第62話 心配しているのに
外が騒々しい。
シェナミィは病室の窓から、ロベルトと共に遠くで上昇する火の粉を眺めていた。時折、悲鳴や雄叫びが聞こえてくる。
「ここに敵が来ても、某が守ってみせるからな」
ロベルトはシェナミィを守るため、彼女の傍にいることを決意していた。盾を構え、侵入者がいないか外の景色を見渡す。今のところ、敵が入り込んでくる気配はないが、逃走するルートを計算しておいた方がいいだろうか。
その一方で、シェナミィは只ならぬ焦燥感に駆られていた。
この街のどこかに、きっとカジがいるはず。
戦いを止めるよう説得できれば、少しは犠牲者も減るかもしれない。
そんなことを考えたシェナミィは、ネグリジェ姿のまま窓を開け、そこから外へ足を出す。あちこちで建物が燃えているため、灰と焦げ臭い空気が鼻腔を刺激した。
「シェナミィ殿、どこへ行くつもりなんだ! 外には魔族も化け物もいるのに……!」
「きっと、今この街にあの人が来ているの。だから、戦いを止めさせなきゃ……!」
これだけ大胆な襲撃を仕掛けたということは、ギルダは戦力に自信があるということだろう。カジを仲間に入れている可能性は十分に高い。
「やめてくれ、シェナミィ殿!」
「離してよぉ!」
当然、ロベルトは彼女を羽交い締めにして引き戻す。
負傷したばかりの彼女を、敵だらけの場所へ出させるわけにはいかなかった。先日の魔族にも狙われるかもしれないのに、どうしてこんな危険な行為をするのか。
ようやく彼女は落ち着きを取り戻し、「冷静になってくれたか」と、ロベルトは一瞬安堵した。
しかし――。
「私を信じられないなら、あの返事はノーよ」
シェナミィは冷たく言い放つ。
あの返事――ロベルトがシェナミィにした告白のことだ。
その言葉に、ロベルトは戸惑った。
自分はただ、シェナミィとデートして、いずれは結婚して、一緒に家庭を築いて、普通の恋愛をしたかっただけなのに。
どうして自分は初恋の女性にこんな重い選択を突きつけられているのか。人を好きになるって、こんなに辛いことなのだろうか。
彼が動揺した隙に、シェナミィは拘束をするりと抜け、窓の外へ逃げ込んだ。ロベルトは慌てて彼女の肩を掴もうとするも空振りする。
「ごめんなさい、ロベルトさん。でも、私、会わなきゃならない人がいるの」
シェナミィはやや目を伏せつつ、屋根の上で彼に振り返った。
自分の安全を心配してくれるのは嬉しい。しかし、自分にはやらなくてはならないことがある。
ロベルトも彼女が何か決意を固めていることは感じ取っていた。愛する異性が危険地帯に飛び込むことに不安はありつつも、これ以上引き止めることはできない。
「教えてくれ……あの人とは、誰なんだ?」
「その人ね……カジっていうの」
「えっ」
その名前に、ロベルトは逡巡とした。
カジと言えば、自分を襲撃してきた魔族ではないか。なぜ、彼女はそんな危険な相手と会おうとするのだろうか。
気がつくと、シェナミィは目の前から消えていた。カジを探しに、屋根伝いに走っていったのだろう。
「どうして……」
ロベルトだけが残された病室。開いた窓からは風に乗って灰が忍び込む。ロベルトはその場に呆然と立ち尽くし、彼女のいた屋根をしばらく見つめていた。
* * *
カジの護衛にギルダが譲渡したゴーレムは全て破壊され、今はカジとクリスティーナによる完全な一騎討ち。抑えられていた能力を解放したクリスティーナに、カジは防戦を一方的に強いられていた。
「そこだッ!」
「チッ!」
クリスティーナの素早い一振りで、カジの右腕に大きな傷が走る。遅れて肌が裂け、ドクドクと血が滲んだ。
これで、右の拳を自由には使えまい。
クリスティーナは次こそカジに致命傷を与えるため、さらに深く飛び込もうと足場を強く蹴ろうとした。
「そう言えば、お前から借りたものがあったな」
しかし、それはカジの計算の内だ。
やっと、このときが来た。カジは不敵な笑みを浮かべ、自分の懐に手を伸ばす。
「受け取れ、露出狂が!」
カジが懐から咄嗟に投げたものは、かつてキャンプで王女が彼に使用した鎖抑金だった。カジはそのまま懐の中に持ち続け、逆にこちらから利用する機会を窺っていたのだ。
金色の鎖はクリスティーナの左足の太股に強く絡みつき、その筋力と魔力を大きく奪う。
クリスティーナはそれまでの俊敏な動きができなくなり、一瞬左足の踏み出しが遅れ、全身のバランスを崩した。
「あっ、くぅ……!」
「これを俺に寄越したのが間違いだったな!」
その隙を、カジは見逃さなかった。
王女の白く柔らかな腹に打ち込まれる、渾身の一撃。王女は後方へ空中にほぼ直線な軌道を描きながら吹き飛び、屋根上の煙突に打ちつけられた。
レンガ造りの煙突に大きな亀裂が走るほどの衝撃だ。頭部と背中に、この世のものとは思えぬほどの激痛が走る。
「かはっ……ハアッ!」
王女は吐血し、そのまま煙突にぐったりと寄り掛かる。並の冒険者なら絶命していてもおかしくないほどの威力の攻撃を直に腹で受け止めたため、内臓も骨もボロボロになっていた。
「生きているのか。ったく、紋章二個持ちはさすがにしぶとい」
「まだ、お前以外にも、倒さなきゃいけないヤツが、残っているからな……」
クリスティーナの最終目標は、ギルダだ。
彼を倒さぬ限り、自分は死ぬことを許されない。
王女は再び長剣を手に取り、ゆっくりと立ち上がる。すでに姿勢はふらつき、まともに戦える状態ではない。そんなこと、カジもクリスティーナ自身も分かっていた。
しかし、クリスティーナは剣を構える。頭部からの出血で視界が赤く染まりつつも、その瞳は真っ直ぐにカジを捉えていた。
「来い……貴様をさっさと潰して、次はギルダを殺さなくては」
「俺は踏み台に過ぎない、ってか?」
「貴様を殺せぬようでは、ギルダを討つなど夢のまた夢の話だ」
「いいだろう。そこまで覚悟があるのなら、俺も全力でお前をぶちのめしてやる」
カジの体も、細かな切り傷があちこちに作られていた。この戦いのために用意したメリケンサックもかなり削られ、壊れる寸前だ。
それでも、二人は走り出す。
因縁に終止符を打つために。
しかし――。
「ああっ! 待って待って!」
聞き覚えのある少女の声が、激突しようとする二人を制止させた。
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