第12節 藍燕

第111話 極上の紋章

 クリスティーナの剣戟はハワドマンの展開する強固な結界によって弾かれ、彼の指先から様々な魔術が放たれた。外れた魔術は巨木の皮や地面を焼き焦がし、その威力を物語る。どの攻撃も当たれば一撃で戦闘不能に追い込めるほどの破壊力。胸が張り裂けそうなほどの緊張感に耐えつつ、クリスティーナは敵の隙を窺い、剣を振るう。


「はぁっ……! こいつ……!」

「息が上がっているようですねえ、クリスティーナさん?」

「減らず口を叩けるのも、今のうちだ!」


 口先だけは威勢を保っていたクリスティーナだったが、ハワドマンとの能力差は明白だった。彼女の体力はじわじわと削られる一方、ハワドマンは薄い笑みを浮かべたまま汗を一滴もかいていない。それでも、クリスティーナは立ち向かい続けた。


「残念ながら、手数はワタクシの方が上なんですよねェッ!」


 クリスティーナも油断したわけではなかった。しかし、ハワドマンの魔術射出数が彼女の避けられる限界を超え、一発の炎魔術が太腿に命中してしまう。肉を抉られるような痛みに、彼女は地面に転がった。


「あああああっ、ぐぅっ!」


 急いで立ち上がらなければ。

 彼女はもう一度体に力を込めたが、立ち上がれない。


「あ……うぅ……」

「おや、小水ですか?」

「ち、違う! こんなの――!」


 比べ物にならない能力差から生まれる恐怖と痛みに、体は立ち上がることを拒否していた。尻が地面にペタリと貼り付いて、流れ出る小水は制御できない。気が付けば、大粒の涙がポロリと零れていた。


「様々な処刑方法をご用意してますよ。炎魔術による焼死、水魔術による溺死、雷魔術による感電死、氷魔術による凍死……どれがお好みでしょうか?」


 ハワドマンは手の平に炎や水、閃光や氷柱を発生させ、クリスティーナの前に迫った。先程の火傷が痛む中、氷魔術で形成された氷塊がクリスティーナの手足と地面を繋ぎ止め、水魔術で浮き上がった水塊が上半身に纏わり付いて呼吸を奪い、雷魔術で体全体に激痛が走る。悲鳴を上げても、肺に入ってくる水塊がそれを掻き消した。


「かはっ……おぼっ!」


 クリスティーナの意識は薄れ、全身の筋肉が弛緩する。


 そのとき、ハワドマンは背後から迫り来る気配に気付いた。振り向くと、黒いコートを着た魔族の男――カジが拳による強烈な一撃を構えているところだった。


「うはぁっ! 危ない危ない!」

「チッ、悪運の強いヤツだな!」


 ハワドマンは間一髪のところでカジの拳を結界でガードすると、後方へ跳び下がった。ようやくクリスティーナにかけられていた魔術が解かれ、彼女は大量の水を吐いて咳き込んだ。


「ゲホッ! ゴホッ! オエエエエエエッ!」

「大丈夫か、クリスティーナ!」

「カジ、気を付けろ! そいつが、ハワドマンだ!」


 シェナミィを確保して戻ってみれば、そこにカイトとクリスティーナの姿はなく、カジは空気中に漂う魔力を追ってここまで来たのだった。

 目の前の中年男性から感じる異様な魔力量と、炎、水、雷、氷など、複数の属性の魔術を同時に操れる能力――まさかとは思っていたが、闇の帝王が自らこんな場所に出向くなんて。


「ほう、なるほど……あなたがカジですか」

「王国の外科医がこんな場所に何の用だ?」

「あなた、随分と大切になさっているそうですねェ? シェナミィさんのことを……」

「どいつもこいつもシェナミィに拘るんだな」


 先程のロベルトという男といい、目の前にいるハワドマンといい、敵の目的はクリスティーナの奪還よりもシェナミィの確保に重点を置いているようだ。


「あの小娘がどうしたんだ?」

「ワタクシ、彼女の持つ精霊紋章にすごく興味がございましてね。あなたもご存知でしょう?」


 確かにシェナミィの持つ精霊紋章は、狙撃銃強化という他に前例のない稀少なものだ。カジが彼女と出会った当初も、「これは金になる」と思い、彼女を見世物小屋や研究機関に売ろうとしたほどである。


「近くにいらっしゃるのでしょう? シェナミィさんは」

「さぁ、どうだかな……」


 実際、シェナミィはカジの背後にある巨木の陰に隠されていた。戦いの邪魔にならぬよう避難させたのである。相手が魔族ならば魔力感知能力ですぐに気付かれるが、相手は人間族、今のところ察知されていないようだ。


「教えないのなら、力ずくでも喋ってもらいますよ?」


 突然、ハワドマンは魔術を繰り出した。地面が凍りつき、雷がそれを穿ち、森林の湿った空気が熱風に変わる。上級冒険者パーティでも、これだけ強力な魔術は使えない。魔力の流れを感知し、ハワドマンの魔術発動タイミングを予測できても、あまりの手数の多さに全てを避けることはできなかった。拳によるインファイトに持ち込もうにも、これでは近づけない。魔術攻撃を軽減する特殊なコートを用いても、カジの体力をじわじわと奪っていた。


「ぐっ……化け物が!」

「はははっはーっ!」


 ハワドマンがカジに攻撃を集中させている隙を狙い、再びクリスティーナが立ち上がる。魔術のダメージが癒えない中、ふらふらと彼に向かって走った。


「うらああああああっ!」

「おや、あなたもまだ戦うおつもりですか?」

「いつまでもカジに無様な格好は見せられないんだよっ!」


 しかし、体力を大きく削られた彼女の攻撃は、ハワドマンの仕込杖にあっさりと受け止められ、腹に雷魔術が当たる。クリスティーナは吹き飛び、木の根に叩き付けられた。


「クリスティーナ!」

「他人の心配をしている場合ではありませんよッ!」


 次の瞬間、ハワドマンの手から、辺り一面を包むほどの炎が噴出する。凄まじい爆風に、カジも


 この衝撃音に、気絶していたシェナミィがゆっくり目を覚ました。


「ここは、どこなの?」


 カイトに拉致され、森の中へ連れて来られ、首を締められ、そこからの記憶がない。未だ全裸のまま、巨木の根に寝かされていた。

 一体、自分の身に何が起きていたのか。

 焦げ臭い空気が漂っている。シェナミィはそっと立ち上がり、周辺を見渡すと草木が燃えていた。隣にはロベルトが奴隷用の首輪を着けて眠っている。


「ハハハハハハーッ!」


 巨木の向こう側から、耳障りな笑い声が聞こえた。一体何が起きているのかを知るために、彼女はゆっくりと覗いてみた。


「カジ……!」


 そこに見えたのは、火傷だらけで倒れているカジと、クリスティーナ。それから、シルクハットを被った男。シェナミィはその男に見覚えがあった。


「武器商人の……ドレイクさん?」

「ああっ! そうです! やっと再会できましたね、シェナミィさん!」


 昔、マーカスとパーティを組んでいたとき、彼からの直々の依頼を受けて魔族領を襲撃したことがある。


「ワタクシ、ずっとあなたの精霊紋章が欲しいと願っておりました! 過去にワタクシの依頼を受けてくれてから、一瞬たりともあなたを忘れたことはございません!」

「精霊紋章が……欲しい? もしかして、あなたの本当の名前は――」

「ハワドマンと申します」


 やはり……。

 カジとクリスティーナの間でよく話題に上がっていた外科医ハワドマンという男――その正体に、彼女は戦慄を覚えた。お人好しな商人が、まさか闇の帝王だったなんて。


「珍しい精霊紋章を集めている外科医か……なるほど、イカれてやがるな」


 再びカジは立ち上がり、ハワドマンにファイティングポーズをとる。


「カジ! その怪我じゃ――!」

「ワタクシに勝てる見込みなんてないのは分かっているでしょう? 早くシェナミィさんをこちらに引き渡してくれませんかねぇ?」


 余裕の表情を浮かべるハワドマン。

 しかし、このとき彼は背後から近づく別の影に気付いていなかった。

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