第63話 復讐に取り憑かれた女
「そこで何やってるの! カジ!」
カジとクリスティーナは拳と剣を振るうのを止め、声がした方向へ振り返った。
屋根伝いに、ネグリジェ姿の少女がパタパタと走ってくる姿が見える。
「シェナミィ……?」
カジは怪訝そうな顔で、近づいてくる彼女を見つめていた。
どうしてネグリジェなんだ……。
ここは改造ゴーレムやギルダの部下があちこちに潜む危険地帯。そんな場所をネグリジェだけで駆けるなんて、命知らずにも程がある。
彼女が屋根を蹴る度に、たぷんたぷんと揺れる年不相応に成長した胸。開いた胸元を隠すものは何もなく、深い谷間を覗かせている。
このまま接近されたら、彼女を戦闘に巻き込んでしまう。
「おい、こっちに来るな。この女は危険だぞ!」
「おい、こっちに来るな。この男は危険だぞ!」
カジとクリスティーナは、同じタイミングで発声していた。
「む?」
「む?」
互いにシェナミィを傷つけたのは相手だと思っているため、相手の言葉に違和感を覚えてしまう。
「……シェナミィ、この女に殺されたくなかったら、向こうで大人しくしていろ!」
「……シェナミィ、この男に殺されたくなかったら、向こうで大人しくしていろ!」
シェナミィを戦いに巻き込めば、彼女を人質にしたり、彼女を抹殺したり、敵にとって好都合になるはずではないのか。
「さっきから何を言ってるんだ、お前は」
「さっきから何を言ってるんだ、貴様は」
相手の意図が分からず、もどかしい。
まるで、相手もシェナミィを守りたいように見えてしまう。
話が噛み合わず混乱するカジに、シェナミィはタックルさながら抱きついた。カジは「うぐ」と声を漏らしつつも、彼女を優しく受け止める。クリスティーナの刃に貫かれぬよう、親鳥の如く彼女をコートで覆った。
「カジ! 早く一緒に帰ろう!」
「だが、この女が……」
「そんなことはいいから!」
「『そんなこと』って――」
この王女は、お前を傷つけた女なんだぞ――と、思ったが、カジもさすがに自分が何か重大な勘違いをしている可能性に気づき、その言葉を喉の奥に押し込めた。
クリスティーナも、カジに抱きつくシェナミィの姿に、酷く混乱していた。なぜ、彼女自身に怪我を負わせた男に向かって「一緒に帰ろう」などと懇願するのか。
シェナミィの頭がおかしくなったのか?
いや、自分が何か誤認している?
「シェナミィ、これはどういうことだ?」
「私にも説明してくれ……」
カジもクリスティーナも自分の頭に浮かんだ疑問を解消するため、シェナミィの顔を見つめた。シェナミィも何が起こっているのか分からず、困惑の作り笑いを浮かべる。
「えっと、どこから話せばいいの?」
「俺がキャンプの外へ見回りに行った後くらいから話せ」
「確か、刀を持った魔族に崖から落とされて……そのとき偶然近くにいた王女様が介抱してくれて……」
「刀の魔族、だと?」
古今東西、刀を扱う魔族は数えるほどしかいない。魔族内に普及しているのは両刃が主流で、刀を使うのはギルダのような変わり者だけだ。カジはギルダの隠れ家で夕食をとったときの様子を思い出してみたが、ギルダの部下にも刀を所有している者は見ていない。
シェナミィの証言が正しいならば、彼女を傷つけたのは王女ではなく、ギルダだ。
一体、自分はどこからこんな勘違いをしていたのだろうか。
「え、お前を襲ったのは、この男ではないのか!」
「ち、違いますけど……」
「てっきり、私はこの男が襲撃犯だと……!」
「私を襲ったのは、ボロボロの服を着た、侍みたいな魔族ですよ!」
クリスティーナもようやく自分の思い違いに気づく。
シェナミィを救うためにカジと戦っていたのに、その苦労が水の泡になった気分だ。一体、自分は何のためにここまで傷を負ったのか。
「まさか、お前の大切な人って――」
「私、カジを連れ戻すために、ここへ来たんです!」
「だって、そんな馬鹿な! 魔族と人間族が、どうやってそんな関係に――」
クリスティーナは目の前の光景を信じられずにいた。魔族と人間族は長らく戦争状態にあるのに、今ここでは普通の冒険者とかつての魔王が抱き合っている。
クリスティーナは彼らの関係に、かなり興味を惹かれていた。
「成り行きの関係だ。気にするな」
「どういう成り行きなんだ、それは……」
「それよりも、シェナミィを助けてもらった借りができちまったみたいだな」
互いに勘違いしていたとはいえ、クリスティーナを殴り倒してしまったのは事実。腹には重い一撃。背中と後頭部は煙突に激しくぶつかっている。常人なら即死してもおかしくない。
ここまでギルダの思惑通りだ。自分とクリスティーナを先に戦わせ、彼女を弱らせる。
そして、この先に何が起こるか、カジにはよく分かっていた。
「こいつを飲んで、お前はここから逃げろ」
「え?」
「もうすぐ、ギルダがお前の様子を確かめに来るはずだ。ヤツが今のお前を見たら、確実に息の根を止めにかかるだろうよ」
カジはコートのポケットから魔法薬の入った小瓶を取り出し、クリスティーナに手渡した。
この魔法薬を飲んで暫く安静に過ごせば、傷は回復し、痛みも引くはず。
「俺が勘違いしなきゃ、お前はそんな傷を負うこともなかったかもな」
クリスティーナは人間族の戦士で、いずれは戦わなければならない敵だが、シェナミィを救ってもらった恩人でもある。感謝を示すくらいはいいだろう。
こんな面倒なことになったのは魔族陣営に不手際があったからだ。元々、シェナミィをギルダから隠せていたら、この戦闘を回避できたかもしれないのに。
クリスティーナの傷を治すことが、借りを返すことに繋がるような気がした。
しかし――。
「悪いが、やっと掴んだ復讐の機会なんだ。この戦場から、逃げるつもりはない!」
「は?」
「ヤツから私の元へ来てくれるなら、願ったり叶ったりだ」
クリスティーナは小瓶の中身を一気飲みすると、手の甲で口元の液体を乱暴に拭った。屋根に突き立てていた剣を握り、戦火の激しい場所へ踏み出そうとする。
彼女は傷を引き摺ったまま、ギルダとの戦いに挑むつもりなのだ。
「そんな……王女様、危険ですよ!」
シェナミィはクリスティーナの腕を掴んで引き留めようとするが、王女はそれを払った。シェナミィに振り返りもせずに、そのまま前へ進もうとする。
「あっ……」
「気遣いは不要だ」
クリスティーナの横顔から感じる気迫が、シェナミィにそれ以上引き止めることを躊躇させる。彼女はその場で固まり、一歩も動けなくなった。
さすがにカジも呆れ、その無謀な行動に対して忠告を入れてやろうと口を挟む。
「その傷じゃ、ギルダには勝てん。今ヤツのところへ行っても、無駄死にするだけだ」
「ふっ、まさか魔族に自分の命を心配される日が来るなんてな」
「心配してるわけじゃない。借りはきっちり返したいだけだ」
「お前がシェナミィとそういう関係になれた理由が、少し分かった気がするよ」
クリスティーナの歩みは止まらない。
カジにも、彼女が復讐に取り憑かれていることがよく分かった。最早、暴力的な手段でも使わなければ、彼女を止めることはできないだろう。その決意を察し、カジは黙って見送るしかなかった。
「魔族にも、色々なヤツがいるんだな」
クリスティーナは屋根から飛び降りると、そのままカジたちの視界から消えた。
「あの馬鹿女が……負けたら、殺されるだけじゃ済まねぇぞ」
無謀な復讐へ挑むクリスティーナに、カジはポツリと呟いた。
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