現代病床雨月物語   第15話   秋山 雪舟(作)     

秋山 雪舟

「入院徒然記(前編)」 

二○一六年の二度の入院と二○一七年の入院、都合三度の入院ではいろいろな体験をしました。

二○一六年の一度目(左脇側にあるリンパ節の摘出手術)の入院では、人生で初めて男性看護師に手術室まで案内されました。そして手術後に両足のふくらはぎを強制的に一定間隔で空気の力で圧縮させる装置を取り付けられていました。泳げない幼い子供が両腕に筒状の浮輪を通しているのが両足に付いている様な状態でした。これは第二の心臓といわれているふくらはぎを強制的に圧縮してポンプ作用をうながす装置です。血栓を防止する装置です。これが不快でした。血小板が少ない私は血栓など出来ないと思っていたので途中でこの装置を看護師に取り外してもらいました。後で血液内科の担当医師から秋山さん、いくら血小板が少ないとはいえ手術後は血栓が出来やすいためあの装置がいるのですと言われました。

左脇の手術あとは、縫合した位置に透明な大きなバンソウコウが貼ってありました。透明なので縫合にそって血が滲んでいるのが確認できました。退院して一週間後に剥がした時は、縫合あとは少し盛り上がりツルツルできれいになっていました。血は透明なバンソウコウ側だけに付いているだけで肌には一切付いていませんでした。

この入院時に感じたのは外科の病室は医療機器が多くそれらの出す音もけっこう耳に付くことでした。

 二○一六年の二度目の入院は、私の人生において最悪の経験でした。発熱による急遽の入院でしかも下痢気味で排尿もほとんど出来ない状況でした。歩くこともつらかったので人生で初めて車椅子に乗りました。またこれも初めてですが、尿を出すためバルーン・カテーテルを尿道に挿入しました。

 失礼なことですが今までの私のイメージでは、バルーン・カテーテルを挿入している人はほとんどが老人で重症患者や死期が迫っている人だと思っていたので自分がなってしまったことが大変ショックでした。本当に再起出来るのか不安でした。この入院の最後の方ではバルーン・カテーテルから自己導入カテーテルになったので少し安心しました。

この時の病室は、急遽であったため血液内科の病室ではなく内分泌科の病室でした。四人部屋で私以外の三人のうち二人の方は糖尿病の治療の為に入院されていました。他の一人のかたは、何の手術かはしれませんが手術後に帯状疱疹が出たために私より先に入院されていましたが私より退院が遅れることになりました。二名の糖尿患者の方は退院が早く五日程度で人が入れ替わっていました。糖尿病の方は講習・ビデオ教育・栄養士による指導・医師との面談などでよくベッドにいないことが多かったのを覚えています。

またこの時の私は、熱が出たりバルーン・カテーテルを付けていたりしたので重病人の様に見られていました。

この二度目の入院の最後におこなった大腸の内視鏡検査に伴う下剤の影響で体力がかなり消耗したのをよく覚えています。

この時の病室は前回の入院時の病室とはがらりと違って医療機器もほとんどなく静かでした。大腸の内視鏡検査が決まるまでの入院の時期は、退院のめどが立たなくとりとめのない不安な日々を過ごしていました。

最後に二度目の入院時に背筋がゾクッとしたことがありました。入院の終わりごろには自己導尿カテーテルにたよらず自力で尿が少しずつ排尿出来るようになった時期。私は夜中の三時ごろにトイレに行こうと廊下に出まました。その時、十メートルほど離れた廊下の中央に一人の入院患者の老婆が私に視線を向けて動かず静かに佇んでいたのです。ずっと私の方を見ていると思ったのですが、しばらくして私が老婆の視線上に立ち入ったのだと気が付きました。それから私はトイレを終えた後また廊下を通るときその老婆は先ほどと同じように遠くに視線を向けたまま立ったままでした。私は自分のベッドに帰ったあとトイレが老婆の立っている方向でなくて良かったと思いました。そしてあの老婆は何を見ていたのだろうかと気になったことを覚えています。それ以降は退院をするまであの老婆を見ることはありませんでした。

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現代病床雨月物語   第15話   秋山 雪舟(作)      秋山 雪舟 @kaku2018

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