覚悟


 ユアンは、ファーガス・ランドルという男を知っていた・・・・・。というより、彼とは知らずに接触を図ったことがあったのだ――あの地下牢で。

 市議会庁舎の地下。いくつかの牢が連なるあの空間で、ユアンの牢は一番入り口に近い角部屋だった。壁が厚くないのか、隣に人がいるのは直ぐに気づいた。地下にはユアン自身と隣人、それから交代でころころ変わる見張りの気配しかなかった。


 筋トレや手近なもので素振りをするユアンとは違い、隣の住人はやたら生活音がなかった。寝返りで軋むベッドの音と、洗面・排泄の水音。そして夜には、ひどく魘されているような呻き声だけが聞こえていた。


 少しでも情報が欲しかったユアンは、見張りが居眠りで寝息をたてているときに、電信用の符号――長音と短音を組み合わせた信号――を使って壁を叩いた。小さな音で、何回か。メッセージは簡単に『誰だ?』とだけ。

 この数十年で電話が開発され、だいぶ廃れてしまったが、短文での交信時にはまだ使われる方法だ。伝わる勝算はあった。


 しばらくして返ってきた返事は――『止めろ』。


 明確な拒絶だった。


 その後、ユアンは名も知らぬ隣人にアプローチすることはやめた。時間を置いてもう一度、と思っていたのだが、一回戦を勝ち抜けて早々に牢を出てしまい、それは叶わなくなったのだ。


 ――なのにまさか、決闘場ここで会うなんて。


 数日間も近くにいたから気配は完全に覚えている。あのときの隣人は、間違いなくファーガスだ。


「ほんと……最低な気分だよ」


 ファーガスに聞き取られない程度の呟きを落とす。


 折れたか罅が入ったかした左腕は確かに痛んでいるはずだが、戦闘時の興奮がほどよくそれを紛らわす。だがいつまでも続く訳じゃない。動かしているうちに悪化だってするだろう。


 ――時間はかけられない。できるだけ早く決着をつける。


 睨み合いから攻撃へ。初動を悟られぬよう、相手と呼吸をズラすことを意識してユアンは駆け出し、銃を連射した。


「そう同じ手を喰うと思うな!」

「……っ!」


 自動拳銃だからこそできる片手での早撃ちクイックドロウ。しかしファーガスは素早く反応して見せ、弾丸は脛に一発しか当たらない。しかも何故か、弾が貫通した様子はなかった。同様に撃ち終わりを狙ったファーガスのライフル弾も、ユアンの太腿を掠めるのみに終わる。


 この、妙に弾が通らない感じは――


「このやろっ、鉛かなにか仕込んでるなッ」

「はっ、今頃か」


 ――やっぱこいつ、今までで一番厄介だ!


 ファーガスも敵の視線や姿勢から弾丸の軌道を読む、最低限の射線予測能力があるのだろう。それが次の挙動自体を把握できるエヴァや、弾をぶつけられるほど正確に射線を読むユアンほどでないにしても。その不完全性も、狙われやすい四肢や胴に金属のプロテクターを仕込むことでカバーしてる。

 射撃の腕はそこそこ止まりだが、銃剣捌きに優れており、プロテクターのハンデがあるにも関わらず敏捷性も高い。力は女のユアンより勿論強いだろう。


 総合力が高いのだ。パワー一辺倒のアルフォンソや、射撃特化のエヴァよりも。言い換えれば、それは隙がないということ。


 そして互いの戦闘スタイルが似ているのもやりづらい原因の一つだった。


「大口叩いた割にはジリ貧か!」

「うっさい!」


 プロテクターをつけているファーガスには中途半端な攻撃は通らない。今のように遠間からちまちま撃ってるだけでは避けられ、有効打にならないのだ。


 本来なら懐に飛び込むくらい接近し、直接弾丸を叩きこむか、ナイフで斬りつけるのが理想だ。しかし、度々急所を狙ってくる音速を超えたライフル弾と銃剣がそれを許さない。


 ――くそ、ナイフもねぇし!


 ユアンの装備は弾が数発入った自動拳銃に予備弾倉が二つ。刃が欠け潰れてしまったナイフはとうに棄てている。弾倉が嵩張りナイフを二本持ってこれなかったのが正直痛い。


「もう弾もろくにないはずだ。さっさと降参して奴隷にでもなんにでもなればいい」


 淡々とした口調とは裏腹に、ファーガスの手は凄まじいスピードでボルトアクションのライフルを操作する。容赦なく頭部へ飛来した鉛の塊はユアンの髪を数本散らして通り過ぎた。致命の弾を避け続け、今のは何度目だっただろうか。


「誰がそんなもんになるかよ……! あんただってわかってるんだろう!? 奴隷なんて存在はあっちゃいけないんだ!」


 ユアンの訴えに、ファーガスは不快感と嘲笑をない交ぜにしたような、歪んだ笑みを浮かべた。


「貴様はそうやって奴隷を救いたがっているような口振りで、今やっていることはなんなんだ? 決闘祭で優勝したところで、自分が助かるだけで誰一人救える訳じゃない。それどころか――貴様が勝てば俺は奴隷堕ちだ。誰かが貴様の身代わりになることに、気づいているのか?」

「っ!」


 深く深く、ざらついたファーガスの言葉が胸を抉る。


 それは、ずっと考えていたけれど、ずっと考えないようにしていたことだった。


 ――脱出したところで、本当にこの都市に復讐することなどできるのか? 自分が何もできない間に奴隷になる人はどうなる? 小娘一人で一つの国をどう変えたらいい? バートが仲間を募っても成し得なかったことなのに?


 いくらでも涌き出る自身への疑問。押し込めて押し込めて蓋をして、そうすることで戦いに足を踏み出させていた。

 

 ――だって、どんなに頭を抱え、悩み続けても決闘は待ってくれない。迷いは足運びに、射撃に、ナイフ捌きにすぐ出てしまう。たったらがむしゃらになって迷いを捨てるしかないじゃないか。


 その考えが思考停止でしかないことを、ユアンは知っていた。知っていて、見ぬふりをしていた。


 しかし、ファーガスは真っ向からそれを突きつけてきたのだ。


「何も言えまい。所詮、貴様の覚悟はその程度だということだ。――俺は、貴様を蹴落とす覚悟が、ある!」

「ぅぐ……ッ!」


 動揺し、頭に血が登ったユアンは一瞬の判断が遅れた。ライフル弾を避けた次の瞬間に、ファーガスが接近して突き出した銃剣に反応しきれなかった。中途半端に避けたため、刃零れし、鋸状になった刃が左肩の肉を粗く裂いていく。自身の血が空中に飛び散る様が生々しく目に焼き付いた。


 激痛と、大量の出血。そして崩れる身体。


 このまま地面に倒れこめば、動けなくなったところを撃たれるか、刺されるか。ファーガスはルール上推奨されている降参サレンダーを促しはしないだろう。確実に殺しにくる。


 ――死んでもいいのか? バートが繋いでくれた命で歩んだ道を、否定されたままで。疑問に、“答え”を出さないままで。


 倒れ行く自身を、どこか客観的に俯瞰する自我がそう問い掛ける。


 コンマ一秒にも満たない自問自答。


 ――ダメだ。こんなところで終われない。ましてや、ファーガスこいつ相手には!


「はあああああああああ!」

 

 肉を削がれた肩の、燃えるような熱さは叫ぶことでどうにか堪える。地面に倒れる寸前、一か八かで銃を構える。視界もろくに定まらない中、何かに導かれるように銃口がファーガスを捉えた。


 狙いは、ライフルを抱える左手。


「がぁッ……な、にっ!?」


 ファーガスの左手の甲に真っ赤な穴が開く。ユアンが丸めた背中で地面を一回転し受け身をとる頃には、音をたててライフルが地に落ちていた。

 

 誰がどう見ても、今が好機だ。ファーガスの手にメインアームたるライフルはなく、距離も数メートル。降参を促してもいいし、戦闘不能になるようにもう一回どこかを撃ち抜いてもいい。


 ――でもそれじゃあ、俺はファーガスあいつの真っ向からの問いを、力尽くで捩じ伏せただけになる。


 動かないユアンを、ファーガスはこれまで以上に鋭い視線でねめつける。左手の出血は逆の手で圧迫止血しているようだが、かなりの量が流れ出ていた。


「……どう、した。何故撃たない? 俺は今、ライフルは握れん。片手一本では取り回しも効かない。……傲慢にも情けをかけるつもりかッ!?」


 静かそうな外見に似合わない、張り裂けんばかりの怒号。本来なら会話などろくに聞こえないはずの観客席ですら、何か揉めている、と感じたのかざわめいている。


 ユアンの中で、次にとる行動は決まっていた。


 多くの人々が注目する中、ユアンは唐突に自身の外套の裾を力・・・・・・・・・任せに引き裂いた・・・・・・・・


 マルコムに用意させた、鉄灰色の日除けの外套は生地が薄い。思いの外簡単に裂くことができた。


「ほら、使え」

「……は?」


 帯状に二本裂いた内、一本を丸めてファーガスに放り投げる。彼はそれを呆けた表情で受け取った。何が起きているかわからない、といった様子で。


「何ボーッとしてんだ。止血だ、止血。左手に巻いてとっとと血を止めろ。俺も今から肩に巻くからお互い攻撃禁止な」


 一方的に捲し立て、ついでに言葉通り拳銃と腰にあった予備弾倉を少し離れた地面に置く。本当ならシャツを脱いで止血したいが、そうすればサラシに巻かれた胸を思い切り観衆に見せることになる。舌打ちを一つして、仕方なくしゃがみこんで服の上から即席の包帯を巻き始める。


「なっ……どういうつもりだ?」

「どうしたも何も、俺はまだあんたの言う“覚悟”を示してない。だから決闘を続ける」


 お互い片手の自由が効かない平等フェアな状態で。

 淡々と続けるユアンに、ファーガスは激昂する。


「ッ……! 何故俺が貴様の自己満足につきあわねばならん!? 第一貴様は片手で銃が使えるのに何がフェアだ!」

「あーもう、うるさいうるさい! そうだよ俺の自己満だよいいから付き合え! あといい加減しっかり止血しろよ。このあともっとボロボロになるかもしれないからな」

「何……?」


 自身の止血を終えたユアンは立ち上がり、右の拳を握ってファーガスに向けて突きつけた。

 口許に、にやりとした笑みを浮かべて。



「――こっからは素手ステゴロでやろうぜ」


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