はとってもファンシーな白猫からチンピラのような声が発せられた。やめろよそういうの。無駄に美声なのが残念すぎる。


「なんだよ嫌かよ。名乗りもしないし、お前名は無いんだろう」

「…………まぁ、いいだろう。呼び名もないと不便だ。察しの通り私に名は無い。正確には、覚えていない・・・・・・

「記憶喪失ってことか?」

「それは今から説明する。ともあれ……二度言うのは面倒だな」


 白猫改めリンは、何故かそこで言葉を切る。真紅の瞳が見つめる先は家の窓だ。開けた所で隣の家の壁しか見えない、日の当たらないそこに何があるというのか。


「どうしたんだよ。こんなとこ見て」


 窓ガラスに手をかけ、外に異変がないか確認するために開け放つ。身を乗り出してみようとしたその時――


 日陰の窓辺に、更に影が射した。


「下がってッ!!」

「な――――うぶっ!?」


 苛烈な怒鳴り声。ほぼ反射で窓から飛び退くが、間に合わなった。


 ユアンは侵入者(恐らく隣の家の屋根から窓に飛び込んできたのだろう)の着地点と化した。要するに思い切り衝突されたのだ。左腕をかばったせいで腰を少し打ったが、辛うじて怪我はしていなさそうだ。


「いってて……うぉ……」


 一過性の強い痛みが引き、目を開くと思わず感嘆の声が漏れた。ユアンの視界一杯に広がったものは……女性の胸であった。シャツの中にみっちりと詰まったソレは深い深ーい谷間を形作っている。あと数センチ深く相手が倒れ込んでいれば、ユアンの顔は埋まっていただろう。


 ――で、でかい。俺の倍はあるぞ。


 というか先程の声といい、胸といい、覚えがある。


「えっと、何してるんだ? エヴァ・・・

「っ、~~~~~~!」


 二回戦の対戦相手にして友人となったエヴァンジェリナ・ノースブルック。彼女が、何故我が家に突っ込んでくるのだ。


 がばりと起き上がったエヴァは何やら怒った様子で口走っているが、聞き取れない。こちらの肩を掴みガタガタ揺さぶってくるし、かなり感情が昂っているような。


「え、ちょ、何!? 言葉わからん!」

「『何してるんだはこっちのセリフよ!』だそうだ。随分癖のある連邦語だな。田舎娘め」


 リンがさらっと失礼な物言いで通訳した。いきなり入ってきた第三者の声にエヴァはハッとし、「この前の猫ちゃん!」と今度は共通語で叫んだ。


「ああ、訳あってずっと寝てたけど、今日目覚めたんだ。リンって名前になった」

「あれからどうしてたか気になってたのよ。リンっていうのね。良い名だと思う。……それはそうと! 私、変な人達に追われてるのよ、うまく撒いてはきたけど」

「変な人達?」


 疑問系で返せば、エヴァはキロリと鋭い目を向けてくる。美人は怒っても迫力がある。


「あのオークションの後から、遠くの方から監視されているような、嫌な感じが続いてた。あなたが何か知らないかと思って家を訪ねても、留守だし。しかも訪ねた後から確実に監視の目が増えたわ」

「ぐ……」


 市議会が放った《鷹》か何かだ。それがエヴァを監視しているのは想定内。しかし、こんなに早い段階で彼女が気付き、しかも撒いてくるとは予想だにしなかった。 

 

「あなたに直接訊けないならと、私はあなたの身辺を調べることにした。と言っても、商店街の人に聞き込みをしただけだけど……成果はあった。ユアン、最近は一人ぶんの買い物しかしていないそうね? それにお父さんが病気と聞いたけど、看病で家に籠ることも薬屋に行っている様子もない」


 ユアンの口が「げ」という形で固まる。リンは猫のくせにどことなくニヤニヤしているような。


「あなたのお父さんは既に存在しない。少なくともこの家にいない。これが私の結論」


 ――あぁ、詰んだ。


 立ち上がり仁王立ちするエヴァに対し、ユアンはがくりと項垂れた。

 そもそもこの家に踏み込まれた時点で申し開きようがない。エヴァも、家の中に他の人間――バートの気配が無いことに薄々気づいてるはずだ。巻き込んでしまったのはこちらな以上、責任を取るべきだろう。


「監視は、確実に撒いたんだよな?」

「ええ。だからちゃんと説明して。……あのね、迷惑がかかったから言えってことじゃないの。私はあなたの友人よ。困っているなら、隠さないで欲しいのよ」

「エヴァ……」


 少し長くなるけどいいか。そう前置きし、エヴァをリビングのソファに座らせた。リンは一見寝ているように目を閉じているが、耳はこちらを向いている。


 これまで起こったこと――バートが掴んだ都市の真実、バートの死、そしてマルコムの提案。《剣聖》ヴィンセントに何が起こっているのかに至るまで、多少かいつまみつつ話す。


「そんな……」


 エヴァの榛色の瞳がみるみる丸くなる。これまで数回は決闘祭に参加していたのだ。裏で奴隷売買が行われていたと知っては心穏やかではないだろう。


「ハッ、胸糞悪い話だ。道理でこの都市からは歪なオドを感じるわけだ」


 目を閉じたまま呆れたように言うリン。やはり気にかかるのは“オド”という言葉。


「ねぇ、オドって一体なんなの? 私の住んでた連邦でも魔導なんてものはなかったから、さっぱりわからないのよ」


 長話の供にとユアンが淹れた茶を飲みながら、エヴァが首を傾げる。ユアンも頷いた。


「俺もそこんところ詳しく聞きたい。それに、まだお前の事情を知らないしな」


 今度はお前の番だとばかりに身を乗り出す二人に、リンは小さな口を開いた。


「…………そこまで多くの情報は持っていないからな。特に、私自身に関しては」


 そこから、リンは淡々と、過去をなぞるように話し始めた。


「私はおおよそ十七年前に発生・・した。生まれた、というのは語弊がある。私の意識はアシュタ帝国の路傍で突如覚醒した。この猫の体で倒れていた。……特に怪我もしていなかったが」


「人間の一般常識、魔導の原理やオドに関する知識、帝国語の日常会話程度の言語知識はすぐに思い出した。その時点で、この猫の体は魔導で動く偽の生体だと認識した。だが、やはり自身が果たして元々人間だったのか、それとも高い知能を与えられた人造動物なのか分からなかった」


「しかし、何か重要な使命・・があったこと

だけはわかるのだが……それが何なのかも思い出せず、暫く帝国を放浪した。道中、商人どもに魔導を使うところを見られてしまい船に乗せられ――まぁ、貴様らと出会った。そんなところだ」


 随分と端的な独白だ。記憶喪失なのだから仕方ないだろうが。

 そんな考えが顔に出ていたのか、「だから、多くは語れんと言っただろうが」とリンに睨まれた。


「……てか、お前俺と歳変わんないんだな。百年くらい生きてるーとか言われても驚かないつもりでいたのに」

「赤子から始まる貴様らとは違う。私には最初から確固たる自我があったんだ。精神年齢が高いのは当然だ」

「そんなもんか」


 やや脱線したところで、エヴァが「ねぇ、それよりオドとか魔導は?」と話題を本筋に戻す。リンは自身の話が長く続くのを好まないのか、素直にそれに従った。


「ああ……オドとは全ての生命の中で循環するエネルギーのことだ。万人が見ることも機械で検知することもできないがな」

「やっぱりエネルギーなのか。じゃあ、お前自身や魔導の動力源っていうので合ってるのか?」


 白く小さな頭が首肯する。


「そこまでわかっていれば話は早い。一つ訂正するなら、オドを使うのは私に限った話ではない。全ての生き物の生命活動でオドは消費され、食事や睡眠といったいわゆる――“英気を養う”行動で補填される」

「あれ、でもお前は……」


 ――『私の身体は魔導生物。しかも外界のオドを取り込める特殊個体だ。普通の哺乳類とは別次元のモノだと思え』


「オドは消費すると同時に僅かな量が生物の体外へ放出される。電流を流すと幾分か熱エネルギーになって逃げてしまうだろう? あれと同じようなものだ。そして逃げていった僅かなオドは一定時間大気に留まる。私はそれを栄養源としているわけだ」

「なる、ほど」


 立て板に水のごとき説明だが、言いたいことは概ね理解できる。ジェフリーに科学の基礎を習ったおかげだろうか。


「え? 電流っ? どういうこと?」


 ……エヴァには理解が難しいようだが、後で分かりやすい言葉で説明しておこう。

 リンの講釈はまだ続く。


「人間のオドは特に総量が多い。人はやがて、体内で循環するオドを意図的に放出し、“術式”に当て嵌めることで奇跡を起こせるようになった。それが魔導、魔導術だ。アシュタでは端的に、魔術ともいう」


 そう言い、リンは専用ベッドから移動し、俊敏な動きでユアンの肩までよじ登ってきた。


「痛たたたたっ! オイ、爪! 爪! 刺さる!」

「黙ってろ。今、魔導を見せてやる」


 ピンク色の肉球のついた前足がユアンの左腕にかざされる。ちょうど骨に罅が入ったところだ。


「っ! 光ってる……?」


 ちょうどリンの前足とユアンの腕の間で、白い光が淡く浮かび上がる。しかも、ただの光ではない。


「――文字?」


 光でできた緻密すぎる文字列が、円を描くように幾重にも連なっている。アルファベットもちらほら見えるが、見たことがない文字や記号、数字等も混じっている。絵物語に出てくる魔方陣のようだが、どちらかというと数式のように無機質な印象を受ける。


「もしかしてこれが、術式ってやつか?」

「そうだ。“魔導式”という。私のようにオドの扱いに慣れていれば、オド自体を式に変えられる。本来は紙や金属に書くことが多い。……よし、終わったぞ」


 リンの足はいつの間にか引っ込められ、光も消えていた。腕を持ち上げてみるが、特に変わったことは――


「あれっ? 動かしても痛くない!」


 腕にあった痛みや違和感が消えている。うそでしょ、とエヴァも驚いてユアンに駆け寄った。


「オドを物質化して、ひび割れた所に支柱を入れるように固定した。骨がぐらつかなくなったから動かしやすいだろう。本物の骨が形成される頃にはオドがお前に取り込まれて無くなるようにも設計している。勿論、無理な動きは禁物だがな」


 どうだ、とドヤ顔されるが驚いててそれどころではない。あの《剣聖》ヴィンセントに片手だけで挑まなければならない不安が、思いがけない形で解消されたのだ。


「すごい……すごいな魔導って! 俺にもできるかなっ?」


 興奮ぎみに言えば、リンは「はぁ?」と馬鹿にしたような顔で見上げてくる。相変わらず可愛げがないとうか生意気というか。どうせ無理だと言いたいのだろう。


 が、しかし。リンの返答は意外なものだった。



「何を言っている。貴様は既に魔導・・・・を使っているぞ・・・・・・・


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