第90話 行動予測困難危険人物

 翌朝、カジは眩しい朝陽に睡眠を遮られて目を覚ました。寝室の割れた窓から風が入り、カーテンが機能していない。

 カジはゆっくりと廊下に出て、二階から吹き抜けを見下ろした。


「改めて見ると酷い有り様だな」


 窓ガラスは粉々。外壁は穴だらけ。庭の地面はぐちゃぐちゃ。家具はボロボロ。ほぼ廃墟だ。

 外壁の穴から庭を見ると、魔族兵がゴーレムの残骸を回収に来ていた。運搬用ドラゴンの背中に括り付け、基地の方角へ去っていく。


「おはよう、カジ」

「ああ。おはよう」


 シャワー室から出てきたクリスティーナと鉢合わせした。全身から湯気が漂っており、屋敷の無惨な状況にあまり眠れなかったのか昨晩の疲れが抜けていないような顔をしている。彼女の横には囚人監視用の式神人形がふわふわと漂っており、規約違反行為があれば彼女に張り付いて動きを拘束するらしい。


「あの……お前に聞きたいことがあるのだが」

「ギルダの居場所なら言わんぞ」


 クリスティーナはまだギルダのことを恨んでいるだろうし、今互いに居場所を知ってしまうと余計な混乱を引き起こすかもしれない。


「い、今は匿ってもらっている身だ。自分から隠れ家を捨てるような真似はしない」

「だといいがな」

「まぁ……そっちも気になるところではあるがな、ほら、もっと、その……」

「何だよ」


 クリスティーナは体をくねらせ、自分の豊満な胸を掴んだ。


「わ、私の胸は臭っていただろうか!?」

「えっ?」

「昨日、アルティナに指摘されて気になってたんだ! 胸からドブのような悪臭がすると! だから、さっき念入りに洗ってみたんだ!」

「そ、そうか……」

「自分では大して気にしたこともなかったが、魔族の嗅覚的には不快なのか教えてもらいたい!」


 確かに、アルティナはクリスティーナの体臭について何度か指摘していたのを思い出す。


 正直なところ、魔族の嗅覚では少し気になる。人間族の女性独特の、果実が腐ったような悪臭。普段はあまり感じないが、かなり近くで対面すると不意に襲ってくる。

 シェナミィは何事もないように彼女と濃密に接触しているが、そんな彼女を見ていると気が引ける。どうしてそんなに近づけるのだ、と。魔族領で売られている人間族の奴隷も、巨乳の女性はあまり好まれない傾向にあるらしい。


 胸から漂う悪臭のことを、素直に話した方が良いだろうか。

 カジはクリスティーナの目をじっと見つめた。


「本当のこと、言っていいのか?」

「ああ、真実を聞かせてくれ……」


 優しい嘘を吐くような間柄でもないし、カジは感じたことをそのまま打ち明ける決意をした。


「臭う」

「やはり、そうなのか……」


 クリスティーナはカジから一歩遠ざかり、頬を引きつらせた。


「すまない。これまで気を遣わせてしまったな」

「いや……種族の違いもあるし、感じ方には差があると思うが」

「いや、ただでさえお前には匿ってもらっているのに、これ以上迷惑をかけるわけにはいかん。今度から谷間は念入りに洗うし、もう二度とアルティナに『ドブ』呼ばわりはさせん。大衆の面前で、あんな恥ずかしいことを大声で言ってくるなんて……」

「まぁ、人間族に気を遣う魔族の方が珍しいしな」

「それなのに、お前は優しいヤツだな。ずっと臭いのことを黙っててくれるなんて」


 クリスティーナは軽く微笑み、「さ、腹が減った」と話題を終わらせ、階段を下っていく。


 食堂前に行くと、すでにシェナミィが待っていた。

 彼女の横には、監視と思われる魔族の女性秘書官。彼女はカジに一礼すると、「捕虜取り扱いと、王国の現状に関する資料です。一読ください」と封筒を渡された。


 それから軽食を取り、今後の王国対策について話し合う。


「ジュリウスは魔族に対してどう動くと思うか?」

「弟は自分の脅威になりそうなものを積極的に排除しようとする性格だからな。かなり強気な侵攻作戦を立てるかもしれん」

「ハワドマンの方はどうだ?」

「ヤツが魔族に対してどんなことを思っているのかは分からんが、あの強さには太刀打ちできん」

「二人が手を結んだら厄介か……」


 クリスティーナを圧倒した相手ともなると、カジもあまり戦いたくはなかった。そんな危険人物がどんな行動を繰り出すか予想するのは困難だ。


「王国内で動きがあれば教えて欲しい」

「ああ」


 カジは広げた資料から最新の報告書を見つけると、概要を読み上げる。


「偵察からの情報によると、ジュリウスが制度の強引な改革を進めたせいで、一部の農民や貴族から反発が出ているらしい。これを弾圧するため、国防の要である勇傑騎士団を向かわせたようだ」

「同じ国民に剣を向けたか……愚かなことを」


 守るべき民に騎士を差し向けるなんて、建国以来ほとんどなかった異常事態だ。

 これから起こるであろう惨事に、クリスティーナは頭を抱えた。


「魔族の中には、『この内乱は王国へ攻め込むチャンスだ』と考えている者もいるが、俺はジュリウスや勇傑騎士がそんなに単純だとは思えん」


 カジは王国内の動きに、違和感を覚えていた。いくら何でも魔族に対して隙を見せ過ぎではないだろうか。これでは「攻めて来い」と言っているようなものだ。


「王国最強の部隊である勇傑騎士を農民弾圧に使ったのは、おそらく反逆者への見せしめだろうが、そのために国境の守りまで放棄するとは考えにくい」

「攻め込まれないよう対策をしている――ということか?」

「ああ。何か、別の手段で国境を守る方法を考えたんだろう」


 王国内で混乱が起きれば魔族が暗躍する隙を与えることくらい、ジュリウスも分かっているはず。しかし、彼は敢えて勇傑騎士団を鎮圧に向かわせた。

 カジから見れば、明らかに怪しい動きだった。勇傑騎士団を使わずに魔族を退ける自信でもあるのだろうか。


「今、王国内にはハワドマンが潜り込んでいる。ヤツがお前から聞いた通りの人物だとすると、どんな手を使ってくるか分からんな」

「そうだな……」

「嫌な予感がする」

「私もだ」


 クリスティーナは自分の腹部へ視線を落とした。

 気がかりなのは、自分が出産した亜人種。あの赤子はどうなったのだろうか。


「何か心当たりはないか?」

「いや……」


 クリスティーナは俯いたまま返事をした。

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