君の頭の中の君
良月一成
第1話 頭の中に何かいる…!?
一九八六年、七月三一日。その山には蝉の大きな鳴き声が響いていた。
「懐かしいな、この辺りも」
山道を歩きながら
「そうだねー、私もここまで登ってくるのは久しぶりだよ」
その隣を歩くのは
「ところで学っていつからその眼鏡かけるようになったの?」
「ん~、一年くらい前かな」
「へぇ、学って目悪かったんだっけ」
「まぁ、勉強しすぎたせいだな」
「へぇ~偉いなぁ学は。私なんてずっと目がいいままだよ~」
「別にいいじゃないか。目が悪くたって何もいい事はないぞ」
砂音と学はこれが実に三年ぶりの再会であった。再び学がこの羽月村に引っ越してきたということで、村全体が見渡せるこの山の頂上へと登ろうという話になったのである。
三年も経つと二人とも随分と身長が伸びていた。しかし砂音の女性的な部分はあまり変化していないなと学はふと隣を見て思った。
「学はなんでそんなに勉強するの?」
「そりゃあいい高校、そしていい大学に入りたいからさ」
「ふーん、いい高校ってどこの高校?」
「それはまだ決まってないけど、たぶん東京の高校かな」
「え~せっかくこっちに戻ってきたのに、また東京に行っちゃうのぉ?」
「あぁ、こんな田舎にいつまでも引きこもっていられるか。お前はどうなんだこのままこの村にずっといるつもりなのか」
「うーん、そぉかなぁ。私、この村から離れられないし」
「え……? なんでだ?」
「ん? だって、家族みんなこの村にいるし」
何か特別な理由があるのかと思えば案外普通の理由だったようだ。
「そっか……ま、それがお前らしいかもな」
山の入口から頂上まで一時間半といったところだろうか。もう中腹は越えているが、ふだん体を動かさない学にとってはなかなかハードな運動である。
「ふぅ、ちょっと休憩しないか。暑いしさ」
「あぁ、うん。そうだね」
学は目で座れそうな場所を探す。すると砂音が少し先へ進み、道の横を指差した。
「こっち! いい景色が見れるみたいだよ」
すると砂音は前方にある狭い横道へと向かっていった。
「休憩って言ってるのに……」
学が砂音のあとを追うと、横道の先は崖になっているようだった。
砂音は崖に向かって遠慮のないスピードでその先に向けてタトタトと駆けていく。
「お、おい。あんまりギリギリまで行くと危ないぞ」
「大丈夫大丈夫! そんな簡単に崩れたりするはずが」
砂音が踵を返しそんな事を口にした瞬間の事だった。砂音が乗る地面に亀裂が入った。
「えっ」
そして砂音はそのまま周辺の岩盤もろとも崖下へと滑落して行ってしまった。
「ちょ!? 砂音!!」
「きゃああ――ッ!」
学はとっさに砂音の元まで駆け寄ったが、全然間に合わせる事が出来なかった。
「さ、砂音……?」
崖先までたどり着いた学は頭の中が真っ白になっていた。
まるで余韻のようにカラカラと小石が転げ落ちていく。
「そ、そんな……馬鹿な……」
学はその場に膝をつき崖下を覗き込んだ。木々が生い茂っているために落下地点がどうなっているのかいまいち分からない。砂音はどうなってしまったのだ。
「さ、砂音ッ! 大丈夫かッ!」
学はとりあえず大声で呼びかけてみた。しかし、しばらく待っても返事はない。
一体どうすればいい。学はパニック寸前であった。
「と、とにかく、助けにいこう!」
学は立ち上がりそこから迂回して崖の下へと向かった。
崖下は上から見た通り深い森だった。ごつごつと大きな岩が隆起し、木々の根が張り巡らされ歩きづらい。
上を見ると木々の隙間に学達が先ほどまでいた崖が見えた。それを見る限り砂音の落下位置は近いはずである。
そしてふと前へ目を向けると学は地面に倒れている砂音の姿を発見した。
「砂音!」
学はその姿に向かいながら呼びかけたが砂音はそれに応える様子はない。
「お、おい大丈夫なのか!」
いくつかの岩を飛び越えるようにして砂音の傍まで駆け寄った。すると砂音は横向きの状態でこちらを向いて倒れていた。
「さ、砂音……?」
砂音は目が半開きになってピクリとも動く様子はない。頭から血が流れ顔を伝っている。一瞬肩を掴んで揺すろうともしたが、あまり動かすのも良くないかもしれない。学はその逆側に周って怪我の具合を確かめてみることにした。
「ひっ……!?」
思わず声にならない声が出る。よく見ると出ているのは血どころの話ではないようだ。
なんと頭蓋骨が割れてしまっていて、中から何か赤い物が飛び出してしまっている。どうやらすぐ傍にある岩に頭を叩きつけてしまったようだ。
「し、死んでる……のか」
学は砂音の体に手を伸ばしたが触れる寸前で恐ろしくなり引き戻した。
「う、嘘だ……砂音が……こんな……」
学は全身から力が抜け、その場に膝をついてしまった。
「あぁ……」とうめき声を上げ、頭を抱え、くしゃくしゃと髪を乱す。
久しぶりに会ったからといってなぜこんな山に遊びに来てしまったのだろう。
こうべを垂れ苔の生えた地面をただ見つめる。頭の中が負の念で支配されていく。
数分の間、そこから動く事すら出来なかったが、やっと学の頭は少し冷静に働き始めた。
「これから……どうすればいい……」
救急隊を呼ぶ? いや、今更そんな事をしても意味はない。ならば呼ぶべきは警察だろうか? いや、もうなんだっていい。とにかく下山して誰かにこの事を知らせなければならない。
そう思ってその場に立ち上がろうとしたところで学はその動きを止めた。
「え……」
何だか知らないが、砂音の頭が動いているのだ。
「な、何だ……? まさか、まだ生きてる……のか?」
しかし、それは奇妙な光景だった。その動いている部分は、砂音の首などではない。砂音の頭の割れ目の奥にある何かが動いているのだ。
「の、脳みそが……動いている?」
脳というものは筋肉のように動いたりするものなのだろうか。そんな話、学は聞いたこともなかったが。
「い、いや違う……こ、これは……頭の中に……何かいる!?」
それを悟った時、学の背筋に悪寒が走った。
そして次の瞬間、頭の中から小さな手がぬるり現れた。それだけじゃない。次に現れたのは血で濡れてはいるが白髪の頭のようだった。下に顔を向けている。
「ひ、人……?」
そのままズルズルと小人は砂音の頭の中からはい出てきて上半身を現した。小人は体にフィットする白いスーツを着ているようだった。
「な、なんだこいつは……?」
学はあまりの気味の悪さに立ち上がり一歩引いてその様子を伺った。
「う、うぅ……」
「しゃ、喋った……!?」
確かに小人の方から声が聞こえた。女の声らしき高い声だ。しかし、それ以降それは言葉を発することはなく、だらんと地面に顔を向けたまま動かなくなってしまった。
学は何とか気を保ちながら、体勢を低くしてその小人の顔を覗きこんでみた。
日本人という感じではないが、それは完全に人の顔をしていた。サイズが小さいというだけで、体も顔も細部まで人間のようだった。
「こいつは……小人……いや寄生虫なのか……?」
再び立ち上がり、砂音の体全体を見る。
「……砂音は一体何者なんだ」
そこにいても何も答えは出なかったし、その小人をどうにかする気も起きなかった。学は仕方なく砂音の遺体をその場に残して下山する事にした。
学は山道を下りながら砂音についての考案を始めた。
「あれは一体なんだったんだ……」
おぞましい光景が学の頭の中で何度も反芻する。
「あれは確かに砂音の頭の中にいた……」
学には事故の衝撃で偶然中に入り込んだとかそんな感じではなかったように思えた。
「砂音の頭にはあんな奴が住み着いていたのか? いやまさか、あれが砂音を操縦してた?」
学が今日会話をしていた人物は砂音ではなくあの中にいた寄生生物だとでもいうのだろうか。
「もしそうだとしたら……」
学は自身の身に危険を感じ始めていた。
「あれは……ただの寄生生物じゃない。服を着ていた。ってことは知的生命体ってことだ」
知的生命体ということはおそらく社会を築いているということだ。つまり仲間がいるということになる。
「あんなのが頭の中に入っている奴が他にもいるかも……いや、絶対いるはずだ」
だとするならば……。学の中で色々と仮説が組み上がっていく。
「あんなの見た事も聞いたこともない。つまりあいつらは自分達のことを秘密にしてるってことだ。そして俺はその秘密を知ってしまった……だとすれば……」
もしかしたら学は口封じのためにその仲間に消される……?
「マズい……マズいぞ……」
体中の毛穴から必要以上の汗がにじみ出てくるのを学は感じた。だとしたら一体どうする。
「このことを警察に話せば……。いや、こんな事簡単に信じてもらえるとは思えない」
学は目を見開き、焦りを抑えるように自分の両肘を掴んだ。
「待て……こういう時ほど冷静に、そして論理的に考えるんだ」
そうだ、決してここで感情のままの行動に出たりしてはいけない。そんなことをしてしまえば全てがうまくいかなくなることを学はよく知っているのだ。
学はメガネを指先でくいと上げ、今の状況をきちんと整理するように努めた。
「あの寄生生物は頭の中から出てきてはいたけど、すぐに気を失っていたようだった……。もしかしたら俺が小人の秘密を目撃してしまったことなんて分かっていないかもしれない」
足を止めて、拳を握りしめこれからの方針を決定した。
「そうだ……俺は砂音の頭の中にいる寄生生物なんて見ていない。そもそも砂音の死体を見つけてなんていない……そういう体で話を進めていくんだ……!」
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