第75話 闇外科医ハワドマン
真夜中、王城の監禁施設に、一人の女性が忍び込む。暗い色のフードを深く被り、その姿は周囲の闇に溶け込んでいた。
廊下で監視する守衛を背後から麻酔を嗅がせ、その場に眠らせる。彼らを引き摺って物陰に隠し、侵入者の発覚を遅らせる工作を進めていく。
「ここね……」
彼女はクリスティーナが監禁されている独居房の前に立ち止まると、ゆっくり鉄扉を開け、その中へ足を踏み入れた。太陽の光が一切届かず、冬の朝のように冷たい空気が肌を刺す。
昼か夜かも分からない空間で、クリスティーナは一糸纏わぬ姿で眠り続けていた。部屋中央の台に横たわり、全身を鎖抑金で拘束されている。
侵入者は懐から工具を取り出すと、なるべく音を立てないように鎖を徐々に切断していった。
「ここから逃げましょう、クリスティーナ」
「誰だ……?」
ようやくクリスティーナが侵入者の存在に気付いて目を覚ますと、すでに鎖が全て外され、自由に全身を動かせるようになっていた。
部屋の隅に置かれた魔力結晶が、フードの下に隠されていた彼女の顔を仄かなオレンジ色の光で照らしている。
「まさか、ウラリネか?」
「はい、あなたを助けに来ました」
自分と近しい部下だったウラリネの顔が、そこにはあった。真っ直ぐな視線でクリスティーナを見下ろし、彼女の裸体を隠すように黒いマントを被せる。
「説明している暇はありません。ここから脱出します」
「こんなことしたら、お前も罪人に――!」
「それより、これを持ってください」
ウラリネから手渡されたのは、クリスティーナが愛用していた長剣。久し振りに握ったそれは、ずしりと重く感じた。
「もし何かあったときに、あなたもそれで戦って、ここから生き延びてください」
「ウラリネ……」
「一緒についてきてください。王都の外まで案内します」
ウラリネは廊下の様子を窺うと、先行して外へ出る。クリスティーナは彼女の背中を、音を立てぬようついていった。
クリスティーナが国民を守るために命懸けで剣を振るい続けてきたことは、ウラリネが一番よく分かっていた。それ故に、ジュリウスの下した判決には納得できなかった。
尊敬してきた彼女がずっとこの場所で生物兵器の生産をさせられるなんて、自分の心が耐えられない。
少しずつ監獄の出口は近づいていく。
もう少しで、王城を出られる――そんなことを、思ったときだった。
「おや、お嬢さん方、どこへ出かけるおつもりですかな?」
ホール吹き抜けの二階から、男の声が暗く閉ざされた空間に響く。
見上げると、紳士用スーツを着た中年の男がこちらを見下ろしていた。斧や弩で武装した数人の王国兵を引き連れ、彼女たちの目指していた出口を塞ぐ。
「ハワドマン……!」
「困りますな。あなたには、もう何匹か亜人種を産んでもらわなければならないのに」
「ふざけるな……!」
「ここから先に行きたいなら、ワタクシを倒してからにしてもらいましょうか」
ハワドマンは勝ち気な笑みを浮かべながら二階から降りてくる。魔力媒体となる宝石が埋め込まれたステッキを持ち、それをクルクルと回していた。
あのステッキが、彼の武器なのだろうか。だとすると、おそらく彼の戦闘スタイルは、魔力を溜めて放つ魔術師系になるだろう。
「ハワドマン、私が相手になってやる」
「さすが王国最強と謳われる女騎士。そうこなくては。ワタクシも、たまには運動しないといけませんからね。健康に見えない医者は、何だか信用できないでしょう?」
「私も、あのときのお礼をしなくてはな!」
クリスティーナの脳裏に浮かぶのは、自分の胸元にある精霊紋章を貪る、本性を剥き出しにしたハワドマンの姿。あのような恥辱を婦女子に与える輩は、一人たりとも見逃せない。クリスティーナは闘志に燃え、長剣を鞘から引き抜いた。
ハワドマンの見せる呼吸や仕草からして、彼もそれなりに武術に腕の立つ人物であることはクリスティーナにも分かる。隙だらけのように見えて、どこにも隙はない。どんな技を使うのか予想できず、不気味な雰囲気を漂わせていた。
これは、一瞬で勝負を決めた方が良い。
クリスティーナはぐっと足に力を込めると、一気にハワドマンの間合いに飛び込んだ。恥辱から生じた憤怒を糧に、長剣を大きく振るう。
しかし、剣はガギンと大きな音を立てて弾かれた。まるで、クリスティーナのすぐ目の前に透明な壁があるかのように。
「これは、結界魔術!」
「なかなか鋭い一撃でしたが、ワタクシの術には及ばないようですねェ!」
亜人種出産で体力を消耗していたとはいえ、クリスティーナは今の一撃に渾身の力を注いだつもりだった。並の結界なら簡単に打ち破れる威力が出ていたはず。
しかし、ハワドマンの結界魔術は強固なものだった。クリスティーナの一撃を容易く弾き返し、彼女ごと遠くへ突き飛ばす。
「グァッ……!」
「ああっ! クリスティーナ様!」
クリスティーナは柱に叩き付けられた。ミシリと音を立て、柱の表面にひびが入る。
「まだまだ、ワタクシの力はこんなものではありませんよッ!」
今度はハワドマンの周囲に、複数の、氷の結晶が現れ始める。それは徐々に鋭利な刃物のような形になりながら大きくなり、一斉にクリスティーナへ襲い掛かった。
「危ない!」
ウラリネは瞬時に魔矢を発射し、クリスティーナに当たりそうな氷柱にぶつけ、次々と砕いていく。クリスティーナには粉々になった結晶がパラパラと降った。
ウラリネは柱の根元に蹲るクリスティーナに駆け寄り、ハワドマンに向かって弓を構える。
「クリスティーナ様! 今のは氷魔術です!」
「馬鹿な! 氷魔術強化の紋章では、結界魔術は習得できないはず!」
「考えられる可能性は……ダブル・アビリティ」
その間に、ハワドマンは次の攻撃を繰り出そうとしていた。
「君君、すまない、これ借りるよ」
「えっ」
彼の背後にいた守衛たちから二本の斧を奪い取ると、それをクリスティーナに向けて投げ付ける。常人の力では生み出せないほどの高速回転をしながら、二方向から同時に彼女へ迫った。
斧強化の精霊紋章所持者しか繰り出せない攻撃だ。クリスティーナはどうにか姿勢を持ち直し、長剣で二つの斧を叩き落とす。その衝撃で、彼女は再び後方へ弾き飛ばされたが。
「今のは斧強化だと!」
「そんな、どうしてこんなに……!」
剣術強化に特化したクリスティーナを圧倒するハワドマン。
彼の護衛たちも、その戦いに魅入っていた。
クリスティーナは魔族の精鋭すら正面衝突を避けようとする女騎士なのに、ハワドマンは正面から彼女を潰しにかかっている。上からハワドマンを護衛するよう命令されていたのに、これでは自分たちのいる意味がないではないか。
これまでハワドマンが繰り出した攻撃からして、彼は異なる精霊紋章を三つ以上所持していることになる。
それは、常識ではありえない事態だった。三つ以上精霊紋章を所持する人物が誕生した――という話は聞いたことがない。
考えられるのは、クリスティーナも恐れている最悪の事態。
「ワタクシのコレクションのおかげですよ」
ハワドマンは胸元のスカーフとボタンを外し、自分の胸板を困惑するクリスティーナたちに披露する。
その光景は彼女たちだけでなく、その場にいた多くの王国兵の目も釘付けにした。彼の笑顔から滲み出る狂気に、周りの表情は凍りつく。全員が息を呑み、得物を握る手が震えた。
「何だ、その体は……!」
ハワドマンの胸元には、無数の光。
剣術強化、槍術強化、槌術強化、弓術強化、炎魔術強化、水魔術強化、土魔術強化、雷魔術強化、風魔術強化、治癒魔術強化――数え切れないほどの、ありとあらゆる精霊紋章が、彼の肉体に浮かび上がっていた。
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