部活帰り

皐月鬼

夏の満員電車

「なぁ高橋」

「どうかしましたか? 先輩」

「暑い」

「そりゃそうですよ……」

 私と先輩は額に汗を浮かべながら、二人して特に意味のない会話を交わす。

 例年に見られないような猛暑を記録した七月下旬。私達の乗車する電車内はものすごい熱気に満ちていた。理由は大きく分けて二つ。一つ目は夏にかけて起こる気温の上昇。そして二つ目は、

「……今日、花火大会があるんですから」

 ありのままの事実を伝えると、先輩は小さくため息をついた。

 今日は地域で有名な花火大会の開催日。電車を利用して会場へ向かう客も多く、車内は沢山の人であふれかえっていた。その中にはちらほらと、華やかな浴衣を身に着けた男女が見かけられる。平日ということもあって、仕事帰りの社会人も結構いる。彼らの表情からは明らかな疲労と、祭りへ向かう人々へ対する羨望と嫉妬が伺えた。

「そういえば去年もこの時期にあったな」

「ありましたねー」

「去年は花火大会の日に活動無かったから完全に忘れてたぜ」

 先輩とは同じ吹奏楽部所属で家が近いということもあり、部活のある日は一緒に帰るのが習慣となっていた。最近では部活が無い日に一緒に帰ることもしばしば。

「よりにもよって部活がある日に……」

 部活帰りに運悪く、その会場へ向かう満員電車に行き会ってしまった、というのが現状だ。


 花火大会。それは一言で言うと私の夢だ。自分の好きな人と一緒に屋台をめぐってみたり、花火を一緒に見てみたり。そんな青春をしてみたい。

「なんでこんな暑い日にわざわざ外出するんだろうな。俺には意味がわからん」

 でも、残念ながら隣の先輩はこんな調子だ。制服を着崩していて、すごくだらしない。それにロマンの欠片もない。学生として大事な何かが抜けている。青春の反面教師みたいな存在だ。

「……ったく。俺らには花火大会なんか全然関係ねぇのに。なんでこんな満員電車に乗らなきゃいけないんだよ」

 不満全開にして小声で愚痴をこぼす先輩。やめてください。電車混んでるから周りの人に聞こえちゃってます。周囲の視線が痛いです。


 先輩に独り言を言わせるのは危険だと判断し、それを阻止するべく私は先輩に話しかける。

「今日の活動、いつもと比べて全然人来てませんでしたね」

「夏休みだからな。部活も別にサボったところで怒られたりするわけじゃないし。学校来るのが面倒くさいって思ってる奴らは普通にサボる。それに今日は何より……」

「花火大会、ですか」

 そうだ、と先輩は頷く。

「部活なんかに行ってたら、時間的に間に合わないと思ったんだろ。実際は余裕で間に合うわけなんだが。こんな風に」

 先輩はそう言いながら、車内を見渡す。

「それに確か、夏休み入る前の活動の時に『今度の花火大会行くときは、みんなで浴衣を着ていこう!』とかなんとか言ってたし。そういうことも考慮した上での無断欠席だな……まぁ、結局は優先順位の問題だ。部活を優先するか、『青春』を優先するか」

「青春という言葉に若干の嫌味が……」

 先輩は青春という言葉が嫌いらしい。先輩曰く、「青春って何だよ。くだらない」だそうだ。こういうのを世間一般的に見て負け犬の遠吠えと表現するんだけど、私も同類だからツッコもうとは思わなかった。

「そういえばお前、部活全然休まないよな」

「そういう先輩も、一回も休んでないじゃないですか。もしかして、今まで皆勤とか」

「まぁそうだな……いや、確か一回だけあった」

「一回? ……あっ、風邪ひいて学校を休んだとか」

 体調不良なら納得がいく。

「いや違う」

 そんな私の予想を先輩は即座に否定した。

「学校を休んだことはないんだ。こう見えて体は強い方だからな」

「じゃあどうして」

 そう言いながら、私は先輩がただ単にサボった、そんな可能性を考えていたけど、返ってきた回答はあまりに悲しいものだった。

「去年の秋の話なんだけどな。去年の部長、すごく真面目でさ。十月のコンクールに向けて元々活動のなかった日曜日、急遽活動することになったんだ。その前日にSNSでその連絡が部員皆に回ってきたらしいんだが……何故か俺のところだけ来なかった」

「……」

「意外なことに、俺以外の全部員がその活動に参加したらしくってさ。別に怒られはしなかったけどな。急な招集だったし、それなら仕方ないって」

 ……ふむ。何というか、ものすごく悲しい話だった。

「それにしてもすごいですね。全員参加だなんて」

「去年の吹奏楽部は凄かったよ。部長が良かったんだろうな。部員全体が一つになってた……まぁ、その中に俺が入ってたかは定かではないんだが」

 最後に自虐を混ぜながら、先輩は優しい口調で言った。

 入学するときに知ったけど、去年の吹奏楽部は本当に凄かったらしい。なんでもコンクールでは金賞を受賞。学校始まって以来の快挙だったそうだ。

「それに比べて……」

 突如先輩の口調がさっきの優しいものから、不満げなものへと変わった。舌打ちを一回挟んで先輩は続ける。

「今年の吹奏楽部は酷過ぎる。なんだよあれ。今日来たの半分もいなかったじゃねぇか。去年の面影がこれっぽっちもない」

 怒、怒、怒。話し方から先輩の怒りが感じられる。その対象が何なのかは明白だった。

「すみません」

「なんでお前が謝るんだよ」

「だってそれって、私達のせいですよね……私達高一の」

 去年は良くて今年は悪い。その間にどんな変化があったのかは考えなくてもわかる。受験勉強のために二年生(新三年生)が退部して、新しく入学してきた私達――新一年生が入部する。部活で起こる変化なんてそれぐらいだ。

「事実として今日の活動、一年は誰も来ませんでしたし……本当にすみません」

 先輩の部活にかける気持ちは本物だ。普段からだらしない、何事に対してもやる気を見せない、そんな先輩が唯一欠かさずやっているもの――それが吹奏楽部だ。いつも一人で学校生活を過ごしている先輩が部活を続けるなんて、並大抵の覚悟じゃできない。普通は辞める。そんな人は帰宅部として家で過ごした方が楽で、有意義だから。それでも先輩は続けている。きっとそれなりの覚悟があるのだろう。

 だから、そんな先輩に敬意を示して謝らないといけない。私なんかが一年生を代表して謝るのはおこがましいかもしれないけど、それでも謝らないといけない、そう思った。

 頭を下げる。先輩の顔を見ることができない。

「はぁ……おい。顔上げろ」

 ため息をつき、先輩は口調を変えずにそう言った。私は先輩の指示に従い、顔をゆっくりとあげる。すると……

「バーカ」

 コツン。額を小突かれた。口調もいつものものに戻っている。

「ただの愚痴だよ愚痴。本気にするな。そもそもお前には全く関係ないことだろ」

「でも……」

「お前はちゃんと来てるじゃねぇか。気負う必要がどこにある」

「えっ?」

「お前と他の一年を同じにするな。お前はどちらかと言えば……」

 俺と似てる、先輩はそう言った。




 人見知りだった私は高校に入学して、馴染むことができずに孤立した。

 興味があって入部した吹奏楽部でもずっと一人だった。同学年の人はたくさんいたけど、怖くて誰にも話しかけられなかった。先輩についてもそれは同じだった。同い年ですら無理なのに、年上の人に話しかけられるはずがない。

 入部して一週間が経ち、退部しようかな、そんなことを心の中で思い始めた頃。私の生活に変化が訪れた。一人の先輩が私に話しかけてきた。

『自己紹介してなかったな。俺、お前とおんなじパートだから宜しく』

 吹奏楽部に入って初めて先輩がかけてきた言葉はこうだった。

 冷たい声だった。何を考えているのかよく分からない人だと最初は思った。絶対にこんな先輩とは関わりたくないと思った。

 だけど、その日から先輩は何度も私に関わってきた。下校途中にたまたま私と最寄り駅が同じだと知った先輩は、次の活動日から、

『おい、今日から活動ある日は一緒に帰るぞ』

と言ってきたのだ。その時は正直、私の高校生活終わったな――学校に馴染めてない時点でもう既に終わっているかもしれないけど――と思った。

 でも毎回一緒に下校していると、先輩の評価は少しずつ変わってきた。日に日に、先輩の声が温かくなっていくのを感じた。一か月間共に過ごして私は気づいた。先輩はただ、人付き合いがあまり得意じゃないだけなんだ。感情表現が苦手なだけなんだ、と。

 そう気づいた日から、私は先輩に打ち解けていった。少しずつ日常での会話量は増えていき、

今では冗談も交わせるようになった。

 今更になって、やっと私は当時のことを理解する。あの時、先輩は一人ぼっちだった私に気づいて、それで声をかけてくれたんだって。先輩はだらしなくて、ネガティブ思考なダメ人間だけど……だけどそれ以上に人なんだって。


『ドアが閉まります。ご注意ください。次は――』

「あっ」

「乗り過ごしちまったな」

 会話のせいで自宅の最寄り駅への到着に気づかず、乗り過ごしてしまったことに私と先輩はため息をつく。

「あぁ、面倒くせ。また引き返さねぇと」

「そうですね……」

 また満員電車に乗らないといけないのはちょっと嫌だったけど、今はたいして嫌だとは思わなかった。

 十秒ほどの沈黙を経て、突然先輩はこう切り出した。

「仕方ない……花火大会でも行くか」

「えっ?」

 予想外の誘いに私は大きく目を見開く。

「どうした。そんなにびっくりした顔して」

「だってさっき、花火なんてくだらないとかなんとか……」

「乗り過ごしちまったんだからしょうがないだろ。何かしないと損した気分になる。それとも花火は嫌いか?」

「……全然」

 じゃあ決まりだな、先輩はそう言ってぎこちなく笑った。

 口調は柔らかくなったけど表情は硬いままだなぁ、そんなことを考えながら私は再び先輩との会話を始める。

 きっとこの夏は私にとって一生の思い出になるだろう。

 ……好きな人と行く花火大会なんて、忘れられるはずがないんだから。

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部活帰り 皐月鬼 @satsukioni

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