条件30 見習い二人
満天の星空が広がっている。
真っ暗闇のはずの夜空に、うるさいほどの星の砂塵。
視界に人の形の影が落ちた。
「リョータロ。起きた? 」
「……マーヤ」
マーヤは笑った。
「おはよ。もう夜だよ」
まるで試合が終わった日、寝すぎた日曜日の夕方みたいだ。
「……腹減った」
「うん。リョータロ、頑張ってたもんね。お疲れ様」
でもここは日本じゃない。
異世界、魔窟。
魔王の統べる、戦争の地。
そして俺は……。
一気に覚醒して跳ね起きた。
「そうだった! 俺、竜人になって——って、あれ? 」
手を曲げ伸ばししてみる。
なんか。
見慣れた手の感覚なんですけど。
「……なんで人間の手に戻ってんの? 」
「完全に変化したんじゃろ」
はたまた聞き慣れた声。
黒風船がひょっこりとマーヤの頭から顔を出した。
「つまり変化を自分で支配できるようになったってことじゃ。貴様は獣人種の中でも変化型じゃからな。シシリアみたく常に耳が生えているわけではあだだだだ!!! 離さんか小童っ! 」
「あら」
俺は親愛のあまりセバスチャンをつまみ上げた。
ああこの手のひらのプニプニ。握るとストレスが発散される。
「よう久しぶりだなセバスチャン。今までどこいたんだ? 野戦病院についたところまでは一緒だったよな。いやー無事で何よりだ」
「貴様っ本当にそう思ってるのか小童め! この元気さ、心配して損したわ!! 」
「えっ心配してくれてたのか……! お前、いいやつだな……」
「そう思うなら離さんかーい! 」
マーヤが穏やかに笑っている。……まだツンデレ云々を信じているようだ。
セバスチャンの悲鳴が夜空に響く。
「お目覚めかぁい」
かったるそうなのんびりした声。
「アルター、斑熊は……」
「……」
アルターが煙草を咥えたまま悲しげに目を伏せる。
「覚えてねえんだな……。お前、あの後」
「あの後って、一体何が——っ」
ぽて。
背中を叩かれた。
「!? 」
慌てて振り向くと。
「パオン」
白黒の熊がいた。
「ーーー!? 」
「あっはっは! 」
「あ、アルター! どういうことムグ」
「パオパオ」
ぎゅむっと毛深いパンダの胸に抱かれる。
つーかこいつ今パオンって鳴かなかったか。どんな鳴き声!?
「それが実物大の斑熊だよ。お前そいつの風の実の芽ぇ取り終わった後、疲れて寝ちまったんだぜ〜」
斑熊ってパンタのこと!? 今更だけど!
ていうかすりすりされてるんだけど。めっちゃ頰ずりされてるんだけど。何これ。しかもこのパンダ、思ったより剛毛。
「他に忘れたことは? 自分の名前は覚えてるかい? くく」
「——っぷは。そこまで頭やられてねえっつの! 」
パンダ地獄から逃れて周りをよくみれば、そこはまだ野戦病院だった。
「悪ィな。お前を寝かせるところがなかったんで、荷台に乗さして貰ったぜ」
テントの立て直しやベッドの敷き直しで看護官も患者もてんやわんやだ。
動ける者は魔族、人間の区別なく働いている。
この惨状じゃ敵も味方もないんだろう。
力を合わせているのは今だけで、事態が落ち着いたら元の関係に戻るのかもしれないけれど。
……助かったのだ。
「さてと。坊主も眼が覚めたことだし、帰りますぜ」
「え、今から? 」
「そうに決まってんだろ。それとも野宿がいいかい」
それはちょっと。
どうしようもなければ野宿もするけど、帰れるならそれに越したことはない。……マーヤもいるし。
アルターが口笛を吹いた。
「紹介するぜ。こいつは俺のダチのアルセイドだ」
やってきたのはグリフォンだった。
さすが魔窟、またも幻想動物。
「こいつに乗せてって貰え」
「乗るの!? 」
超貴重な機会その二。
「おう。アルセイドは『翼・魔族タクシー』の中でも指折りの運転手だ。今日中には城に着くぜ」
「タクシーなんですね……」
超現実的だった。
「ほれ、陛下からだ。お嬢、俺の肩に手ぇかけな」
「ありがとうございます」
多分いま俺は、最高にアホな顔してると思う。
(陛下って。アルターが陛下って言った)
マーヤのことを認めたってことなのか。
新しい魔王として。
「おい坊主、何してんだ」
「え、あ。俺もダンデムなのか」
「そりゃそうだろ。お前は魔王の騎士。いつでも傍にいなくてどうする」
「……」
なんか。
……どんな顔したらいいんだろ。そういう時。
「うっす」
小さな声で出たのはそれだけだった。
マーヤの後ろにまたがる。
グリフォンの背中は馬みたいで、意外に違和感がない。
「んじゃ、よく寝るんだぞ〜」
「え? 」
「アルターさんは帰らないのですか? 」
「俺はちと野暮用があるんでな。ああ、心配しなくても大丈夫だ、アルセイドはプロたぜぇ。お前らを振り落としたりしねえよ」
キューイ、とアルセイドが鳴く。
ふわりと空に舞い上がった。
「うわ、うわ、うわあああーっ!? 」
「浮いてる! 」
段々と地上が遠ざかっていく。
眼を変化させて、竜の眼にする。
自然とやり方がわかる。不思議だけど、これがセバスチャンの言ってた完全変化ってやつなんだろう。
アルターの姿は、竜の眼で見ても小粒だ。
「あ——アルター! 」
聞こえるわけがないけど、俺は声を張り上げた。
「色々、ありがとう! 」
代わりにアルセイドがキューイと鳴いた。
「見てリョータロ! 私たち、空を飛んでるわ! 」
俺がバランスを撮ろうと慌てる目の前で、マーヤが嬉々として眼下を示した。
「あっほら、あれって私たちが歩いてきた森じゃない? 」
「お前……怖くねーの」
「え? だってアルセイドさんはプロだから大丈夫だってアルターさんおっしゃってたじゃない」
いやそうだけども。
一方の俺はかなりの高度になってからやっと、安心して眼下の地上を見ることができた。
「……すげえ」
——風って、地上からも吹くんだ。
月の光に照らされた世界だった。
静謐な森。灯りが寄り添いあう集落。
俺は後ろを振り返った。
少し離れた場所にあるのが収容所か。
その向こうには国境の峰が連なる。
そしてそのもっと向こうには——……。
「……」
「ね、リョータロ」
マーヤの髪が夜風に煽られている。
横顔がはっきり見えた。
「これが、私たちの
行く手には魔窟の全域が広がっていた。
「ね、リョータロ」
「うん? 」
「私もね、これでも色々考えたりするのよ。正しいことってなんだろーとか、優しさってなんだろー、とか」
「そんなこと考えんのか? お前、もともと優しいじゃん」
「そんなこと……ないんだよ。……たぶん」
多分ってなんだ。
「なんだそりゃ」
マーヤはむぅと軽く口をすぼめた。
「だって、結局は自分のためなんだもん。優しくなりたい理由を考えても、いっつも同じ結論にたどり着いちゃうし」
「なんだ? 」
「私ね、笑顔が見たいだけなの」
夜風にマーヤの柔い髪が舞う。
「誰かが悲しくて泣いてるのが嫌なの。見てると私も悲しくなるから。で、普通にしてる時でも、それより笑顔でいる方がいいわよね! なんて思ってるの。……よくわかんないんだけど、どうやらそれだけっぽいの、私」
マーヤが困ったように笑う。
「ほんとに笑顔が見たいだけみたいなの! 私! 子供みたいでしょ! ──そんなものなのよ……」
……なあマーヤ。
お前、そんな縮こまって言うなよ。
胸を張って言えよ。
だってお前、それが自分の生き方なんだろ。
「──笑顔が見たいってのはさ」
「……うん」
「つまり、しんそこ笑ってられる時さ、人は幸せだってことなんだろ」
悲しんでいる姿を見たくない。
だから。その逆。
───簡単なギミックじゃないか。
「俺はさ、そんなお前だから、そんなお前の作る世界が見たいと思うんだよ」
「じゃあ、リョータロ。私に付き合ってくれますか? 私の、成就するかもわからない夢物語に」
冗談めかしてマーヤが微笑む。
その指先が握り締められて白くなっているのを、俺の竜の眼は見逃さなかった。
「まるでプロポーズみたいだな」
「へ!? プ、プロポーズですか。……ええと確かに、共に政治を行うパートナーって意味ではプロポーズになるかも」
「ならんがな」
冷静に突っ込んだ。
「……ま、腐れ縁ってことでマーヤを守りますよ」
「ほとんとに? 」
マーヤが振り向く。
「私は良い腐れ縁に恵まれて幸せ者ね! 」
……腐れ縁に恵まれるってフレーズ、初めて聞いたぞ。
——隣で見せて欲しい。
誰より優しく、清く正しく生きようとする。
新人魔王の作る世界を。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます