刹那の休息④

「正直、今だって驚いてるかな。まさか“果実持ちアップル・ホルダー”と遭遇して、しかも戦ってたなんて」


「……あっぷるほるだー?」


 聞き返す声が間抜けになったのは、仕方が無いと思う。


 聞き覚えがあるような、無いような。そんな奇妙な聞き心地の悪さがあったのだ。


 そんなシンの反応に気付いていないのか、敢えて無視したのか、ティセリアは直ぐに説明してくれた。


強化人間ブーステッドの中でも、特別な能力を持った個体の事をそう呼ぶの」


 ティセリア曰く。


 一言で強化人間ブーステッドって言ってもピンからキリまであって、単純に筋力を強化するだけの場合もあれば、神経やら脊髄やら脳やらを弄くって、生物レベルの強化を狙う場合もある。そういった強化具合の事を”強化深度ステージ”と呼ぶのだが、強化深度ステージの深い強化人間ブーステッドの中には、極稀に本来人間は持ち得ない特殊能力を獲得した個体が現れるらしい。


 理由は分からず、意図的には生み出せず、そもそも前提からして強化深度ステージの深い強化施術の成功例は多くないが、それ故にその存在は重宝されるのだとか。


「しかもその人、能力を二つも持ってたんでしょ?」


「ああ。雷と、再生能力だな」


「その豪運だけでも怪物級だね」


 雷獅子。これはシンが咄嗟に付けた渾名だが、確か本名をレオンハルト・イェーガーとか言っていただろうか。


 恐ろしい敵だった。今、こうして生きてティセリアと会話が出来ているのが不思議なくらいである。もう二度と相対したくないし、仮に相対してしまえば次は間違い無く殺されるだろう。


 そもそもよく生き残れたものだ。


 皮膚を焼き焦がす雷熱の感触も、身体の芯どころか魂までをも揺るがす打撃の重さも、恐怖トラウマとして刻み込まれている。特に、最後に喰らったタックル。身体中の穴という穴からが噴き出すあの瞬間は、一生夢に見続けるかも知れない。


(……ん?)


 ふと、おかしな事に気付いた。


 自分の中身が噴き出す感覚。思い出したくはないが確かに覚えている。けれど今は内に鈍く疼くような痛みはあるものの、ザッと見た限りでは大きな怪我もそれを覆う包帯も見当たらないのだ。


 目を覚まさなかった期間は一週間だったと言う。悠長に寝ていた時間としては長過ぎるが、逆に未だ一週間しか経っていないとも言える。 


 幾ら何でも、回復が早過ぎやしないだろうか。


「どうかしたの、変な顔して?」


「いや、その……一つ訊いてもいいか?」


「なぁに?」


「お前が俺を見つけた時、俺の怪我の具合はどうだったか覚えてるか?」


「怪我」


 ティセリアはキョトンとした様子で、オウム返しに聞き返してきた。思い出すように一拍の間を置いた後、ゆっくりと口を開く。


「そう言えば、目立った怪我は無かったよね。痣とか、小さな火傷の跡くらいはあったけど」


「そん……っ」


 そんな馬鹿な。


 言おうとした言葉は、シンの胡坐の上にちょこんと座り込んでいた双子によって遮られた。キョトンと此方を見上げているその顔は、シンの言っている事が良く分からないと雄弁に語っている。視線で問い掛けてみるが、彼女達は「怪我なんて無かったよ」とばかりに首を横に振って見せる。


 どうやら彼女達にも、シンが大怪我をしたという認識は無いようだった。


「シンはあんな話し方したけど、その雷獅子さんとは結構互角の戦いだったんじゃない? ほら、極限の緊張の中だったから、痛いのとか大袈裟に感じちゃったとか? 」


「……さっき、”酷い有様”がどうとか言ってなかったか?」


「場所はね。シン自身はあんまり」


「……」


 分からない。


 あの時の自分は、確かに致命傷を負っていた筈だ。ティセリアはシンの事を強化人間ブーステッドだと言っていたし、だとしたら回復力が常人より高いのも頷けるが、それにしたってあの怪我を一週間で完治させるというのは異様である。そもそもティセリアも双子も怪我なんて見ていないと言うし、それだったら怪我なんて最初から無かったと考えた方が辻褄が合ってしまうのだ。


「どうなってるんだ……?」


 元々から記憶の殆どを失っていたと言うのに。つい最近の記憶ですら曖昧で、定かではないのか。


 最早自分自身が信じられなくて、シンは思わず嘆息する。ギシリ、ベッドが軋む音がしたのは、まさにその瞬間の事だった。


「おりゃっ」


 ぼすっ、と濡れた柔らかい感触が額にぶつかって来た。顔に貼り付いてきたその感触に驚いて慌てて引っ剥がすと、それは濡れたタオルだった。先程、ティセリアが絞っていたものである。


「……何だよ?」


「ふはは。驚いたか」


 苛立ち半分、呆れ半分で視線を上げると、ティセリアはニンマリと悪戯好きな童女そのもので笑っていた。文句を言おうにも毒気を抜かれてしまい、間抜け面を晒している間に、彼女は寝台から一歩後退った。


「……シンはね、頑張り過ぎなんだよ」


 軽い調子の声だったのに、何故か怒られたような気がした。咄嗟に何か言おうと口を開きかけたものの、その間にティセリアは軽やかに踵を返し、部屋の出口へ向かってしまう。


「お腹空いたでしょ? 何か作って持って来るよ。それまでその子達と一緒に居てあげてね」


「む」


「良い子にしてずーっと待ってたんだから」


「そうか」


 視線を落とす。顔を見上げてきていた双子と目が合って、シンは彼女達の頬に触れ、頭を撫でた。大人達の会話と思って、我慢していたのかも知れない。それまで何となく一歩退いていた様子の双子が、パッと表情を輝かせた。


 彼女達の事を未だに思い出せていないシンに、けれど彼女達は変わらず親愛を向けてくれている。正直、忘れてしまったシンには負い目しか無いのだが、それを表に出すのは双子の為にならないから、我慢するしかない。


「じゃあ、また後で」


 パタンと扉の閉まる音と共に、ティセリアは部屋を出て行った。以前は静かな部屋に双子と一緒に取り残されるなんて気まずくて仕方が無かったろうが、今は多少なりとも慣れてきている。気まずい思いなんて無かったし、話題が浮かばず言葉に詰まるなんて事も無かった。


「……すまないな」


「「?」」


 此方の謝罪に、双子はそれぞれ不思議そうにする。同じ顔なのに、表情だけで此処まで違いが出るのだから、不思議なモノだ。


「何か、お前達の事が思い出せれば良いと思ったんだが」


 思い出せなかった。


 そう続けたシンの言葉に、けれど双子は不思議そうな表情を崩す事は無かった。てっきりまた悲しそうな顔をさせてしまうと覚悟していただけに、肩透かしを喰らったような気分になってしまう。


「怒らないのか?」


「なんで?」


「何でって……俺がお前らの事を思い出せなかったんだぞ」


「んー……」


 話をする時、受け答えをするのはホタルの担当だ。彼女はいまいちピンと来てない様子だったが、それでもちゃんと答えようと一生懸命考えを纏めたのだろう、少しの間虚空を見上げて、それから言った。


「ボクたちのコトわすれたままでも、いまのシンは、まえのシンと、おなじだから」


 きゅ、と服の裾を握る、二つの小さな掌。


「いなくなるほうが、イヤ」


 紡がれるホタルの声が微かに揺れて、心臓の音を確かめるようにヒナギクがシンの胸に耳を押し当ててくる。


 ”良い子にしてずーっと待ってたんだから”。


 何でも無い様子で語られたティセリアの言葉の意味を、シンは改めて思い知った。


「……そうだな」


 胡座の上を占拠する二人の背中を、抱き寄せる。


 自身の体温を、鼓動を、生きている事を証明するように、強く、強く、抱き締める。


 華奢な彼女達には少し苦しかっただろうが、彼女達は抵抗しなかった。逆に力一杯抱き締め返してきたのはヒナギクで、堪えきれなくなったようにぐずり始めたのはホタルだろう。


「すまなかった」


 記憶は戻らず、彼女達の事は未だに思い出せない。


 けれど、過去の自分がどうして彼女達を護ろうと決意したのかは、何となく分かったような気がしたのだった。



 ○ ◎ ●

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