第23話 無力

 ゴキブリたちは集会場に集まっていた。皆、不安に表情を曇らせ意気消沈している。


「無事じゃったか」


「兄貴!」


 チョウロウとキョウタが寄ってきた。無事で良かったと安堵したのはむしろ僕のほうだ。


 キョウタの体はほぼ乾いたらしく、触覚の先端と体に白い斑紋はまだ残っているが、体全体が赤褐色っぽくなっていた。成長した証だ。乳白色でないことが、正直救いだった。


「メスゴキブリが三人、逃げてきたはずです。一人はキヨミさんです」


「大丈夫だ。帰ってきておる。ミミコのことも聞いた。残念じゃ」


「兄貴、その、ジロウは・・・・・・?」


 キョウタが伏し目がちに聞いた。


「すまない・・・・・・・・・・・・」


 そう言うしかなかった。


「致し方あるまい」


「兄貴、元気出せよ」


 励ましの言葉には明らかな落胆の色がにじんでいた。それが仲間を失ったことに対するものなのか、仲間を守れなかった僕に対するものなのか、判断はつかなかった。


「仕方なくないわよぉ!」


 叫びと共にキヨミが飛び出てきた。目尻には涙を浮かべている。


「ねぇ、あんた救世主とか何とかなんでしょ。今すぐ戻ってミミコとジロウを助けてよ」


 キヨミは僕の胸倉をつかみ激しく揺すった。


 あの状態ではもう助からない。わかっていても、口には出せない。二人にまだわずかに息があったことも、言えなかった。


「・・・・・・・・・・・・」


 僕は下を俯いて黙っているしかなかった。


「お願い。二人を助けてよ。あたいを助けてくれた時みたいに。お願いよ!」


 キヨミがいよいよ泣きじゃくり、柔らかい手を握って僕の胸を叩いた。


「キヨミ。やめぬか」


「いくら兄貴でもアシダカグモ相手じゃかないっこねぇよ」


 二人が静止するがキヨミは聞く耳を持たない。


「あんなのやっつけちゃってよ。あんたならできるでしょ。あんなに綺麗に飛べるんだから、勝てるわよ!」


 飛翔能力が優れていても、あの瞬発力と毒牙を打ち破ることはできない。


 それに・・・・・・


「・・・・・・すまない。僕には奴に対抗するだけの勇気が、無いようなんだ」


 僕の告白に一同が騒然となった。


「・・・・・・やはり、僕はただのゴキブリに過ぎないようだ」


「何が、何がカブリ様よ。腰抜け、意気地なし、くたばれ変態野郎!」


 キヨミはうわっと泣き叫び、その場に崩れ落ちてしまった。


 いつもなら歓喜する罵倒の言葉も、この時は深く胸に突き刺さった。


 先ほど一緒だったメスゴキブリたちが寄ってきて、キヨミの肩を抱くと奥へ連れて行った。


 項垂れる僕の肩をチョウロウが叩いた。


「気にすることはない。今は休みなせぇ」


「しかし、奴がまた襲ってくるかもしれません。警戒しておかないと・・・・・・」


「オスゴキブリの有志に交代で見張りをさせる。カブリ様はいざというときのために体力を回復してくだせぇ」


「・・・・・・ありがとうございます」


 チョウロウも本心では僕に何かしらの期待をしているようだ。それがまた僕の背中に重くのしかかった。


「兄貴、オイラのところに来いよ。場所を取ってある」


 ゴキブリたちが避難している集会場は、さながら大地震が起きた後の体育館だ。寝るスペースを確保するのも難しい。


 正直、本当に休みたい。僕は弟分の助けに甘えることにした。


 キョウタに続いてゴキブリたちの間をすり抜けていった。なぜか今までに無かった視線を感じる。


 非難なのか、何かしらの期待の視線なのかはわからないが、居心地は良くなかった。


「ムサノブさん・・・・・・無事で良かったわ」


 キョウタママがいた。


「兄貴もここで眠らせてくれ」


「もちろん、いいわよ」


 親子は僕にスペースを空けてくれた。


「ムサノブさん。元気がないわよ」


「母ちゃん。兄貴のことはそっとしといてあげてくれ」


「わかったわ。ムサノブさん。疲れているようだからゆっくり休んでちょうだい」


「・・・・・・お世話になります」


 僕は就寝しようと目を閉じたが、なかなか寝付けなかった。毒牙にかかったミミコとジロウの顔が目に焼き付いて離れない。ミミコの助けを求める声が聞こえてくる。ジロウの痛みと絶望が伝わってくる。


「・・・・・・・・・・・・ぐ・・・・・・ぐっ」


 僕の目から止めどなく涙が溢れ出ていた。泣いてはいけない。逃げ出した僕に泣く資格などない。だが、どうしても我慢できなかった。


 泣いているのを気づかれたくなくて、僕は顔を伏せて縮こまった。嗚咽を抑えようと必死に喉に力を入れる。


「・・・・・・・・・・・・」


 何か暖かいものが僕の頭に触れた。体にも触れて、僕を引き寄せた。少しだけ顔を上げると、キョウタママが僕を抱きしめてくれていた。


「・・・・・・ママさん・・・・・・」


「今日は、添い寝してあげます」


 キョウタママはさらに強く僕を抱擁した。柔らかい体が僕を包み込む。ゴキブリなんだから、体温なんて無いはずなのに、心の芯まで暖まった。


 キョウタママの血流が、心臓の鼓動が、生命の熱が伝わってきた。


「泣きたいときは、泣いてもいいんですよ」


「・・・・・・・・・・・・いえ、もう大丈夫です」


 僕を蝕んでいた絶望と恐怖が和らぎ、意識は疲労と心地よさを共にして深い闇の底へと落ちていった。

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