さそり座の夜、あの屋上で

鍋島小骨

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01 わたしの屋上に

 船の中みたいに狭い階段を、あちらこちらと登って今日も帰宅した。

 「船の中みたいに」といっても、わたしは船というものをテレビでしか見たことがないし、乗ったこともない。ただ、この高層スラムの住人たちは、間口の狭さや天井の低さを言うのによくその例えをする。

 どこか無秩序に折り重なりくっつき合った古いビルの集合体。

 どこへ行っても、ボイラーや空調や何かの機械の音がしている。

 コンクリートだかモルタルだか分からない壁と天井には、やけにたくさんの配管と配管の間に古い張り紙が何重にも張られては剥がれた跡がある。むき出しの蛍光灯は大抵古くてちらついており、もうついていないものもある。薄暗い通路にはところどころ水溜まりがあるから、気を付けて歩く。

 理髪店バーバーのサインポールが今にも止まりそうなスピードでよろよろと回っている。古ぼけたレースをかけた硝子の向こうにはお客さんが一人もいないのが見える。

 以前はクリーニング店の作業場だった所が最近はシャッターを下ろしたままになっていて、そのシャッターには既にたくさんの張り紙が張られては剥がれた跡がついていて、隣にこの地区の掲示板があり、その向かいがわたしの部屋。


 一体どこからどこまでがひとつの区域として連番を振られているのかまったく分からないけれど、一〇二五号室がわたしの住む部屋だ。最上階のせいか天井もそれほど低くないし、屋上に出ることができるから、それなりに気に入っている。食べ物屋の裏口の臭いもあまりしない。工場も近くないから騒音は少ない方だ。

 ここが何階なのか分からないくらい遠いということもあって、わたしは地上に降りたことはない。近くの店で何でも用が足りるので、降りる必要がなかった。地べたで植物を育てたい人たちは地上に住みたがるというけれど、わたしにとっては屋上がある方がいい。植物ならプランターで育てられる。わたしも、部屋で真っ赤なゼラニウムの花を育てている。


 仕事から帰ってくるとわたしは、ぬるいシャワーを浴びて部屋着に着替え、気を付けてお湯を沸かしインスタントコーヒーをいれて、マグカップとラジオを古いステンレスのお盆にのせ、部屋の中から続く階段を上がって屋上に出る。

 折り畳みの椅子と小さなテーブルを出し、ラジオをつけてコーヒーを飲みながら、空を見るためだ。

 わたしは星を探している。この高層スラム街の上空はかすみが強くて、見える星は月が精々。でも、見える見えないの問題ではなくわたしはどうしても星を探したい。理由は分からない。

 しばらく空を見て、部屋に戻って夕飯をつくり、ゼラニウムの鉢に水をやったりして、また屋上に出る。雨雪が降る、風が強い、眠い、のどれかが起こるとすべて片付けて部屋に戻り、ベッドで眠る。

 これがわたしの日課だ。

 毎日の繰り返し。毎日毎日の繰り返し。


 建物どうしが境目も分からないくらいぎゅうぎゅうにくっついて噛み合っているから、わたしの屋上は周囲の建物の屋上と繋がっている。全部高さが違うし、アンテナだらけだ。一方だけがどこにも繋がらず切れ落ちていて、それはわたしたちの高層スラムが持つ、よくある縦坑たてこうだ。見下ろすと、はるか下に植木と歩道と物置みたいな建物があるのが見えて、それが地上。灰色の高層ビルの、無数の窓にぐるりと囲まれた井戸の底みたいな、小さな地上の姿だ。

 屋上のふちに立つと、向かい側の壁一面がアンテナと洗濯物と鉢植えでいっぱいなのが見える。強度が足りているのか不安になるような外階段。誰がどうやって描いたのか全然分からないスプレーの落書き。

 肥大したコンクリートの泡にも似たわたしたちのスラムの上には、水彩絵の具の筆を洗い続けた水みたいな、何色だか分からない空がある。

 ここに星があるとなぜ信じられるのか、自分でも不思議だ。



 とにかくまるで代わり映えのしない、いつもと同じ夜だった。

 仕事から帰り、ぬるいシャワーを浴び、屋上に椅子とテーブルを出し、ラジオをつけてコーヒーを飲みながら、空を見ていた。


 そして今日。

 なぜか今日。


 そのろんな夜空から、不意に、パラシュートをつけた人間が降りてきた。


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