第14節 ユーリング

第131話 まだ価値のある身体

 時間はカジとザンバが死闘を繰り広げる前に遡る。


 研究施設の檻から逃げ出したアリサは、プラリムを背負い、森林の中へ身を潜めていた。茂みに隠れて葉の間から周囲を窺うと、あのゴーレムが人々を惨殺している様子が見えた。スパスパと簡単に切り裂かれる肉体。他に生き残りはほとんどいない。


 必死に両手で嗚咽を堪え、息を止める。

 ガシャリ、ガシャリと、ザンバの重厚な足音は徐々に近付いてくる。このままでは殺されるのも時間の問題だ。しかし、空腹と脱水で走れるほど力は残っていなかった。喉がカラカラに乾き、集中力が続かない。下手に逃げたら、確実に見つかる。


 そのとき――。


「そこに誰かいるのか?」


 突然降ってきた声に、アリサは腰を抜かした。

 まさか、敵の傭兵が残っていたのだろうか。


「安心しろ。お前たちを助けに来たんだ」


 恐る恐る顔を上げると、そこにいたのは金髪の若い女性――クリスティーナだった。藪のすぐ傍でこちらを見下ろしていた。


「お前、もしかしてアリサか?」

「えっ? クリスティーナ?」


 予期せぬ再会に、彼女たちは互いにしばらく顔を見合わせていた。どうして彼女がこんな場所にいるのだろう。何て言葉をかけたら良いのか迷った。

 しかし、横から轟く音に、ふと我に返る。困惑するアリサの視界の隅で、ザンバとカジが戦いを始めていた。ザンバが高速でブレードを振るい、ブォンブォンと勢いよく風を切る。


 今は迷っている暇などない。カジが稼いでいる時間を有効に使わなければ。


「今、カジがあのゴーレムを惹き付けている。その間に、ここを離脱するぞ!」

「ま、待ってよ! あなた、魔族の仲間なんじゃないの?」

「確かに助けてはもらったが、これとそれは別の話だ。魔族も一枚岩ではないからな」


 クリスティーナはアリサの腕を引っ張り、薮から立ち上がらせる。


「ほら、早くここから――」

「待って。まだプラリムが――」


 茂みの中にはプラリムが残されている。アリサは彼女を抱き上げようと、手を伸ばした。


 そのとき――。


「やれやれ、こんなところに喧しい野猿が残っていたか」


 突如、背後から聞こえてきた男の声に、クリスティーナの心臓は跳ね上がった。小さく悲鳴を上げて振り返ると、そこに亜麻色の髪をした美青年が佇んでいた。


「貴様、いつの間に! 何者だ!」

「僕の名はユーリング・アスタルフォンヌ」


 尖った耳や瞳の色からして、魔族ではない。クリスティーナの初めて見る種族だった。トラディショナルなローブを纏い、にこりと微笑む男は得体の知れない不気味さを持つ。


「ユーリング……そうか、お前がカジの言っていた研究者か」


 今回の蠱毒に携わったとされる人物だ。

 クリスティーナは彼の動きに警戒し、腰の剣に手をかける。


「僕は森人エルフという種族でね」

「森人……本当に生き残っていたのか」

「王国内では百年ほど前に絶滅したとされているが、まだ細々と活動は続けている」


 ユーリングは視線の先を横へずらし、遠くで戦い続けているカジを見つめた。


「やれやれ、ザンバの性能をテストするためにわざと人間族共を逃がさせたのに、カジという男もとんだ邪魔をしてくれたものだ」

「まさか、アイツに人々を殺させるのが、お前の本当の目的だったのか?」

「その通りさ。正直、ギルダのために刀を作る気なんて、あんまりなかったからね」

「貴様……」


 ユーリングの言葉にクリスティーナたちはぞっとした。実験のためだけに、あれだけの人間族を犠牲にできる――外見の可憐さとは裏腹に、底知れぬ狂気を感じる。


「ところで、クリスティーナ・エルケスト。僕は君に話があってここに来た」

「私に?」

「君の先祖――王国創始者バルザノフ・エルケストが始めた領土開拓を起因とした種族浄化により、森人エルフは家々を失ったことを、君は知っているかい?」

「そ、そうなのか……?」

「やはり知らないようだね。都合の悪い事実は王国内で情報統制されてきた。だが、君は王族としてその事実を知る義務があると思うがね」


 森人は絶滅したという噂は聞いたことがあるが、そうした噂の背景に王国軍の存在があることは初耳だった。


「僕も家を失い、同胞の数も減った。森から持ち帰った資源で王国は潤い、我々は敗走した。今はこうして魔族の世話になって平穏に暮らしているが、人間族や王国への恨みが消えたわけではない。特に、彼らのトップである王族には、強い殺意が込み上げてくる……」


 ユーリングの細い目はじっとクリスティーナを睨む。瞳から感じる凄まじい敵意に、クリスティーナは鳥肌を立てた。


「想像してみたまえ。長年親しんできた自分たちの家々が突然蹂躙され、破壊者たちの街が立つ光景を――先日、ギルダが襲撃した街こそ、僕の家があった場所だよ」

「あの街が……?」

「今や人間族はそんなことも知らずに平然とあそこで暮らしているがね、僕は片時もそれを忘れたことがない」


 アリサやプラリムが冒険者として活動していた国境近くの街。あの土地を奪われたことが、人間族を恨む理由なのだろう。

 先祖もとんてもないヤツの逆鱗に触れてしまったものだな――クリスティーナは先祖の行いを恨んだ。


「お前の望みは何だ? 戦争犯罪人として、私に死んでほしい――ということか?」

「いいや。僕はね、もっと君を有効活用したいんだよ」

「ゆ、有効活用?」

「最早、君の地位や名声に利用価値はないが、その肉体だけは素晴らしい。僕の求めていたピースだよ」


 ユーリングの舐め回すような視線に、クリスティーナは自分の胸を見つめた。

 一体、彼は自分に何を施すつもりなのか。その恐怖に、彼女の首筋に冷や汗が滴り、剣を握る力が強くなる。


「君は、あの巨漢鬼トロルを産んだのだろう?」

「なっ、なぜそのことを知っている!」

「あの巨漢鬼を作り出したのは……僕だからだよ」

「お前が……!」


 かつて花崗岩巨漢鬼グラナイトトロルの第一号を作り、ギルダが残虐な性格に育てるよう仕向けたのはユーリングだった。彼の目論見はほぼ成功し、ダイロンはギルダに感化されて多くの集落を滅ぼしている。王国に与えた被害は計り知れなかった。


「ダイロンは原種巨漢鬼トロルにあらゆる魔術を施した生物兵器だ。再生力と筋力を強化させてある。ただ、無理な改造の結果、精巣や脳に異常を持ち、生殖能力を失ったはず――だったんだけど」

「私が……産んだ?」

「君の圧倒的な魔力量は普通のギフテッドを遥かに凌駕する。その良質で無尽蔵な魔力が、ゆりかごのようにあの化け物を立派に育てたのさ。早速だが、君の魔力をもっと応用したい研究が沢山あってね――」

「こっ、断る!」


 再びあの醜い化け物を孕まされるのではないか、という不安がクリスティーナの脳裏を過ぎる。思わず彼女は剣を抜き、ユーリングに切っ先を向けた。

 それに応えるかのように、ユーリングも持っていた魔槍を構える。


「まあ、承諾を得るつもりは元々ないよ。寿命は長くとも気は短い森人なのでね、僕は」


 ユーリングが魔槍をかざした瞬間、槍に埋め込まれた宝石から紫色の閃光が放たれ、クリスティーナの視界は暗転する。


「気を付けて! そいつの術は――」


 背後から聞こえていたアリサの声は、途中で途切れた。


 何もない。何も見えない。

 クリスティーナは闇の空間に閉じ込められた。


 しばらくすると、これまでの人生が走馬灯のように視界へ映し出される。両親と乳母に囲まれ、幸せだった幼少期。初恋の相手である師匠と、多くの仲間を失った思春期。激しいギルダとの戦い。部下と弟の裏切り。カジやシェナミィとの出会い――その光景が黒い絵の具のようなものでベチャベチャと塗り潰されていく。


 何が起きているんだ……?


 訳も分からず、クリスティーナはその場に立ち尽くしていた。

 やがて視界が戻ったとき、ユーリングが目と鼻の先にいて、優しく微笑んでいた。クリスティーナに手を伸ばし、手を繋ごうと促す。


「さあ、行こう。クリスティーナ」


 目の前にいるのは、自分にとって大切な人。

 自分の全てを捧げた夫、ユーリング・アスタルフォンヌだ。


「ほら、早く僕らの家に帰ろう」

「はい。ユーリング様」


 クリスティーナも彼の手を取り、仲睦まじそうに夫の腕を抱き寄せる。さらに彼を色事に誘惑するように、腰をくねらせ、頬を擦り付けた。


「そんな……クリスティーナ!」

「ふふっ、あなたは誰?」


 アリサの警告も虚しく、クリスティーナは記憶操作術にかかってしまっていた。カジやシェナミィとの思い出は全て上書きされ、自分がなぜこの場にいるのかも思い出せない。ただ、夫のユーリングさえ居てくれれば、それで良い。クリスティーナはユーリングの肩に胸を押し付け、彼の傍に居られることに歓喜を示す。彼女の表情は甘く蕩けていた。


 そんなクリスティーナとは対照的に、アリサの表情は沈んでいく。助けが来たと希望が見えた途端、さらなる絶望が現れた。


「君も来るんだ。面白いものを見せてあげるよ」

「ぐっ……ぁ……!」


 ユーリングの命令がアリサの首にかかっている奴隷首輪に反応する。彼女の足は勝手に動き、踵を返して歩き出したユーリングたちに追従した。

 彼らの行き先はユーリングの工房。アリサとクリスティーナに、さらなる陵辱が待ち受ける。


 ザンバも機能停止し、ようやく鎮まった戦場。

 藪の中にプラリムだけが残されたのであった。

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