似た者同士


 司会も観客席も騒然とする中、当事者達の勝手で前代未聞たる決闘の仕切り直しが行われようとしていた。


 ファーガスとユアンの両者が、コロシアム中央に五メートルほどの距離を空けて立っていた。二人の手にはライフルも自動拳銃もない。それらはコロシアムの端に放置されている。


 ファーガスは結局、負けかけていた己にとって都合が良かったため、プライドをねじ曲げて仕方なく再戦に応じた。ユアンは何かふっきれたような様子だが、何を考えているのかさっぱりわからない。


「バートの下で、何故こんなわけのわからん男に育つのか理解に苦しむ」

「そりゃ悪かったな。でもあんたが思ってるよりバートもわけのわからない男だぞ。森の中で六歳の俺に猪けしかけた奴だからな」

「…………」


 ……旧友が教育に至極向いてないことを今になって知る。が、そんなことはどうでもいい。


「覚悟を示すなどと言ったが、私情で不利な戦いをする時点で貴様のそれはたかが知れている」

 

 戦いというものを舐めている。死線をいくつも潜ったファーガスからしてみれば、体格差のある自分にわざわざ勝機を棄ててまで格闘戦を挑むなど、非合理に過ぎる。


「俺が負けるような言い種だな。油断すると痛い目見るぜ」

「御託はいい。早く始めるぞ」


 出血が長引くのも不味いが、止血時間が長くなると今度は血が回らなくなった組織の壊死がおこる。とっとと決着をつけるべきだろう。

 そんなファーガスの意図を察してか、ユアンは思いの外素直に「ああ」と頷くと開始合図について説明を始めた。


「ここに銃弾が一つある。これを俺達の中間地点に投げて地面に落ちたら開始。異論はあるか?」

「……ない」

「オーケー。じゃあ、行くぞ」


 キン、と軽い音をたて、ユアンが鉛弾を宙高くに弾く。安っぽい黄金色が青空の中きらりと光り――地に墜ちる。


 踏み込み、先に攻撃を仕掛けたのはファーガスだった。


「ラァッ!!」


 鞭のように鋭い上段からの回し蹴り。

 銃を使わない戦いでは却って重荷になるプロテクターを外し、身軽になったファーガスの動きは格段に速くなっていた。


 しかし、ユアンの首を叩き折るかに思われたそれは、宙を切る。


 ――消えたっ!?


「な……ぐっ!?」


 強烈な蹴りがファーガスの脇腹に直撃した。見れば、ユアンは地面に両手をついて身体を半分に折り、逆に片足は遠心力を乗せて振り上げ、蹴りを放っていたのだ。それも一瞬のことに過ぎず、ユアンはすぐさま元の体勢に戻って次の攻撃を繰り出してくる。怯む間もない。


「く、この……ッ!」

「言っただろ、油断するなって!」


 鋭く、それでいてリズミカルにユアンの蹴りや拳が襲ってくる。腕でガードし、時折カウンターを狙うものの、異常な反射神経でかわされてしまう。


 ――妙な体術だ。


 バック転や倒立じみた派手な動きで敵の攻撃を避けつつ、その勢いを利用して攻撃してくる。派手なようで無駄な動きがなく、いっそ舞のように流麗だ。型に嵌まらない故に次にどう動くか予想がつかない。油断すれば関節技を狙ってすらくるから厄介だ。


 旧友たる彼の養父が、このような体術を使うのは見たことがなかった。


「っ、バートから教わったのか、これは?」

「半分ね! あとは俺の我流だよ。バートは変則格闘術アノーマル・マーシャルアーツとか名前つけてたけどさっ」


 話す余裕が出たわけではないが、聞かずにはいられなかった。ユアンは答えながらもファーガスの頬に拳を叩き込まんとしてくる。力はあまりないのか、腕でガードすれば大したダメージにはならない。その弱点を補うための我流なのかもしれないが。


 息つく間もない攻防が続く中、ユアンは細切れにファーガスに話しかけてきた。


「思ったんだけど!」

「なんだッ」

「あんたさ――」


 ユアンの話に構わず彼に殴りかかるが、こちらの勢いを利用してユアンはファーガスを投げ飛ばす。第一回戦で見せた背負い投げだ。


「――ウッ!?」


 地面に叩きつけられる直前で受け身の体勢を取り、ユアンの手を振りほどいて転がるように距離をとる。無理な動きも多く身体には痛みが走った。

 構え直すファーガスに、ユアンは何事もなかったように話し続ける。


「あんたさ、バートのこと結構好きだったろ?」

「……何を、言っている」


 突拍子もない言葉に思わず渇いた声が漏れた。しかしユアンは妙に確信めいた問い掛けを止めようとしない。


「金で雇われただけって言う割には、あんたがバートの名前を出す度に、親しみ……みたいなのを感じるんだよ。本当は自分の意志でバートの下で仕事してた。違うか?」

「ッ……!」


 違う、と叫ぶつもりが音にならない。

 この決闘が始まるまでは、確かに思っていたはずなのだ。「都市を敵に回すんじゃなかった」「バートのせいで巻き込まれた」と。何かのせいにしなければ気持ちの遣りどころがなかったから。


 バートとはそんなに長い付き合いではなかった。

 

 情報屋なんて綺麗な職業ではないが、ファーガスの本来の仕事はもっと薄汚れたものだった。殺し以外は大抵何でも引き受ける便利屋。依頼されれば他人の弱味を握ることも、盗みや脅し、死体の処分までやった。バートと出会ったのは数年前、汚れ仕事にも慣れ――そのかわり何に対しても心が動かなくなった頃だった。


 ――見事な動きだ。マリスベルの元軍人か?


 酒屋の二階にある特別室での商談。ファーガスは殺しの依頼を断った。殺し屋は常に誰かの命を狙い、そして誰かに命を狙われる。いくら金払いがよくても、これ以上何かに脅かされる生活はごめんだった。依頼人は数人がかりで口封じにファーガスを殺そうとしたが、暗器もトラップも万全だったファーガスはこれを返り討ちにした。


 そして、静かになった部屋に一人の男が突然入ってきたのだ。全てを覗き見ていたらしい男は、ファーガスの軍隊格闘術がマリスベル王国のものであると見抜いていた。


 ――優秀すぎて軍の派閥争いに巻き込まれ、最終的に国を追われた、か?


 経歴まで見透かされ、驚き警戒したが、彼は穏やかに自身の名を名乗った。バート・エルフォード。かつて決闘祭で準優勝した男。彼の覇気に自分では勝てないと直感し、襲いかかることは止めた。


 そのあとはよくわからないまま酒に誘われ、二人で飲み、バートからは情報屋の仕事を斡旋されるようになった。バート個人から依頼されることもあったが、次第にその内容が市議会や軍に関わるものになっていき、怪しんだファーガスはバートに全てを白状させた。


 ――いずれ危険に巻き込みかねない依頼をしてすまなかった。


 謝罪する彼に、


 ――今まで通り俺を雇って使っていい。


 そう言ったのは、何故だったか。ただ、ろくでもない汚れ仕事をするより、彼の下で“人助けになるかもしれないこと”をする方が気分が良かったし、彼の人柄も信頼していた。


 本当は、《鷹》に襲撃されたときも、意識が沈んでいく中「あんただけは逃げてくれ」と願ったのだ。他人のために何かを祈ったのは初めてかもしれなかった。


 しかし生き残ったのは、彼の養子である息子と無力な己だけだった。



「……そう、かもな。だがバートは死んだ。貴様の代わりになッ!!」

「――っ!」


 ユアンが僅かに顔を歪めた。その隙を見逃さず、ファーガスは急速に距離を詰めて拳を放つ。ユアンはそれを交差させた腕でガードし、更に上向きに逸らすことで直撃を免れた。

 すかさずカウンターを仕掛けてくるユアンの蹴りや足払いを避け、攻撃を繰り返す。軍隊格闘術だけでなく、自身の経験と修練を以て改良した技の数々。永遠にも思える攻防の入れ替わりが続く。


「バートを犠牲に生き残り、貴様は何ができる、ユアン・エルフォード! ――臆病者・・・の、分際で!」


 臆病者。養父を殺され、己の全てを賭けて決闘に臨んでいる少年には似つかわしくない言葉。だがバートは知っている・・・・・。彼が決して勇敢で恐れ知らずな少年なんかではないと。


 謗りを受けたはずのユアンは、何故か微笑んだ。少し苦みを含んだ儚げな笑みにぎょっとする。拳と蹴りを交わす相手から向けられる表情ではなかった。



 ――お前は俺の息子とよく似てるな。



 咄嗟に蘇ったのは、以前にバートと酒を飲んだときの記憶。


 ――……あんたの息子はいくつなんだ。


 バートが珍しく身内について話すものだから、興味が湧いて訊ねた。今年で十四だと答えられ、馬鹿にしてるのかと問えば、「俺に似ずしっかり者なんだ」と自慢されたのを覚えている。思えば、四十前半で強面とはいえ、バートは美丈夫で若々しい。結婚だってできるだろうに、男手一つでわざわざ養子を育てているのも不思議ではあった。


 ――で、どこが似てるって?


 ファーガスは会ったことはないが、バートの息子は第二ブロックでそれなりに有名らしく、耳に届いてはいた。働き者で、そこらの美男美女が裸足で逃げ出すほどの美貌、とだけ。それだけ街の人間から愛されている人物と自分に、似通う所などないはずだが。


 ――あぁ、なんだろう。性格……というより性分か。合理主義な割りに正義感が強くて不器用なところとか、臆病・・なところが。


 ……遠回しに貶されているのか煽られているのか。バートは親しい相手には思ったことをストレートに言うきらいがあり、本人に他意がないことが多い。そして嫌なくらいに本質に迫った発言をするのだ。


 ファーガスは自身に正義感があるなどちっとも思わないが、確かに悪に偏ることもできない不器用さもあることは自覚していた。

 それに、臆病なことは図星だった。国を追われ、己を保証する全てを失ったときから、武器を側に置かなければ眠ることすらできない有り様なのだから。


 聞けば、バートの息子も充分な実力がありながら、バートのいない夜は必ず手の届く所にナイフや銃を置くのだという。きっと、その少年にとって、養父のいない場所は完全に安全とは言えないのだろう。


 確かに、似てるかもしれない。


 しかし十四の子供と一緒にされたのはやはり業腹な気もした。臆病で悪かったな、と臍を曲げたファーガスに、あの時バートは、怒り方も似ている、と珍しく笑っていた。

 


 今の今まで、思い出すこともなかったやりとり。


 ――ああ、そうか。バートは昔から気づいていたのか。

 

「……そうだ。俺は臆病だ。奴隷になるかもしれないことだって、バートがいないことだって、本当は心底怖い」


「でも俺は、泣き喚きながらでも前に進むよ」


 滔々と言葉を重ねるユアン。鋭い蹴りも、気を抜けば地面に叩きつけられそうな技も止むことなく続いてはいる。ファーガスは常にそれを避け、時には喰らい、反撃もしている。集中しているはずなのに、ユアンの声は滑らかに耳に届く。

 不思議な気分だ。互いを傷つけ合っているのに、息がぴったりと合っていくような感覚。


 もう少しこの時間を味わいたいと思う自分はいるのに……身体はもう、限界だった。

 

「それが俺の、覚悟だ!」

「が、ぁっ!!」


 衝撃。


 ユアンの拳が頬を殴り付けたのだ。細腕から放たれたとは思えない威力のそれに、ファーガスは吹っ飛ばされるように地に倒れた。


 もう、指一本動かない。


 からの、重く、速いストレート。まさか負傷している左手で攻撃するとは思わなかった上、ファーガスは神経をすり減らす格闘戦にかなり疲労していた。最後の一撃は、欠片も反応できなかった。


 ――あんな腕なのに、殴るか、普通?


 脇から左肩にかけて強く縛り止血しているため、ユアンの左腕は既に青みがかり、死人のような色になっている。そもそも骨を損傷しているはずだ。力がある方でもないのに、よくもまああの状態で己を殴り飛ばせたものである。あの土壇場の馬鹿力も、殴られる一瞬だけ感じ・・・・・・・・・・た甘い香り・・・・・も、どこか不思議だった。


 司会がカウントをとり終わるのがぼんやりと聞こえた。これにより戦闘不能と判断され、ファーガスは敗退となる。観客席から健闘を讃える歓声や口笛が沸き起こり、ああ、負けたか、とだけ思った。


 起き上がる気力もなく、ただ底抜けに青い空を見上げていると、ユアンの姿が視界に入ってきた。決闘が始まった頃の激しい怒気はなく、かといって勝利に喜ぶ様子もない。俯きがちに小さく眉間に皺を寄せ、浮かべるのは悲哀の顔・・・・だ。


「……勝ったわりには、しけた面をしてるな」


 そう言う自分の声は、負けて奴隷の身に堕ちるというのに、かなり穏やかなものだった。


「俺は、あんたに勝ったことは後悔しない。だけど、やっぱり悔しいよ。結果としてあんたに苦難を強いることになるのが。無力な自分が、恨めしい。バートならもっとうまくやるかもしれないって、思う」

「……そうか」


 決闘をする前の自分なら、何を綺麗ごとを、と吐き捨てただろう。だが既に、この少年が自身に厳しく、悲しいほどに他人に誠実なことは、銃を、拳を交え、わかってしまった。きっと今の言葉も本心からなのだろう。


「俺と“お前”は……たぶん似ている」


 ほんの少しの二人称の変化。ユアンはハッとしたようにファーガスを見つめる。


「地下牢で、俺には絶望しかなかった。眠ろうとしても悪夢と恐怖で魘されてばかりだった。だのに、隣の牢にいる奴は素振りを始めるし、暗号を送ってきたりもするし、馬鹿みたいに前向きな奴だと、最初は思っていた」


「でもそうじゃなかった。夜になると、啜り泣く声も、養父の名を呼ぶ譫言も聞こえた。……俺も、お前も、似た者同士の、臆病者だ。強がることができるだけのな」


 うん、そうだな、と、静かにユアンが同意する。

 最初にあった互いの敵意に同族嫌悪が含まれていたことは、戦ううちに理解していた。ただし、ファーガスからユアンに対するものは、それだけではなかった。


「だがお前は、自分以外の誰かを救うために必死になれる。それがどうしようもなく眩しくて……俺には、羨ましかった」


「お前はそのままでいろ、ユアン・エルフォード。後悔も罪悪感も、全部抱えたまま進め。捨てることは許さん」


 ユアンの青い瞳が揺れる。我ながら酷なことを言うが、仕方ない。これからユアンの進む道も、己の進む道も、過酷なことには変わりない。これくらいの課題は出して然るべきだろう。


「だったら!」

「なっ!?」


 ガバッ、とユアンは勢いよくしゃがみ、ファーガスの手を取り握りしめた。突然なことと、ユアンの手がいやに華奢で二重に驚く。


「俺、絶対にこの都市を変える。一人じゃ無理でも、協力してくれる奴を探してなんとかする。だから、あんたもどこかで諦めたりせず生きててくれ。絶対に助けに行くから、待ってて欲しい」


 視線を合わせ、真摯に懇願するユアン。あぁ、こいつもこいつで、なんて酷な頼みごとをするんだろう。これから何処の誰とも知れぬ人間に金で買われ、何をやらさられるかわからないと言うのに。


 ――……仕方ない、か。


 負けた自分よりボロボロの満身創痍で勝利した少年を、信じる他ないのだから。


「……期待せずに待っておく」

「約束だからな! とにかく救護室行くぞ。くそ、あんた重いなっ」


 ぶつくさ言いながらユアンはファーガスを立たせ、肩を貸して歩きたす。

 



《決闘祭》準々決勝は、泥臭く、しかし美しい決闘を繰り広げた二人の背中に惜しみ無い拍手が送られ――幕を閉じた。


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