《剣聖》


「ファーガス……」


 自宅までの道のりの中、人混みを避けて歩きながら、握りしめてきたモノ――牢にいた女性から渡された、ファーガスからの手紙を読む。


 几帳面そうな字で、思いの外長めの文章が綴られていた。


『伝えておくことがある。お前が優勝して都市を脱出できることが前提となるが。どうせお前のことだから、脱出した後どこに行こうなど考えていないだろう』


「う、図星……」


 決闘に勝つことに必死だったのと、トラブル続きでそこまでは考えていなかったのだ。

 次の行に目を走らせると、恐るべきアドバイスが示されていた。


『脱出できたら、アシュタ帝国を目指してみろ』


「アシュタ……って、世界半周しなきゃ着けないだろ」


 なんとも無茶な目的地だが、言葉足らずが服を着て歩いていたようなバートと違い、ファーガスはきちんと理由も記していた。


『伝聞だが、アシュタの国力は世界随一だ。頼る先として間違いはないだろう。あと、恐らくだがバートは・・・・アシュタ・・・・帝国出身だ・・・・・。バートの体術は昔見たアシュタ帝国兵の軍隊格闘術と似通っている。もしかしたらお前のルーツもそこにあるんじゃないか?』


 ――バートや俺が、アシュタ帝国出身!?


 バートは自身の経歴を語りたがらなかった。そして、ユアンとどう出会ったのかも。辛うじて「遠い国で軍人をやっていたら、お前を拾った」とだけ言っていたが。まさか本当のことだとも、遠い国というのがアシュタ帝国だとも思わなかった。


 ――アシュタを出て、バートは何故ゲールに来たんだ? 過去に、何があったんだ……?


『伝えたいことはそれだけだ。死ぬなよ。――ファーガス・ランドル』


 手紙はそこで終わっている。死ぬなよ、の文字は滲みが強く、よほど躊躇して書いたことが窺える。彼らしいと言えばらしい。


「アシュタ帝国……魔導の国、か。魔導と言えば……」


 手がかりになるのは、現在ユアンの家で休眠状態の、あの白猫だけである。魔導に詳しそうということは、アシュタ帝国についても多少は知っていそうだ。


「そうだ、あいつの名前」


 さすがに猫猫呼び続けるのもセンスがない。「猫じゃない」とも訂正してくるし。

 

 ――猫によくつける名前っていったら獅子レオとかか? 結局動物の名前だからキレられそうだな……。リオン、も同じか。いっそ縮めてリン?


「お、ちょっと女っぽいけどいい気が……、っ!」


 考えながら歩いていたら、膝あたりに何かがぶつかった。何だ、と足下をまじまじ見遣る。


「あ、うっ、ごめ、なさい」


 ユアンの半分ほどしか背丈のない幼い男の子が半べそになっているではないか。ぶつかった衝撃でか、地面に尻餅をついている。可哀想なことをした、とユアンは慌ててしゃがみこみ話しかける。


「わ、悪い! 大丈夫か? 痛いところは?」


 全身をざっと検分して怪我していないか確認する。そんなユアンの様子に落ち着きを取り戻したのか、次第に男の子は泣き止んだ。


「こんな人通りがない道でどうした? 名前は? 家族とはぐれたのか?」

「ぼ、僕はアレックス……」


 人気のない道。子供。

 二回戦の前に子供に弾倉を盗られたことを思い出すが、この子供はかなり幼い上、服装から裕福ではないにしてもスラムの子供ではないことが見てとれる。演技にも見えず、本当に途方に暮れているようだった。


「マーク、兄ちゃんに会いたかった。だから、探しに来たけど……」


 尻窄みになる言葉の止めに、ぐぅ、と鳴る男の子、アレックスの腹の虫。恥ずかしそうに顔を俯けてしまう姿は、微笑ましい。


「何時から外に出たんだ?」

「十の鐘、くらい」


 午前十時。一般的な家庭なら働いてるか家事をしているかで、子供から目を離しやすい時間帯かもしれない。言葉から察するに、マーク兄ちゃんとやらを探して家を飛び出したものの、慣れない人混みと歩き通しに疲れてしまい、帰り道もわからず彷徨さまよっていたのだろう。

 今は決闘祭でメインストリートは殺人的な人混みな上、真夏の昼間だ。よく熱中症で倒れなかったものである。


「今午後一時くらいだから……三時間くらい歩いてたのか。頑張ったな」

「え? えへへ」


 癖っ毛の頭を撫でるとアレックスは照れてはにかんだ。パッと見た感じではなんともなさそうに見えるが、髪は汗でかなり湿っており、頭部全体が熱い。少し休ませて、後は早く家に帰してやるべきだろう。


「家は第三ブロックか? 何丁目……って、流石にわからないか」

「うーんと、僕んち、白くて・・・すごく大きいよ・・・・・・・。わかる?」

「……! たぶん、わかった。俺が連れてくよ」

 

 白くてすごく大きい家。思い当たる場所が、一つある。


 ――何の因果だ、これは。


 眩暈すら覚える巡り合わせだ。吉と出るか凶と出るかは見当もつかないが。


「目的地もわかったし、ちょっと屋台で食べ物買うか。お腹すいただろ」

「え! いいの?」







 串焼きと果実水を購入し、二人で舌鼓をうったあと。格段に元気になったアレックスはユアンの手に引かれ彼の家にたどり着いた。

 全体的に白く塗装された大きな建物。もう少し装飾が多いデザインだったら教会のように見えなくもない。


 それがアレックスの家――ヴィンセント・キリアムの私設孤児院だ。


「ほんとに着いた! ありがとうおにーさん!」

「ああ、良かったな」


 清潔感はあっても決して上流階級ではない身なりなのに、家は凄く大きい白い家。この辺りを通ったことがある人間ならすぐにアレックスの身元がわかるだろう。


 ――俺はここで退散した方が無難かな……。


 庭を駆け抜けて一目散に玄関を目指すアレックスを尻目に、ユアンはそっと踵を返す。


「待ちなさい」


 穏やかな、それでいて力強さのある低音がユアンの足を止める。今日のの決闘は夕方に開かれる。今の時間帯に経営する孤児院にいるのは不思議なことではない。

 振り返れば、小柄ながら背筋の通った初老の男性、ヴィンセント・キリアムが庭に立っていた。


 ――対面は避けられないか。


「アレックスが世話になったようだ。む? 君は、確か……」

「ユアン・エルフォード。恐らく、準決勝で貴方と戦うことになる者です、ミスタ・キリアム」

「え、そうだったの!?」


 アレックスが素っ頓狂な声をあげる。「アレックス、後で話があるから今は部屋に戻ってなさい」とヴィンセントが嘆息しながら小さな頭を小突く。怒られる雰囲気を察してか、アレックスは「はぁい」と落ち込み気味に返事をして建物の奥に消えていった。


 今のやりとりで、ほんの少し流れていた、比重の重い緊張の空気が霧散したのを感じた。


「……まぁなんだ。君には積もる話もあったところだ。中で茶でも飲んでくれ」


 ヴィンセントは軍を通して市議会から資金援助されている可能性が高い。本来は敵対関係。接触も避けるべきだろう。実際、先ほどまではそうしようと思っていたのだが。


 ――この人から、邪なモノを一切感じない。


 洗練された聖職者を前にしているような。今日会ってきたマルコムが胡散臭すぎてそう感じるのだろうか。ともかく、彼とは対話した方がいい、とユアンの直感が示していた。



「うわぁ、キレイなお姉さんだ!」

「違うよ、お兄さんだよ」

「かっこいい! 黒い髪なんて初めて見た!」

「お兄さんどこから来たのっ?」


 お邪魔します、と建物に足を踏み入れば、直ぐ様子供達に取り囲まれる。そこからは子供特有のストレートな感想と質問の嵐。可愛いらしいが、さすがに圧倒されてしまう。


 そんな中、一人の男児の言葉に引っかかるものがあった。


少し前・・・に来てた・・・・お兄さん・・・・の方がおっきかったね!」


 ――俺の前に来客があった? それも若い男の。


「こら、お客様を困らせるな。彼はユアン・エルフォード君、私の知り合いだ。応接室には入ってこないように」


 院長に諫められ、子供たちは「はーい」と口を揃えて返事をすると、ちらちらユアンを振り返りつつも皆散り散りに行動し始めた。教育がいいのだろう。無邪気ではあるが、見たところ粗暴な子もいない。


「子供たちが失礼した。応接室はこちらだ」

「あ、はい。あの、俺の前に誰か来客が?」

「ああ。……それも、これから話そう」


 応接室に入り扉が閉められると、子供たちのはしゃぐ声がかすかにしか聞こえなくなる。促されてソファに腰掛けたユアンの前に紅茶を置くと、ヴィンセントは静かな所作で対面に座った。


「――まず、アレックスの件で改めて礼を言おう。感謝する」


 腰まで折って礼をされ、ユアンは慌ててかぶりをふる。面映ゆいような、気まずいような気持ちが強いから。

 それとなく振る舞っているが、ユアンにとって《剣聖》は憧れの英雄だった。今までのユアンなら、握手とサインを求めるくらいはしていただろう。


 とはいえ、都市の真相とマルコムの話を聞いた今では、ヴィンセントがその名声に足る人物かは判断つかないが。


「いえ、そんな……。こちらこそ、かの有名な《剣聖》にお会いできて光栄です」

「硬い物言いはしなくていい。私は君の事情を知っている。元軍属として言えた義理ではないが、大変な立場に置かれているのだろう」


 思いの外早く核心の一部に触れられ、緊張からユアンは生唾を呑み込んだ。


 予想はしていたが――ヴィンセントはやはり、都市の奴隷生産も、ユアンの境遇も把握しているのだ。


「では、単刀直入に。貴方は決闘祭に関して、市議会や軍部から何らかの取引を持ちかけられた……というのは事実ですか? 例えば、俺に勝てば何らかの利権が発生する……とか」


 取引内容として、一番考えられるのがそれだった。孤児院経営の利になる何らかの報酬。ユアンの信じる高潔な武人であるところの彼ならば、私欲を理由には都市に従わないだろう。――希望的観測だが。


 ヴィンセントは苦笑しながら答えた。「合っているが、違う」と。


「ふふ……君の考えのように、私が単純な利権に食い付く男だと、軍部がそう考えてたら事態はもっと楽だった」

「どういうことですかっ?」

人質をとられた・・・・・・・脅迫だよ・・・・

「なっ……!?」


 軍部とヴィンセントの間で行われたのは公平な取引ではなく、一方的な要求だったということだ。


「市議会に私を動かすよう言われた軍部は、あらゆる提案をしてきたとも。最新の・・・身体強化薬・・・・・というやつを服用して決闘に臨めばそれだけで金を出すとも言われた。剣の刃に軍が開発した毒を塗れ、などとも。だが全て断ったよ。私は剣士として決闘に出る以上、そんなものは必要ないと一蹴してやった」


 気高い選択。軍部が最も扱いかねる男だけある。――ただ、正しいことが最善であるとは限らない。


「加えて、私は秘密裏に対戦相手である君の事情を探った。軍部が躍起になって潰そうとする君のことを。――不快かもしれないが、私は全てを知ったあと、君にわざと負けようかとも考えていた。未来ある若者の人生を潰してまで、私が勝ち進む必要はないのだから。……しかし、軍には私のそんな動きを見破られてしまってね」

「それで、あちらは人質を取ることにした……貴方を従わせるために。人質とは、誰なんですか?」


 ヴィンセントは軍属だった頃に若くして妻を亡くしていると聞いたことがある。彼らの間に子どもはいなかった。人質の対象足り得るのは、つまり――


「ここの子だ。名はマーク。もう十六になる最年長の……院長を継がせようと考えていた子だ」

「それって、アレックスが探してた?」


 マーク兄ちゃんを探して迷子になった、とアレックスは言っていた。


「ああ。アレックスは特に懐いてたからね。……私の助けになりたいからと、あの子は割のいい奉公先を見つけたと出掛けたきり、帰って来なかった」


 マークに狙いを定めた軍部が彼を甘言で誘い出し、捕らえたのだ。そして後日軍から呼び出されたヴィンセントは脅迫されたと言う。「跡取りを奴隷にされたくなければユアン・エルフォードに勝て」と。


「動揺も葛藤はしたがね。ドーピングやらは結局断ったよ。私の剣技を以てもし君に勝てなかったなら、それは私の責だ。マークの自由と引き換えに彼らの提示する条件をなんでも呑むしかないだろう」


 重苦しい決意をヴィンセントは微笑みながら言う。大事な人や自分の身が懸かっているのに、気負いを感じられない。


「巻き込んだのは俺のせいなのに……責めないんですか?」

「元凶は都市だ。それに、これは軍にいた頃、現実から目を背け続けた代償だよ」


 初めてヴィンセントの眼差しに陰りがさす。ほとんど減っていない紅茶の水面に、何かの過去を見ているような。

 恐らく、軍で昇進すると同時に決闘都市の腐った真実を知り、彼は思い悩んだのだろう。正義感と、都市に荷担しなければ消されるという天秤の狭間で。


「無理矢理自主退職できるまでの地位を固めた後、結局できた罪滅ぼしはこの孤児院を建てたことくらいだ。スラムで孤児を探し、都市より先に保護することで、奴隷や“鷹”になるような子を減らしたりね。私は、君の父君のように――正面から都市に立ち向かえなかった」


 都市の隠密部隊である“鷹”の正体を知り思わず瞠目する。否、そんなことより、


 ――この人は、ずっと闘ってたんだ。


 ほんの少しでも都市の力を削ぐために。子ども達を哀しい戦闘員や奴隷にしないために。賞金を得て、且つ力を示し続けるために決闘祭にも出続けて。その決闘祭の裏で何が起きているのか、全て知った上で。


「……貴方のような人がいて、よかった。バートも、きっとそう思うでしょう」

「そうだと、いいがね」


 しばし沈黙が訪れ、ぬるくなってしまった紅茶を飲み、ヴィンセントはやや気まずそうに口を開いた。


「もう一つ、伝えておくことがある。この剣のことだが」


 そう言って彼がテーブルの上に運んできたものは、闇オークションで手に入れていた剣――“刀”だ。黒く艶々とした鞘ごしからでさえ、異様な圧を感じる。


 最もひっかかっていた件について、どうやらヴィンセントから話してくれるようだ。


「これは、キリアムさんがご自身で購入を? それとも軍が?」

「ヴィンセントでかまわんよ。……いや、軍はそういう回りくどいことに金は出さんさ。金を出したのはある青年・・・・だ。彼は個人的な理由から私に勝って欲しいからと、闇オークションの出品情報と金を私の元へ持ってきた」

「あー…………話が見えてきた。その青年の名はジェフリー・マクレガー。最年少の市議会議員……そうでしょう?」

「ああ。実は、君が来る少し前に訪ねてきていた」


 子どもが言っていた、「少し前に来ていたユアンよりも大きいお兄さん」というのはジェフリーのことだったのだ。

 優れた武器の購入――少しでもヴィンセントの勝率が上がり、かつ汚ない手を嫌う彼が受け入れやすい提案。とはいえそれだけのために一千万セルクを出してしまうジェフリーの執念がただ恐ろしい。


「君に凄まじく執着しているようだった。ああいった人間の力を借りるのも避けたいところではあったが、こちらの不利になるような条件がなかったのでね……すまん、君には不快だろう」


 ジェフリーの歪んだ願望を聞いたのか、それとも 聞かされたのか。ヴィンセントは申し訳ない様子で顔をしかめている。


「いえ、これは俺の問題なんで気にしないで下さい。貴方が最上の武器で臨むなら、何よりも光栄です。……こんなこと言うの、不謹慎なんでしょうけど――」


 決闘は恐ろしい。自身を賭けた戦いで、ファーガスのときと同様に対戦相手の行く末だって決まる。避けられるならそうしたい、そう思っているのに。


「――都市最強の剣士にどこまで通用するか、自分自身を試してみたい。そんな気持ちも、あります」


 互いの状況を鑑みれば、何を呑気なことを、と言われても仕方ない発言だ。しかし、ヴィンセントはどこか嬉しそうに大きく頷いた。


「うむ。私も一剣士として本気で君と戦おう。全てのしがらみを忘れて全力でかかってきなさい」

「……! はい!」



 憧れの《剣聖》への挑戦。

 ユアンは己の心臓に炎が灯るのを感じるのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る