隣のお姉さんが死んだ話

むむむ

第一章 雨の日

 世界の全てが湿気に包まれ、雨が地上に降り注ぐ六月。

 隣の家のお姉さんが死んだ、と聞かされた。自殺だ、とも。

 僕にそう伝えた母親は、なんとも言えない表情を浮かべていたと思う。

 残念に思うような、それでいてどこか他人事のような薄さのある顔つきだ。

 無論、僕らとは血縁ではないので、他人事には違いないのだが。

「どうして?」

 と僕は尋ねた。それは死因を尋ねているのか、それとも、何故お姉さんが死のうと思い立ったのかを尋ねたのか。自分でもよくわからない。

 首吊りだと聞かされた。この場合、死因は窒息死になるのだろうか。

 まあ、そんなことはどうでもいいのだけれど。

 人が死ねば、別れるための儀式が執り行われる。お姉さんも例外ではなかった。

 僕は礼服代わりの制服を着て、お姉さんの通夜に出席した。学校に行くときの格好と全く同じなので、違和感がある。また、ポケットの中にはペンやカッターやらが乱雑に詰め込まれていたままだ。

 お姉さんの家族は皆例外なく泣いていて、先ほどまではなんともなかったうちの母親も、もらい泣きをしているようだった。

 ずいぶんと軽い涙だな、と僕は冷え切った心で思う。

 通夜が始まる前に、お姉さんの棺の中を見る機会があった。

 木の箱の中で目を閉じるお姉さんは、相変わらず美しい漆黒の長髪を持っていた。

 幼い頃から僕を魅了したその美貌は、変わらないままでいた。

 ただ、首を吊ったせいか、首がいくらか伸び、痣が残っているような気がしたが、あまり気にしすぎてもいけないので、なんでもいいやと軽く捉えた。

 等身大の、美しい人形のような肉の塊が、僕の前に横たわっていた。

 その人は、もう起き上がることもなければ、目を開くことも、言葉を発することもない。

 ただ、焼かれることを待つのみの存在。焼かれれば、骨を砕かれ、小さな壺に押し入れられる。

 その一連の流れを想像して、もったいないな、と僕は思った。

 他の誰でもない、お姉さんがそのようなことになるのは、実にもったいないと思ったのだ。このまま薬品に漬けて、永久保存できないものか、と思ったりする。

 しかし、そんなことを口にすれば、異常者というレッテルを貼られるに違いないので、黙っておいた。十代も半ばを少し過ぎ、この程度の打算が出来る程度には成長していた。

 花に包まれて眠っているお姉さん。その相貌を見ていると、幼い頃によく遊んでもらった記憶が思い出される。

 僕はお姉さんが好きだった。

 ……もっとも、お姉さんは僕のことを何とも思っていないだろうけど。

 お姉さんが大学に進学して疎遠になってから、僕の好意は息を潜めていたように思えた。しかし今、目の前で永眠ねむっているお姉さんを見ていると、その好意が変質した感情が、芽生えてくる。

 それは一言では言い表せない感情だった。悲しみや、虚無感などと混ざり合っている。

 喪失。僕の人生は、お姉さんという存在を永遠に失ってしまった。それは永久に取り戻せない欠落であろう。

 なんとかして、この欠落を補いたい。そんな気持ちに駆られる。

 瞬間、僕の中には一つの発想が芽生えた。

 どうするか、と逡巡する間もなく、僕はその行為に踏み切る。

 ポケットに手を入れ、カッターナイフの刃を適当な長さで折り、手の中に忍ばせる。

 その後、擬音にすれば、『わっ』となるような勢いで、僕は泣いてみせた。無論、演技だが涙も声も実際に出しておく。

 そして、お姉さんの棺に覆い被さる。ちょうど、棺の上に突っ伏すような姿勢になる。

 手は、お姉さんの棺の中に入っていた。手を伸ばして探り、目当ての感触を得る。

 僕の指先が触れたのは、お姉さんの髪だった。

 カッターナイフの刃で、お姉さんの髪を切り、手の中に隠し持つ。その後、立ち上がり周囲を見回す。

 多数の人間が、僕に同情の目線を送っていた。おおかた僕は、『懐いていた近所のお姉さんが死んで悲しんでいる少年』というふうに映っているのだろう。

 ぎゅっ、と手を握りしめる。カッターナイフが掌に刺さり、血が流れる感触。僕の血液は、そのまま一束の髪に溶けていく。

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