第143話 どうしても取り戻したい

 カジとシェナミィがユーリングの工房を監視し始めてから数日が経過していた。

 その日も、彼らは工房近くの部屋を借り、敵の動向をスコープで監視する。


「なかなか二人とも出てこないね。慎重にやっているのかな?」

「慎重にやってもらわなければ困る。下手したらアリサだけじゃなく、クリスティーナまで殺されるかもしれん」

「でもさぁ、待ってるだけって、もどかしいよぉ」

「やれるだけのことはした。後はアリサとクリスティーナに任せるしかない」

「アリサさんなら大丈夫だよ。私を助けてくれたこともあるし、きっとクリスティーナさんを見捨てたりしないって」

「だといいんだが……」


 カジは黙り、工房の方角を見つめた。

 彼の表情は晴れない。そのことにシェナミィは首を傾げた。


「もしかして、まだ何か不安があるの?」

「仮に、アリサがクリスティーナを連れ帰ったとして、記憶はどうなっているか……不安なんだよ。本当にクリスティーナの記憶が戻るのか……戻していいのか……」

「珍しく弱気だね、カジ」

「昔の彼女なら、今の状況を受け入れたくないはずなんだ。知らない方が良いことだってある。お前だって、消したい過去の一つや二つあるだろう?」


 誇り高き戦士だった彼女が、見ず知らずの男から好き勝手に体を弄ばれ、王国を崩壊させる兵器の生産を手伝わされている。もし記憶が全て戻ってしまったら、彼女の心はその事実に押し潰されてしまうのではないか。


「俺は……クリスティーナが生きていれば、記憶を失ったままでも良いと思うんだ。万が一、記憶が完全に戻らなくても、新しい生き方を一緒に歩んでみても良い……」


 工房の監視を始めてから、カジは度々そんなことを考えるようになっていた。最悪、ユーリングが記憶を戻す方法を用意していない可能性がある。そうなった場合、彼女を取り戻せたとしても記憶のないクリスティーナとずっと向き合わなければならない。カジは密かにその覚悟を固めていた。


 しかし――。


「そんなのダメだよ、カジ……」


 シェナミィは首を振り、目を悲しげに伏せた。


「大切な人との思い出はね、かけがえのない宝物なんだよ。たとえ、その人がどんな姿になったとしても、どんな結果になったとしても、その思い出はずっと持っていたいの」


 思いがけない返答に、カジはハッとさせられる。


「私のお父さんもあの時は刀の姿だったけど、助けてもらった時や、一緒に街を歩いた時のことは絶対忘れたくない」

「シェナミィ……」

「だから、クリスティーナさんには絶対に記憶を取り戻してほしい。もし記憶が戻ってクリスティーナさんが傷付くことになっても、それをカジが癒してあげてほしい。今まで築いてきた関係を、なかったことにしてほしくない」


 クリスティーナと一緒に過ごした時間は、まるで自分に姉ができたようで楽しかった。あの日々を続けたい――それがシェナミィの願いだった。


「クリスティーナさんがユーリングにどんなことをされているか、何となく私も察してる。それでも、クリスティーナさんが大好きだから、今こうして助けようとしている――カジもそうでしょ?」

「ああ。そうだな」


 シェナミィはにっこりと微笑むと、視線をユーリングの工房へ戻した。


 シェナミィの言うことは理想ばかりで、実現は難しいことかもしれない。

 しかし、彼女の言葉には、カジが自分でも気づけなかった本音が含まれていた。


 自分は何度もこうやって彼女に救われてきたのだな。

 カジはそんなことを実感した。


 そのとき――。


「今、工房で何か光った!」


 シェナミィがスコープを覗きながら叫ぶ。


「何だと?」

「まさか、アリサさんの炎魔術なんじゃ……!」


 アリサが炎魔術を使用したということは、向こうで非常事態が発生したということだ。

 超小型の魔導石で魔術を発動させられるのは一度きり。次に彼女が打てる手はないはずだ。


「直接様子を確かめてくる!」

「分かった! 私もここで援護するから!」


 カジは急いでハンガーにかけてあったコートを着ると、そのまま窓を飛び出した。民家の屋根を駆け抜け、ユーリングの工房へ一気に迫る。


「チッ、どうなってんだ」


 工房最上階の窓から黒煙が昇り、周辺のツタが焼き焦げている。

 窓際に置いていた風見鶏が激しく回転していた。





     * * *


「ゲホッ、ゴホッ……人間族風情が」


 ユーリングは激しい熱風に襲われ、その身をしばらく屈めていた。

 なぜ奴隷用首輪をしているアリサが炎魔術を使えたのか。まさか知らぬ間に誰かが介入していたのだろうか。


「ふざけた真似を……!」


 目を開けると、すぐそこにいたはずのクリスティーナとアリサの姿が消えていた。彼女たちを拘束していたツタ植物は焼き焦げて縮んでいる。炎魔術でユーリングが怯んだ隙に、彼女らは脱出していたのだ。


「逃げ切れると思うなよ!」


 まだ遠くには行っていない。

 ユーリングは家中の植物に魔力を送り、玄関と窓にツタを絡ませて固定する。これで家の外には逃げられないはずだ。


 彼の思惑通り、クリスティーナとアリサは玄関ホールで足止めされていた。アリサは必死にドアノブを回すも、ツタが固く、一向に解けない。


「駄目、ドアが開かない! ツタが絡まって……!」

「う、裏口は?」

「そっちのドアも固められてる! ここから出られない!」


 ユーリングの植物操作によって、彼女たちは完全に玄関ホールへ閉じ込められていた。

 先程ツルが手足に強く絡まったダメージと、ツルを焼き払うために放った諸刃の炎魔術のダメージが重なり、彼女たちには体力も魔力も残っていない。


「このままじゃ、ヤツに捕まる……!」

「すまない、アリサ。私のせいだ」


 クリスティーナの疲労は限界に来ていた。その場にぺたりと座り込み、ホールの天井を見上げる。積み重なった本の山と、天井にも生い茂る葉が見えた。

 これが最期の景色になるかもしれない。そんなことを思いながら、彼女は深く息を吐いた。


「カジ、もう一度、お前に会いたかったな……」

「ちょっと、勝手に諦めないでよ!」

「だって、私は……カジに、あんなことを……!」


 悔しさのあまり、クリスティーナの瞳から涙がこぼれ落ちる。


「私はもういいんだ。逃げたとしても、他に行く場所が……」

「あんたにはアタシと一緒に逃げてもらわないと困るのよ! だって、あんたを『助けろ』って依頼したのは――」


 そのとき――。


「さっき言ったじゃないか、『勝手に逃げ出すのは感心しない』ってさ」


 魔導式エレベーターがゆっくりと降り、アリサたちの前にユーリングが再び姿を現した。


「やはり、君たちには花になってもらうしかないようだね」


 彼の魔槍が伸び、アリサたちに巻き付いてきつく締め上げる。

 彼女たちは宙へ持ち上げられ、ユーリングの目と鼻の先に止められた。ユーリングの吐息がかかる距離。人を花に変える魔術が発動する――その恐怖にアリサは固まった。


「これで、終わりだ」


 そのとき、玄関のドアが外側から蹴破られ、ユーリングに凄まじい勢いで激突した。ドアに絡まっていたツタはその威力に引き千切られ、ユーリングはドアごと積まれた本の中へ倒れ込む。


「がっ……! きっ、貴様!」


 彼が怯んで魔力が弱まったことでクリスティーナたちは解放され、ドサリと床に落ちた。


「助かった……」

「だ、誰が……!」


 クリスティーナの振り向いた先には、一人の魔族が立っていた。

 黒髪で、背の高い、コートを来た男性。

 彼の姿を見た瞬間、彼女の心臓は跳ね上がり、嬉しくて泣きながら笑みを溢した。


「君を迎えに来た」


 彼はゆったりとした足取りでクリスティーナに近づき、彼女を力強く抱き締める。そのときにしたキスの味を、彼女はしっかりと覚えていた。果汁のように甘い、魔族が好きな異性にだけ送る愛の接吻。


「クリスティーナ……ずっと、寂しかった」

「でも、カジ……私は……」

「ああ。俺が不甲斐ないせいで、君をあんな目に遭わせてしまった。だから、今度は離さない」


 カジはクリスティーナの肩を掴み、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。


「結婚しよう、クリスティーナ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る