第142話 草の葉を擦り潰した味

 その後の魔力融合は順調だった。

 クリスティーナもユーリングも魔力回復の薬液に全身浸かり、浴槽の中で体を連ねた。放出しても減らない魔力。クリスティーナが途中で気絶しても、魔力融合は続いた。


 一方、アリサの仕事は彼らのために食事を作るだけとなった。食事も浴槽内で済ませ、彼らはすぐ融合に戻る。クリスティーナはユーリングと離れず、外へ連れ出す隙がない。部屋のすぐ外から行為を眺めるだけの時間が続く。

 他人に見られながらしているせいか、クリスティーナに恥じらいというものが無くなってきた気がする。


「ったく、あの淫乱王女、さっさと思い出しなさいよ……」


 アリサの視線の先で、クリスティーナは快感の叫び声とともに、体内で構成された種子を排出する。ユーリングは浴槽の底に落ちたそれを拾うと、濡れた髪をかきあげて笑顔を見せた。


「すごいな。今度は一気に二個も出てきたよ」

「体の内側がポカポカして、いくらでも魔力を放出できるんです。次はもっと早く、もっと多く出して差し上げますよ」

「魔力量が多い人間ほど、性欲も強くなる……か。君の性欲にも驚かさせるよ。ほら、水分補給しなきゃ」


 ユーリングは近くにあった桶で自分の浸っている薬液を掬うと、それをクリスティーナにガブガブと飲ませた。体内からも薬が回り、魔力回復が早くなる。彼女は桶の薬液を飲み干すと、気持ち良さそうに声を上げた。


「それじゃ、続きをしようか」

「その前に、一ついいですか?」

「何だい?」

「あの……いいえ、やっぱり、何でもありません」


 もしかしたら、彼は何か私に隠しているかもしれない――そんな不安が心のどこかに芽生えていた。

 しかし、生活の中で感じる違和感はありつつも、それは彼に従わない理由にはならなかった。彼が喜んでくれると、自分も嬉しくなる。こんなに気持ちよくなれるなら、それで良いではないか。


 決定打となる証拠がないまま、クリスティーナは彼に自分の魔力を送り続けた。





     * * *


 それから何時間経過したのか分からなくなるほど、クリスティーナは作業に没頭した。

 体内で魔力が凝縮されていく感覚をひたすら楽しみ、薬液を使っても魔力が回復できないほどに精霊紋章を酷使する。紋章の発する光は薄れ、彼女はぐったりと浴槽の壁面に寄り掛かった。

 疲れ切ったクリスティーナの体から、ゆっくりと種子が排出される。ユーリングはそれをカプセルに収納すると、実験の成功を祝福するかのように彼女を優しく抱き寄せた。


「よくやった、これで目標数に到達したよ」

「ハァッ、はぁ、やりましたね、ユーリング様」


 これで魔力融合は終了。

 夫のユーリングと触れ合える機会が減ってしまうのではないかと、クリスティーナは一抹の寂しさを感じていた。


「もぅ、ユーリング様。キスしましょ?」


 彼の愛を確かめたくて、クリスティーナはそんな提案をした。


「やれやれ、いつも積極的だな、クリスティーナは」

「キスをしながら、髪を撫でられるのが好きなんです。ずっとあなたにそうして欲しかったんですよ」


 そのとき、ユーリングの口元が卑しく歪む。

 もうそろそろ潮時だ。

 この女を使った実験には成功した上、愛する男から引き剥がし、好き勝手に犯せた。

 今から記憶を元に戻し、愛する者を裏切ってしまった絶望と後悔に苛まれながら、最後は花になって死んでいくがいい。


 ユーリングは髪を撫でていない方の手で、浴槽の傍に立てかけてあった魔槍を掴んだ。クリスティーナに気付かれないように魔力を送り、彼女に記憶を戻す準備を整えた。


 クリスティーナはそんなことも知らず、ユーリングと唇同士を重ね、中で舌をねっとりと絡ませる。

 これまで種子を作る実験では、ユーリングは魔力操作に夢中で、キスなんて全くしてくれなかった。ようやくキスができた――と彼女の心は沸き上がった。


 しかし――。


「……んぅ?」


 刹那、クリスティーナはキスの味に違和感を覚えた。


 大好きな相手とのキスは、今回が初めてではないはずだ。

 しかし、自分の覚えているキスの味と、今回したキスの味がかなり違う。キスはもっと果汁のような甘いものだと思っていたのに、ユーリングとのキスは草の葉を磨り潰したような苦い味がする。


 この人は私の愛する人ではない。

 では一体この男は誰なのだろうか。

 いや、そもそも私の記憶は正しいのだろうか。


 クリスティーナはユーリングからハッと体を離した。彼を浴槽に残して立ち上がり、壁にかけていたバスローブを纏って浴室を出ようとする。


「おや、止めてしまうのかい?」

「ごめんなさい。何か、急に便意を催してしまって……」

「やれやれ、僕も盛り上がってきたところなのに」

「すぐ戻りますから……ごめんなさい」


 この家で彼と一緒にいることが恐い。クリスティーナは逃げるように部屋の外に出た。

 そのとき、部屋の外で様子を窺っていたアリサと鉢合わせになる。


「アリサさん!」

「どうしたの、顔が真っ青だよ?」

「何か、やっぱり何かおかしいんです! あの人は、私の夫じゃない!」


 ようやく記憶の矛盾が、ユーリングは夫ではないという判断を下させた。自らユーリングと離れようとしている。この脱出のチャンスを逃す手はない。アリサは彼女の手を握り、玄関の方へ駆け出す。


「やっと気付いたのね……」

「アリサさん、もしかして、そのことを知ってて……」

「とりあえず、ここから逃げよう!」


 廊下の角を曲がれば、玄関に降りるエレベーターがある。ユーリングは一人浴室で休んでおり、こちらの動きを見ていない。


 アリサはクリスティーナと手を繋いだまま、廊下を走った。


 しかし、廊下の隅に生えていたツル植物が、突然彼女たちの手足に絡み付いた。まるで蜘蛛の巣に捕らえられた虫のように、身動きが取れなくなる。さらにツルは強く締め付け、身が千切れそうな痛みを与えた。


「あっ、ぐぁ!」

「な、何なのよ! これ!」


 すると、浴室の扉がゆっくり開き、ユーリングが靴音をコツコツと響かせながら近づいてきた。


「やれやれ何か気付いたか。悪運の強い女め……」


 クリスティーナは演技が下手な女性であることは、ユーリングもよく分かっていた。先程のクリスティーナは明らかに余所余所しく、今の状況に強い危機感を覚えているようだった。


「自力でそこまで思い出せたことは褒めてあげるよ。だが、勝手に逃げ出そうとするのは感心しないなぁ」

「ユーリング様、私の記憶に何をしたのですか!」

「上書きしたんだよ。今から戻してあげる」


 ユーリングは魔槍を振りかざし、彼女に紫の光を浴びせた。


「あっ……ハアッ!」


 その瞬間、脳内の光景が鮮明になり、自分の生い立ちを思い出せるようになる。それと同時に、これまで肉体を弄ばれた記憶も重なり、彼女は悲痛な叫び声を上げた。


「ああああああああああッ!」

「どうしたんだい? 嫌な過去でも思い出したかい?」


 私は一体何をしていた?

 こんな男と抱き合い、唇を重ね、愛の言葉を囁いた。

 自分の愛する男性は、あの人だけなのに……。


「カ、カジ……」

「彼なら来ないよ。君が彼に何をしたのか、覚えているだろう?」

「ち、違う……あんなの……」

「あのときの彼の顔、傑作だとは思わないか? 君のことを心配して訪ねて来てくれたのに、君は彼に構わず発情期の獣みたいに腰を振っちゃってさ」

「あれは……!」


 ユーリングと魔力融合をしている中で、カジが現れたことは覚えている。しかし、クリスティーナはそれを無視してユーリングと愛し合う姿を何時間も見せつけた。彼の憔悴した顔を、ハッキリと思い出せる。


 記憶を失っていたとはいえ、あんな醜態を晒しておいて、彼に助けを求められるのか。

 今の自分は、命の恩人を捨てて性の快楽に走った淫婦だと思われても仕方ない。


「カジに、私は何てことを……!」

「そうそう、そういう顔が見たかったんだよ。愛する人を裏切った気持ちはどうだ? 僕は満足だよ。さて、そろそろ殺してあげようか」


 クリスティーナを拘束するツル植物は絡む力を増し、彼女のバスローブをビリビリと引き裂いた。ユーリングは破けたバスローブから溢れた胸を鷲掴みにして、精霊紋章に爪を立てる。


「くぁ……!」

「だけど、これだけ膨大な魔力を提供してくれるサンプル、殺すにはなかなか惜しい。僕に泣きながら命乞いをするというのなら、本当に妻として受け入れてやっても良いがね」


 ユーリングの懐から、奴隷用の首輪が出てくる。


 クリスティーナは、反抗する意志も、命乞いも、何も言葉が出てこなかった。ただ絶望だけが自分に重くのしかかる。自分を救ってくれた恩人を傷付けてしまったことが、彼女の心を深く抉った。


「何も言わないなら、奴隷としてもっと地獄を見せてあげようか? もう一度、ダイロンの子供でも産んでみるかい?」


 もう少しで、ユーリングの持つ首輪が彼女にかけられてしまう。しかし、クリスティーナには抵抗する気概も体力もない。そのまま首輪を受け入れようとしていた。


 そのとき――。


「逃げて! クリスティーナ!」


 アリサの隠し持っていた小さな魔導石が赤い光を放ち、廊下は巨大な炎に埋め尽くされた。

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