背信の業火⑩
○ ◎ ●
最初のそれは、まるで灯火のようだった。
シンの傷口から溢れ出した焔の勢いはいっそ穏やかで、段々とそれに全身を呑まれていくシンは、一本の蝋燭のようにも見えた。その身を貫いていた刃を全て焼き尽くし、密着していた何人かの聖騎士を火達磨に変えても、彼自身は飽くまでも静かだった。
「ティス……!?」
ティセリアに呼び掛けてくるホタルの声は、すっかり混乱しきっていた。声には出さなかったが、ティセリアの右手に取り縋っていたヒナギクも、きっと似たような心境だっただろう。
無理も無い。一番の心の拠り所であった人物が目の前で殺されたと思ったら、その身体が発火し、赤々と燃え上がり始めたのだ。双子だけでなく、その背後に居る男二人や、或いは実際にシンの身体を前にしている聖騎士団の面々すら、事態を把握するのは難しかったに違いない。
この世界には、人がわざわざ覗かなくてもいい領域というものがある。覗いてしまった彼等は不運で、その中でも今回ティセリアが味方にならなかった聖騎士団の面々は最悪だ。
彼等は二度と、生きて故国に帰る事は無いだろう。
「また、“彼”が目を覚ました」
ティセリアが言葉を紡ぐのと。
シンの身体を覆っていた炎が爆発的な勢いで膨張し、周囲へ濁流のように広がったのはほぼ同時。
空が破れたかと思うような轟音と共に、世界の全てが火色に染まる。古い街並みも、ひび割れた路面も関係無い。コンクリだろうが鉄筋だろうが頓着せずに焼き尽くし、その全てを消し炭に変え、押し流していく。
逃げ場など無く、防ぐ術も無い。
森羅万象、有象無象の全てを焼き尽くして破壊するその業火こそ、嘗て“
ティセリア自身が“彼”と相対するのは、これで二度目だ。前回は中途半端に力を放出しただけで終わってくれたが、さて、今回はどうだろうか。
「これは、あの時の……!!」
背後から聞こえる、驚きと興奮が入り混じったような声。自身の両脇を猛烈な勢いで駆け抜けていく業火の濁流を前にしても、言葉を紡ぐだけの余裕があるのだから驚きだ。
“雷獅子”レオンハルト・イェーガー。
信仰は無く、信念も薄く、ただただ強者との戦闘を純粋に楽しんでいる彼は、ティセリアが嘗て教会領に居た頃から聖騎士団の異端児とされていた。それでも尚十聖に数え上げられるだけの実力は本物で、その豪胆さも同様なのだろう。
「──“嘗て、争いがあった。破壊を司る黒き神と、創造を司る白き神。美しきこの世界を賭け、二柱の神は戦った”」
「呑気に教典なんぞ暗唱してる場合かよ、聖女サマ? いい加減答えろ。”アレ”は──”アレ”は一体何なんだ?」
結局、その戦いは決着が着かなかった。二人の神の力は全くの互角で、戦いは相討ちという形で終幕を迎える。
けれど、二神は最後の最後で和解していた。お互いがお互いを受け入れ、死に行く最後の瞬間に魂の安寧を手に入れた。そのまま放っておけば二神の遺体は時と共に朽ち果て、二度とこの世に蘇る事は無かったかもしれない。
だが、そうはならなかった。
死を迎えた彼等の身体からその心臓部である“コア”を抜き取り、その力を解明しようと目論んだ者が居たのだ。
「あれは”ベリアル”。旧時代の強欲な人間、その子孫によって
「……意味が良く分からんぞ。ベリアルだと? それは、所謂、御伽噺で――」
「この世界の殆どの人は忘れてる。自分達は何処から来たのか。吸血鬼とは一体何なのか。だからこそ“あの男”はこの世界をペテンに掛けて、まんまと全てを手に入れる事が出来た」
「分かるように説明するという発想がテメェには無いのか?」
「……」
シンに負わされた傷の所為か、レオンハルトの口調は割と穏やかだ。ティセリアの説明を理解出来ず、彼が混乱しているのは明白だったが、ティセリアはもう改めて説明し直すつもりなんて無い。
これは、あまりにも突拍子も無い物語だ。語って聞かせるのは簡単だが、信じて貰えるのはきっと難しいだろう。
だから、答える代わりに頭を振った。それと同時に業火の濁流も勢いを弱め、やがて途切れる。
辺りは、今までとはすっかり様相が変わっていた。
建物の影など何処にも無く、ブスブスと煙を噴き上げる真っ黒な更地が周囲一帯に広がっている。視線を上げれば、広い夜空の中に紅い月。星は見えなかったが、更地のあちこちで燃え残った焔が火の粉を飛ばし、星の代わりに瞬いて夜空を彩っている。
無事なのはティセリアと、その背後に位置する空間だけだ。其処に居た双子とレオンハルト、それからシンやティセリア達を守ろうとしてくれた
「……ふぅ」
溜め息を吐いて、ティセリアは肩から力を抜いた。自身の前に展開していた“力場”の維持を放棄すると、蒼い光の粒子が飛び散って虚空に消える。
元々、ティセリアは戦闘慣れしている訳じゃない。レオンハルトのようにそれが好きな訳でも、シンのように得意である訳でもない。確かに力は持っているけれど、他の人の戦いに割って入れるような動体視力も無ければ、戦況を読み解いてベストな判断を下す戦術眼を持っている訳でもない。
だからこそ、後悔があるのだ。
”自分の信念”に固執せず、最初から自分が矢面に立てば、こんな事にはならなかっただろうに、と。
「……そう言えば、心当たりがありますな」
今まで口を閉じていたブルートが、不意に口を開いた。
「従来のものを越える、全く新しい技術で産み出された新たな
あ、バレた。
チラリと背後を振り返り、ティセリアがブルートの方に視線を遣ると、彼は大分落ち着きを取り戻した様子でティセリアを見返していた。
それ以上追求してくるつもりは無さそうだが、後で言いふらしたりしないよう良く話し合わないといけないかもしれない。どうもシンの知り合いで味方だったみたいなので反射的に助けたが、彼もまた聖騎士の一人である。万が一、ティセリアの存在を教会領で言いふらされるような事態になるのは、些か都合が悪いのだ。
とは言え、今は”彼女達”を優先すべきだろう。
ブルートから一旦視線を外し、代わりにティセリアは足元に目を落とす。
それぞれ左右からティセリアの服の裾を掴んでいた双子と目が合ったのは直後の事だ。彼女達はとにかく不安そうで、それも無理の無い話である。シンが自分達を庇って命を落とすのを眼前で目撃し、その後直ぐに業火が何もかもを消し飛ばすという圧倒的な光景を見せ付けられたのだ。様々の要素が絡み合って、不安という感情に全部が全部紐づいてしまって、自分でももうどうすればいいのか分からない。そんな感じか。
ヒナギクもホタルもティセリアを見上げて何かを言いかけたが、肝心の言葉が出て来なかったらしい。二人揃って言葉に詰まり、俯いてしまう。
だからティセリアは、シンがやるみたいにポンと二人の頭に掌を乗せた。
「大丈夫」
二人は、顔を上げない。
めげずにその頭を軽く撫で回し、あたかも自信満々であるかのように軽い口調で言葉を紡ぐ。
「全部元通りになる。私がそうしてみせる。そしたらまた、みんなで暮らそう」
「……ほんとうに?」
「うん」
「みんなで、いっしょに?」
「もちろん」
ヒナギクもホタルも、顔を上げるまでには至らない。けれど、ティセリアが屈んで二人を抱きしめると、彼女達は力いっぱい抱き付き返してきた。
世間では化け物だなんだと言われているが、本来の姿はこんなものだ。彼女達を抱き締めたままティセリアが視線を遣ると、レオンハルトとブルートは奇妙な物を見るような目で双子を見返していた。双子は、彼等が知る吸血鬼とまるで違う。彼らの困惑は、ティセリアにも容易に想像出来た。
尤も、”双子は”と言うより、”本来の吸血鬼は”と言った方が、この場合は正しいだろうけれど。
「じゃあ、行くね?」
「「……うん……」」
双子と、何より自身に言い聞かせるように呟いて、ティセリアはゆっくりと立ち上がる。既に目の端から大粒の涙をボロボロと零しているホタルと、唇をグッと噛み締めて堤防の決壊を堪えているヒナギクに微笑みかけて、踵を返す。この場一帯を煉獄の様相に変えた張本人は、何をするでもなくその中心にポツリと佇んでいた。
身に纏う焔は逆巻きながら天へと伸び上がり、灼熱色の長い髪はそれに煽られるようにユラユラと揺れている。呼気の代わりに灼炎を吐き出し、炭のように黒くガサガサした体表には橙色に光る回線が身体の各部を繋ぐように走っている。
『──…………』
髪や回線なんかよりずっと強い光を放っている凶眼は、此処では無い何処かに向けられていた。その場に佇んだ状態のまま、ゆるゆるとあちらこちらに視線を向けているその様は、“敵”が襲って来ない状況に戸惑っているようにも見える。
酷い話だ。ありとあらゆる存在から疎まれ、憎まれ、何時の間にか敵意を向けられるのが当たり前になっているのだから。
ティセリアが声を掛けるべく彼の方へ歩き始めると、彼は即座に反応し、視線を向けて来た。
「シン」
呼び掛ける。
今の彼は少し特殊な状態だ。
見た感じ、シンの身体に刻まれた傷は既に塞がっているように見えるが、同時に“強引な顕現”の弊害が見事に出てしまっているようである。
今の彼にシンとしての意識は無く、ベリアルの振るう力だけが防衛本能と共に表に出て来ている状態だ。其処に意志による制御は存在せず、今の彼はひたすら近付く物を攻撃するものを攻撃しようとするだろう。ティセリアも嘗て似たような状態に陥った事があるので、良く分かる。恐らく今、シンの意識は彼の中のベリアルと会話でもしている最中で、外がこんな事になっているなんて思いもしていないのだろう。
飽くまで防衛本能だから、このまま放っておけば何事も起きずシンが戻って来る可能性もあるにはある。が、ベリアルの力は破壊する事に特化していて、顕現の余波で既にスラム・エリア一帯は吹き飛ばされてしまった。
――……今の彼をどうこう出来るのは、恐らく同じ次元に居るティセリアだけだから。
「シン」
呼び掛ける。
なるべく刺激しないよう、ゆっくりと歩いて距離を詰めたつもりだったのに、それまで周囲を緩やかに見回していたベリアルは、標的を定めたようにティセリアへ凶眼を向けた。
「シン、起きて」
実を言えば、少しだけ怖い。
吹き付けて来る熱気は凄まじく、押し寄せてくるプレッシャーはそれだけで潰れてしまいそうだった。
何度だって言うが、ティセリアは戦闘には慣れてはいない。暴力やその類の諸々に興味は無いし、それでいいと思っている。
けれど、相手はベリアルと同時にシンでもあるのだ。だからティセリアは立ち止まらないし、他の誰かに代わるつもりも無い。地獄か、或いは世界の終わりのような光景の中を、ティセリアは彼から視線を逸らさないまま歩き続ける。
『──GA!!!!』
彼の右腕に、炎が収束するのが見えた。同時にティセリアの中の”彼女”も呼応するように、力場を形成する。
“空気とは硬く、どんな攻撃をも通さない絶対無敵の防壁である”。
本来の世界の法則を捻じ曲げ、力場の中の世界の在り方を思うように再設定。どんな金属より硬くて頑丈、どんな城壁より難攻不落となった大気の壁はティセリアを守る盾となり、直後、押し寄せて来たベリアルの爆炎を真正面から受け止めた。
受け止められ、左右に分かれて流れていく炎の濁流は、けれどティスやその背後に居る双子達を傷付ける事は無い。
“
嘗てティセリアの中は埋め込まれたモノは世界の在り方を規定し、その行き先を設定する。
セラフィムと名乗る彼女とは、もうそれなりに長い付き合いだ。
「警戒しないで。何もしない。何もしないから」
爆炎は、何度も襲い掛かって来た。
セラフィムの力とは正反対であり、同時に同種のものであるベリアルの炎は、やはり捌くのにも苦労が要った。出し惜しみして削り殺されるのは笑えないと、ティセリアも躊躇う事無く“彼女”を顕現させる。
ベリアルのと同じ、鮮烈な蒼の光の回線がティセリアの肌に浮かび、髪は淡い白色の光を帯びる。
再度防壁として設定し直された大気の壁が、押し寄せて来る爆炎を防ぐ。横着して障壁を張りっ放しにするとあっと言う間に破壊されてしまうので、炎が途切れるその一瞬の隙に設定をやり直さなくてはならなかった。
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