第76話 珍しい紋章を持ってますねェ

「何だ、その紋章の数は……」


 ハワドマンの胸板に光る夥しい数の精霊紋章。

 それが何を意味するのか、クリスティーナたちにはよく分かっていた。


「まさか、移植したのか! 他のギフテッドから!」

「もちろん。人工的にゼロから精霊紋章を作り出す方法は確立されてませんから」


 三つ以上の精霊紋章を持って生まれた人間が生まれた例はない。

 つまり、人間が三つ以上の精霊紋章を持つためには、誰かから移植する必要がある。


「貴様……紋章を奪われたギフテッドがどうなるか、知っているんだろ?」

「ええ。死ぬんですよね?」


 精霊紋章を奪われたギフテッドは死ぬ。

 全てのギフテッドに定められたルールだ。


 精霊紋章を奪われた者はその直後から意識が朦朧とし始め、全身に力が入らなくなり、数分後には死亡する。生き延びた事例は一つもない。誰かが強大な力を得る代償として、誰かの命が消えてしまうのだ。


 この事実から、王国は紋章の移植手術を禁忌として定め、それに関する情報統制を行い、掟を破った者には厳罰を下してきた。

 誰かが強大な力を得るために、誰かが犠牲になるなんて間違っている――そんな願いが込められた掟だったはず。


「昔はよく『精霊からの恩恵を放棄した罰で死ぬ』なんて言われてましたが、医学的に解説すると『魔力欠乏症候群』です。体内で魔力を生産できなくなり、魔力バランスが保てなく――」

「そんな理屈はどうだっていい!」


 クリスティーナは力の限り叫んだ。

 この外科医の行動は、人の命も、女の操も、王国の作った法も、全てを侮辱している。

 腹が煮え繰り返り、彼女の呼吸が乱れた。


「貴様はその肉体のために、今まで何人のギフテッドを殺してきた!」

「さぁ、忘れてしまいましたねェ。ワタクシももう少し若かったら、記憶力に自信があったのですが」


 多く見積もって、あの紋章の数だけ人が死んだことになる。あの紋章だらけの肌は、腹や背中にも続いているのだろうか。


「ギフテッドを殺してきた罪、万死に値する!」

「分かりませんね、どうしてそこまで怒るのか。多くの人間を殺してきたのは、あなただって同じでしょう? 権力を振るい、部下に命令を下し、危険地帯で戦死させたり、罪人を処刑したり――」

「うるさい!」


 クリスティーナが再び斬りかかるのと同時に、ハワドマンはステッキから仕込んでいた剣を抜いた。空中で二人の剣がぶつかり合い、すぐにまた激しく火花を散らす。高く跳び、壁や柱を走り、その間も二人は剣戟を止めない。


 しかし、能力の差は顕著に現れていた。クリスティーナの肌には浅い傷が次々と作られていくのに対し、ハワドマンのスーツには一切傷がない。


 クリスティーナは圧倒的な腕力に吹き飛ばされ、石床に転がされた。すかさずウラリネが駆け寄り、彼女の盾となるためカバーに入る。


「ダメです! クリスティーナ様、ここは逃げましょう!」

「だが、出口が――!」

「こうなったら、最終手段です!」


 次の瞬間、ホールの石壁が轟音と共に吹き飛び、クリスティーナたちへ大量の瓦礫が雨のように降り注いだ。


「ああっ! 何だこれは!」

「あの穴に飛び込むんです!」


 それは、予めウラリネが堀の外側から外壁に向かって爆裂魔法の施された矢を放ち、時間差で作動するようにセットしたものだった。万が一、出口を塞がれた場合、無理矢理外から作って逃走するつもりだったのだ。

 もちろん当初は城の裏口から脱出する予定だったが、ハワドマンの予想外の妨害に遭ってしまった。今はもう、これしか手段がない。


 王城の外壁に大きな穴が開き、冷たい夜風が地下室に流れ込んでくる。

 穴から下を覗くと、そこには城の堀を流れる川が見えた。水面までは高さがあり、下手に落ちれば最悪死ぬ可能性もある。川の水は冷たく、底も深い。

 クリスティーナは亜人種出産で体力を失っており、彼女を逃がすにはあまり良いルートとは言えない。リスクの高い最終手段だった。


「行きますよッ!」

「仕方ない……!」


 クリスティーナとウラリネはほぼ同時に、穴へ走り出した。


「逃げられては困りますねェ!」


 ハワドマンは仕込刃を、二人に向かって投げ付けた。どちらかに当たったような気はしたが、彼らの逃走は止まらない。


 二人は冷たい川の中へ飛び込み、水飛沫が高く上がる。数人の王国兵が見守る中、彼女たちは揺れる黒い水面に姿を消した。


「さすがに、ここは追いたくないですね」


 ハワドマンは彼女たちの追跡を諦め、穴から踵を返した。それから指を唇に当て、行き先を推測する。


 あの川は王都の中を抜け、海まで繋がっている。王都の街は広大で、兵士の死角になりそうな暗渠あんきょも多い。港まで逃げてしまえば、船などを使って遠くへ逃げるだろうか。

 いや、もしかしたら自分たちの裏をかいて川上へ逃げるかもしれない。水流は緩やかで体力をあまり消耗せず、川上は街中と比べて警備も薄い。


「今すぐ王都全区域に検問を。特に、港から出航する船の積荷は、検査を厳重に」

「りょ……了解です」


 訓練された王国兵のことだ。すぐに検問は実施され、クリスティーナたちの行方は分かることだろう。


「ところで、先程の爆発で怪我をした方はいますか?」

「はい! 軽傷が三名、重傷が一名です!」

「どれ、ワタクシに診せてもらえませんか?」


 一応、ハワドマンは外科医。人の怪我を治す術は知っている。

 彼は負傷した兵の傍らへ立ち、鎧を剥がして出血箇所を見つめた。爆発の衝撃で、自分の得物がアーマーの隙間に刺さってしまったらしい。


「おやおや、これは酷い。すぐ治療しましょう」

「あ、ありがとうございます……」

「ところで、あなた……なかなか珍しい紋章を持ってますねェ」


 ハワドマンの視線の先は出血箇所ではなく、その上に浮かんでいた精霊紋章。


 彼の発した言葉に、その兵士は背筋を凍らせた。死神が今にも大鎌を振り下ろさんとしている状況だ。

 ハワドマンの股間は槍のように酷く膨れ上がり、彼の目は新しい玩具を与えられた子どものように爛々と輝いていた。

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