APOSTATE
罵論≪バロン≫
prologue.「ある男の最期」
「ある男の最期」
雨が降っていた。
小雨や霧雨といった、そんな優しい類のものではない。森の分厚い枝葉を突き破り、身体を容赦無く叩いて穿つそれは、さながら機関銃の斉射のようだ。直ぐ近くで雷が吼え、大風で木々の枝葉が吹き飛ばされるその中を降りしきる、冷たく激しい嵐の牙そのもの。そんな感じの雨だった。
けれど、身体は一向に冷えない。それどころか、逆に肉や骨、果ては魂までも焼き尽くさんばかりに熱を持っている。
深い、深い森の中。人工林というような行儀の良い場所でなく、肥沃な大地に木々が無秩序に根を張った正真正銘の自然の領域。張り出した木の根や沼のような泥濘に足を取られて、思うように動く事も出来ない。
けれど、戦意は萎まない。もどかしいとか鬱陶しいとか、そういう余計な事は一切思考に浮かばない。
振り抜いた刃から、赤の飛沫が飛び散った。胴から切り離されたヒトの首が勢い良く飛んで、嵐の森の泥の中に転がっていく。
顔面を殴り潰された男は、何か悲鳴を上げたのだろうか。足を掴まれて引きずり回され、最終的には凸凹した木の幹に叩き付けられた男は、どの段階で意識が手放したのだろうか。
人工灯の光が目に眩しい。雷の音が腹の底に響く。
桶をひっくり返したような土砂降りの中だというのに、血の匂いがベッタリと貼り付いて離れない。
「─────────ッ!!!」
吼える。
真正面から突っ込んで来た奴の胴体に前蹴りを叩き込み、怯ませた所に頭突きを叩き込んで顔面を砕く。
間髪入れずに反転し、後ろから襲い掛かって来た奴の顔面に裏拳。鼻を抑えてよろめいていた相手の胸倉を掴んで強引に引き寄せ、一本背負いの要領で頭から地面に投げ落とす。得物の鞘尻を突き落として喉を潰し、トドメ。
頭上で、雷光が目も眩むような光を放ったのはその時だ。光の中に紛れ込み、次の獲物に向かって走る、疾る。
「─────────ッ!!!」
吼えた、のだろうか。
奪い取った散弾銃を宙に放って持ち直し、地面でのたうち回っていた相手の頭に銃口を押し付けて、固定。引鉄を引く。
ボン、とくぐもった音と共に散華した赤は、瞬く間に雨へ流され、最初から無かったように消え失せた。
「──……化け物がァッ!!」
背後から、怒声。同時に敵意の塊が迫って来る。
即座に対応。
振り返りつつ地を蹴って、突っ込んで来る相手に此方から肉薄。タイミングをずらされた所為かあっさりと懐に潜り込まれた相手を嘲笑いながら、突進の勢いをそのままにショルダータックル。
鈍い衝撃から察するに、重要な器官を潰したらしい。相手が血反吐を撒き散らすのを認識しつつ、それでもまだ足は止めない。相手の身体を引っ掛けたまま疾走を続け、そのまま近くにあった大木へ突っ込んでいく。
ドン、盛大な衝撃に紛れて、骨が砕けて肉が潰れる生々しい感触が伝わって来たのは、直後の事だった。
「テメェッ!!」
「よくも!!」
左右からそれぞれ聞こえて来た叫び声。
血反吐を撒き散らしながら崩れ落ちた相手はもう放っておいて、声が聞こえてきた二方向を素早く見回す。
挟み撃ちだ。片方は双剣を、片方は長剣を振りかざして、左右から真っ直ぐに突っ込んで来る。
思案するまでも無く、身体は左の双剣遣いの方へと向き直っていた。
斜め上から十字の軌道で襲い掛かって来た双剣を、腰を落として回避。更に相手の片腕を掴み、その身体を強引に引き寄せながら、得物の柄頭を真下から鳩尾に向かって思い切り突き上げる。
「ぐぇ!?」
思っていたより遥かに軽い。蟇のような悲鳴を上げるのを聞きながら、双剣遣いの身体を背後の地面に“投げ落と”す。
長剣使いの一撃が、背後から襲い掛かって来たのはその瞬間の事だった。丁度落下中だった双剣使いの身体が盾となり、その刃が此方に届く事は無い。
「ぎゃッ!?」
「しま──っ!?」
同時に聞こえた悲鳴と狼狽の声は無視して、腰に当てるように構えた得物を、鞘から一気に抜き放つ。解き放たれた刃は空を裂き、雨も、風も、一直線上に並んでいた二人の人間ですらも、皆纏めて斬り捨てた。
雨に悉く落とされて、大して血は飛び散らない。二人から四つへと変化した剣士達から視線を外し、代わりに頭上へ目を遣った。
此方が二人に気を取られている隙に、頭上から奇襲を掛けるつもりだったのだろう。視線の先では、やや小柄な人影が短刀を携え、木の上から飛び降りようとしている所だった。
「う……ッ!?」
気付かれるだなんて思いもしなかったのだろうか。短刀使いが怯えたように表情を歪め、小さく呻き声を上げるのが聞こえた。
即座に跳躍。
自分から相手に向かって接近し、短刀が振るわれるよりも早くその顔面を掴んで力いっぱい握り締める。
鈍い音と共に敵の身体が跳ねるのを感じながら、グルリと身体を捻って地上を睥睨。同時に、掴んだ相手を無造作に振りかぶる。
ボキリと手の中に響いた感触は、負担を掛けられ過ぎてへし折れた、首の骨のものだろう。
構わず地面の向かって力一杯投げ落とし、更に泥の中に埋もれたその身体の上に着地。粉々に踏み砕く感触を足裏で確かめながら、周囲をグルリと見回した。
「…………」
そこら中に、敵が居る。どうやら此処は、敵本隊のド真ん中であるらしい。
わざわざ見回さなくとも、其処此処で蠢き、此方をジィッと睨み付けている気配は、嫌でも感じ取る事が出来た。
「……」
一瞬の、静寂。
今までよりずっと近い所で、雷が吼えた。
「化け物め!!」
「回り込め! 包囲して一気に叩み掛けるんだ!!」
「仇を取れ!!」
「殺せ!!」
「奴を殺せェッ!!!!」
次々に、怒声が響き渡る。
悪意。害意。敵意。殺意。
ドス黒い感情が連鎖するように次々と咲き乱れ、森の至る所から噴き上がる。どうして此処まで濃密な殺意を向けられるのか。知っていたような気もするけれど、熱に浮かされボンヤリとした思考では思い出す事も叶わなかった。
そもそも、そんな事はどうでも良かったのだ。
自分は戦わなくてはならない。奴らを全部殺して殺して殺し尽くして、誰一人生きて帰してはならない。
そうしなければ逃げ切れない。そうしなければ守り切れない。
──……守る?
──……一体、何を?
「……?」
一瞬、何かを思い出したような気がした。
でも次の瞬間には、何かを思い出しそうになった事自体を忘れていた。
木々の向こうから此方を窺う、沢山の目、目、目、目。獲物を狙う獣を連想させる沢山の双眸は、どれもこれも殺意に満ち満ちている。恐らく、奴らの仲間が全てこの場に集まって来たのだろう。周囲どころか頭上まで、完全に包囲されてしまっていた。
これだけの数を全部一人で、一気に相手にしないといけない訳だ。流石に骨が折れるだろうし、だからこそ移動しながら戦うべきだ。
少なくとも、さっきはそういう風に考えた。そんな気がする。
「──あ……?」
まただ。真っ黒に塗り潰された思考の中に、何か別のものが微かに混じる。何でこんな事になっているんだろう。どうして自分は、こんな事になっているのか。どうして自分は、こんな奴らと戦っているのか。
自分は何か、大切なモノを忘れてしまっているような気がする。
「……──」
思い出せない。
ああ、でも、別に思い出したいとも思わない。
身体が熱い。まるで燃えているみたいだ。
轟々と吼える雨の音ですら掻き消すように、ドクン、ドクンと自分の鼓動の音が妙に大きく響いている。
視界はユラユラと朱く染まり、その中で蠢く敵はそれよりも紅い。敵の首領らしき人影が前に進み出て、何事かを言っているのが聞こえるが、
トウコウ?
メイヨアルシ?
何だそれは。美味いのか?
「──がぁッ!!」
間髪入れずに飛び出した。
前に出ていた男の眼前まで距離を詰め、その心臓を抜き手でブチ抜いてやった。その直ぐ近くにいた女へ襲い掛かり、拳で顔面を殴り潰す。後ろから襲い掛かってきた何者かに反抗してその喉笛を喰い千切り、直ぐ近くで誰かが動いたのに反応して適当に殺す。
聞こえた
けれど、自分には良く聞こえない。雨の冷たさも風や雷の吼え声すらも良く分からない。ただ、分かるのは殺意だけだ。そこら中に居る敵達の殺意が、これまで以上に急速に膨れ上がっていくだけしか分からない。
いいだろう。上等だ。
相手の方に大きく踏み出して泥濘を跳ね飛ばし、森全体を揺るがさんばかりに吼える。
掛かって来い。俺は逃げも隠れもしない。
地を蹴って前方の敵の群れに向かって駆け出せば、敵もまた、それを機に包囲の輪を一斉に縮めて来た。
全方位だけでは飽きたらず、上や下までから襲い掛かって来る敵、敵、敵、敵。
一体何人居るのだろう、後から後から押し寄せて来る彼等を嬉々として迎え入れ、次から次へと片っ端から叩き潰していく。
殴り、蹴飛ばし、踏み砕く。
穿ち、斬り裂き、噛み千切る。
思考が沸騰する。
世界が曖昧になる。
何か大事な事を忘れているような気がしたけれど、戦う事に手一杯で、何より戦う事は楽しくて、思い出す事が出来ない。
斬った。撃たれた。刺した。穿たれた。
砕き、へし折り、斬り裂き、踏みにじり、敵を、全てを、嗤う、嗤う、嗤い、嗤い──
最後にマトモな思考をしたのは何時だっただろう。
最後にそんな事をチラリと考えたのは確かだと思う。けれどそこで意識はプツリと途切れていて、そこから先はどうなったのか分からなかった。
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